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戦争と平和

ここ1週間、世界が歴史的にとてつもなく大きな変化の渦中にいるのを私たちは目の当たりにしている。
ウクライナとロシア、どちらも行ったことはないけれど以前から知っていたし、ロシアは知人が留学に行っていたり、英語のレッスンでウクライナの先生の授業を受けたこともあって、個人的にはある程度の親しみも感じていた。

2月24日にロシアがウクライナに侵攻して、戦争が始まった。その理由は色んなことが言われていて、大きく言えば民族や昔からの歴史、欧米とロシアの冷戦から続く権力闘争など…これが1世紀前までであれば当たり前だったのかも知れないけれど、中東の一部の問題などをのぞいて戦争を直に見てこなかった私たちの世代にとっては、今現在起こっていることが本当に衝撃的で、心がえぐられるし、なぜこんなことが起こっているのかと悲しみや怒りで涙が止まらない。

77年前、広島と長崎に原爆が落とされて第二次世界大戦が終わった時のことは、祖父母や職場の老人ホームのご入居者からも話を聞いたり、広島に行った時は原爆ドームでのさまざまな展示を見たりして、「これは忘れてはいけない、残していくべきこと」という認識ではあったが、まさか自分たちの時代に、世界が争い合う戦争がまた始まるなんて思ってもいなかった。教科書で習ってきた一つの「歴史」だと思っていたのだ。
それは私自身が不勉強で、世界情勢や歴史について全く無知だったこともあるが、ロシアのような常任理事国と言われる大きな力を持った国が、世界のルールに背いてしまうなんて考えたこともなかった。こんな時代に先進国が武力で争い合うなんてことはもう未来永劫ないのではと思っていて、自衛隊や軍隊、もちろん核兵器なども日本に必要ないのではとすら思っていた。

しかし、今刻一刻と起きていることが、私が今まで抱いていた世界への認識をいとも簡単に覆していくのに、必死に食らいつくようにSNSのニュースや映像、色々な人のコメントを漁っては、気づくと朝になっていたりしてあまり眠れていない日々が続いている。今この瞬間もウクライナの人やロシアの兵士が爆撃を受けたり銃で撃ち殺されたりして、街は破壊されているのだ。

実際に侵攻が始まって爆撃の映像が飛び込んできて感じたのは、深い悲しみとともに、自分の身にも降りかかるかも知れないという恐怖だった。ロシアは日本の隣にあって、北方領土問題は未だ解決していないというのは散々言われてきた話だ。私が日本にいて国際問題で危機を感じるとすれば、某北朝鮮が打ってくる定期的な弾丸ミサイルなどではあって、あんな世界で孤立した国が近隣に面しているのを以前から怖いとは思っていたが、もしロシアが日本に攻めてきたとしたらと考えたら、ほとんど防衛能力や意識などないであろう日本がひとたまりもないのは明らかだ。

同盟国の米国が守ってくれると言っても、今回のウクライナは日本と状況が違うにせよ、あんな理不尽な侵攻をされても現時点で1週間経っても米国はおろかヨーロッパの国々も兵を送ることができない。直接軍隊を送れば第3次世界大戦になってしまう…そんな歴史の重大な瞬間に今、私たちは直面しているし、世界が翻弄されている。


この戦争の始まりから1週間、倫理や歴史、民族意識、国際関係など色々なことを考え学ぶ機会になった。SNSのコメントなどで世界の色々な人が色んな言語で書き込んでいて、戦地のリアルタイムの映像も簡単に投稿され拡散されるような時代だ。ロシアや北朝鮮、中国などは独裁国家で情報が遮断されているうえに、ロシアでは反戦デモを起こした国民は逮捕されるというのを聞いて、政治というものがこんなにも国によって違うのか、何が正しいことなのか、そして私が今まで信じてきた歴史の情報や民主主義や憲法など、何もかもを疑うきっかけにもなった。日本は敗戦の教訓から作った憲法や核を持たない、戦わないという選択を私は小さい時から正しいことだと信じてきたが、もはやどこかの国が攻め込んでくるという現実が世界で起きてしまっている以上、銃を突きつけられた時抵抗せずに殺されるしない仕組みのままでいいのだろうか。

現在進行形で、色々中ことを見直され始めているし、日本という国が調べれば調べるほど世界の中でも誇っていい素晴らしい国であることも知ることができた。戦争に反対、平和を望むこと。こんなことは当たり前の世界の常識とすら思っていたが、こんなに切実にこの言葉を胸に刻むことになろうとは、本当に今歴史が動いている瞬間にいるのだと感じる。

今自分ができることは、歴史を学びながら状況をチェックし、ウクライナの人に寄り添うことだろう。明日は我が身かも知れない、世界について知り、政治についてもしっかり頭で考えて、自分の意見を常に持てるようになりたい。

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