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今マザーテレサが生きていたら

どう感じているだろう。
どう動いているだろう。

と毎日考える。

メディアからの情報を鵜呑みにすることなく、現場に足を運ぶだろう。

政府や社会よりも、目の前の人に何ができるか愛を持って関わるだろう。

緊急事態宣言が発令される前から、不安な人々に愛を持って接するだろう。

不安に駆られながら医療現場に駆け込む人々にどう接するだろうか。優しさと厳しさを両方持ちながら愛を持って接するだろう。

自分ができることを自主的に行動するだろう。

そんな姿が目に浮かんだ。

感染対策に万全を期して、人との距離をとっても、心の距離は変わらないことを伝えているだろう。

そして時にはハグして愛を届ける。

私の美化したマザーテレサの姿なのかもしれないけれど、わたしにはそう映る。

分け隔てない愛を届けている。

何度も看護師を辞めようと思っていたのに、続けてきて今に至り、16年目を迎えた。

そんな今、COVID-19により看護のあり方を見直す機会をいただいている気がするのはわたしだけだろうか?

本来、看護とは人間本来の生命力が発揮できるように環境を整えていくもの。

以下抜粋

貧しいことは
美しいことです。
たいせつなのは
どれだけたくさんのことをしたかではなく
どれだけ心をこめたかです。
多くの人は病んでいます。
自分がまったく愛されていない
関心をもってもらえない
いなくてもいい人間なのだと…。
人間にとって
いちばんひどい病気は
だれからも必要とされていないと
感じることです。
導いてくれる人を待っていてはいけません。
あなたが人々を導いていくのです。
あなたに出会った人がみな、
最高の気分になれるように、
親切と慈しみを込めて人に接しなさい。
あなたの愛が
表情や眼差し、微笑み、言葉に
あらわれるようにするのです。

もっともっとたくさんあるのだけど、
わたしが大切にしている言葉です。

様々な危機を乗り越えたのちに必要な看護のあり方。

医療現場で行われてきた看護から、本来の生活の中に戻していく。

医療という形を継続しながら、生活の中に看護を戻していく。

表現として相応しいのか分からないけれど、そんな感覚。

そして人間本来の生命力。自然治癒力。
一人ひとりが自分のからだの声に耳を傾けて、自分と対話していく。

自己を見つめることにより、どんな状態もどんな感情も受け入れていく。

本来、誰もが持っている自己の世界。
autonomy(自主独立)の時代へ。

生きる喜びを味わい、死と隣り合わせで人生を味わい尽くす世界に。

それがわたしが看護師を続けてきたからこそ、見えた世界であり、創り出したい。

同じような経験をしたからすごく響いたマザーの言葉

マザーは、「ほほえみさえ浮かべる人がいるんですよ。それは本当に美しいことです(It is so beautiful)」と、おっしゃいました。お化粧などの表面的な「美」ではなく、辛かった人生を水に流し、感謝の言葉とほほえみとともに死んでゆく、それを「美しい」とおっしゃったのです。マザーのお仕事は、憐れみをかけることではなく、一人ひとりが人間との尊厳のうちに、生き、かつ死ぬことができるようにという願いが発露でした。

看護の原点は「看」の字が示すように、温かい手とまなざしであることを忘れてはいけない。

わたしにとって看護ということを考えるのは命と向き合うような思いで、自分の中に常にある愛を表現するもの。

だからこそ、これからの看護は全ての人にある"愛のかたち"を一人ひとりが表現していくことに繋がっていくと確信しています。

あなたはあなただから美しいし、
わたしはわたしだから美しい

最後に…

わたしたちのすることは
大海のたった一滴の水に
すぎないかもしれません。
でも
その一滴の水があつまって
大海となるのです。

この言葉を
自分に届けながら、まずはわたしの愛のかたちを
伝えていきます。