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地上波FM局で自分の曲がヘビロテコールされたときの感動

「さて、次は、今月のヘビーローテーション ナンバー。土曜日の猫通信で、土砂降りの日の終わりの歌。」

って、地上波FM局で自分の歌がヘビーローテーション コールされるなんて、自分の人生で起こるなんて考えてもみなかったこと。

何しろ、中学の時は音痴で「あなたが歌うとハーモニーが乱れるから歌わないで」と音楽会で歌わせてもらえず、社会人になってからもカラオケではいつも笑われてたくらいの音痴が、リーマンショックで仕事が暇になって一念発起して始めた音楽。12年でここまで来られるとは・・・。

これってもちろん、僕だけの力では絶対に無理で。

一番の大本をたどると、まず、全くのど素人の僕の音楽を応援して演奏の場を作ってくれた、花猫カフェさんがすべての始まり。花猫がなければ今の僕はないなぁ。

次は、僕が自分のためだけに書いた曲を、その時一緒にやっていたギターの糸繰さんが聴いて「それええやん!やろうや!」と言ってくれて、こんな曲で大丈夫かな?と思いながらライブでやったことが、自分で歌を書くことになった始まり。

そこから応援してくださる方が増えて、Facebook や YouTube にアップした動画を見ていただいた方で気に入ってくださる方が増えてきて。

で、西慎嗣さんが、そんな僕の曲を拾ってくれて。「いい曲だから。形にしよう」と。

西さんに出会えたのも、宮古島の「ズビズバー」というライブハウスのオーナーのサボさんという人が僕らを呼んでくれたから。当然、宮古島に知り合いはいないから客を呼べない。で、サボさんが電話かけまくってお客さんを集めてくれたわけなんです。
宮古島ミュージックコンベンションが終わったところだったので、プロミュージシャンの方がたくさんおられたので、その方たちを呼んでくださったんです。その中に西さんがおられた、という。

そのアルバムをたまたま敦賀FMのDJ、野々宮のりこさんが購入していただいたんです。

とはいえ、野々宮のりこさんも、僕が全日本選手権を転戦していたころの全日本チャンピオン ドライバーの松本さんが紹介してくれたんですけど。僕が引退してずいぶん経っている今でもお付き合いいただいていて。僕が最初に全日本の表彰台に乗ったとき隣だったんですよね(笑)

で、敦賀FMの局の方にサンプル盤をお送りしたわけです。

そのサンプル盤を敦賀FMの社長が聴いてくださって、「来月のヘビロテはこれでいこう!」と決めていただいたそうなのです。

僕はレコード会社のバックアップもなければ、ライブやテレビでの実績も 0 (ゼロ) 。敦賀FMさんとしては何のメリットもないわけです。人気アーティストを出せば、聴取者数も増えるでしょうけど、僕はそんないるわけもなく。
純粋に「気に入ったから応援してやろう」というお気持ちなんだと思うんですね。

本当にありがたいことです。

人の縁に感謝。それだけで生きてます。僕。



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