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岩手の偉人「芦東山」の詩「室根山に登る」に漂う寂しさ

この記事は一体何なの?

時は江戸時代、その男、博識につき、儒学者として学問所に勤めていたが、生徒の席順に文句を付けたために、仙台藩の怒りを買い24年間もの間幽閉される羽目に!

あまりに理不尽!

しかし逆境の最中、「残酷な処刑」がスタンダードだった世界に先駆けて「教育刑」を思想し、日本の刑法の礎となる18編の「無刑録」を完成させる。

その男の名は「芦東山(あしとうざん)」

幽閉から解放され齢66、波乱の末辿り着いた故郷の山には、現在「室根山に登る」という寂しさが漂う詩が碑に刻まれている。その詩の意味するもの、東山の胸中やいかに…

という芦東山の関する記事です。

芦東山は僕の地元の偉人であり、最近学ぶ機会があったので、詩「室根山に登る」を中心にすえて、考えてみたことを記録しておきます。

室根山の紹介

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室根山は標高895m。キャンプ場、入浴、グライダー、乗馬体験できます。

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室根山のシンボル「きらら室根山天文台」。展望台を兼ねています。

まずは、岩手県一関市室根町/大東町にある室根山の紹介になります。

室根山の場所はここです↓(google map)

https://goo.gl/maps/EhRijLZD4NZoV6H19

室根山頂近くには、10台程駐車スペースがありますが、ライダーの方や、山頂でハイキングを楽しむ方で賑わっていました。

ここには室根山のシンボルともいえる「きらら天文台」があり、展望台を兼ねています。この展望台の景色は素晴らしいのですが、実はここは頂上ではありません。駐車場に小道があり、歩いて数分で頂上に行くことができます。頂上では360度景色を見渡すことができます。

展望台を降りると、展望台のすぐそばにある詩碑が目に入りました。

芦東山と詩「室根山に登る」

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室根山にある芦東山詩碑。江戸時代の儒学者で、室根山を愛し、詩を残している。

その碑には芦東山の3編の詩が刻まれていますが、その内の1つ「室根山に登る」をご紹介します。

室根山に登る

室根山上崑崙(こんろん)を望み
更に向って黄河の源を問わんと欲す
惟見る雲間夕陽の映ずるを
天涯の心事誰と論ぜん

ここからは意訳になります…
(正式な意訳が存在しないようでしたので、恐れ多くも、筆者の拙い意訳となります。)

室根山から景色を見渡すと、中国の崑崙(こんろん)山脈を彷彿とさせられ
更には黄河の源を探そうとしてしまう
雲間には夕焼けが映り込んでいる
天涯孤独のこの心の内を誰と論じられようか

と歌っていると考えられます。

なんだか寂し気な詩ですが、いきなり中国の風景が出てきたり、
そもそもなんで綺麗な景色を見てるのに寂しそうなのかがよく理解できませんね。


というわけで、この芦東山について室根町の隣、大東町にある「芦東山記念館」にて芦東山について色々と教えて頂きましたので、ご紹介させてください。


きっと詩の意味、感情が理解できると思います。

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芦東山記念館

引用元:https://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/6,18372,146,html


ちょっと長くなりますが、芦東山について、紹介させて下さい…

芦東山は江戸時代中期の仙台藩士で、儒学者(儒学は中国の孔子を始祖とする教え)として活躍しました。
大きな業績として、24年に渡る長い幽閉生活(激長)の中で刑法の考えを書き上げた「無刑録」があります。

その無刑録の中で特筆すべきは「見せしめとしての羞恥的・残酷な刑ではなく、誤った行為、考えを正しく導くような教育刑にすべし」と、世界に先駆けた教育刑の考えを説いています。

残念ながら、東山没後になってしまいますが、明治政府が新たな刑法を作るにあたり、ヨーロッパ諸国のものと並べてこの「無刑録」を参考とし「東洋唯一の刑事法典」と呼ばれています。

つまり、現在の日本に「斬首刑」「火刑」「磔」などの残酷な死刑や、「晒し刑」などの羞恥的な刑が無く、罪を犯したら即処刑!ではなく一旦刑務所に入るのは、東山が「教育刑にすべし!」という慈悲深い方針を示したおかげと言っても過言ではないわけです。


また、24年もの長期間幽閉されてしまった理由ですが、勤め先の学問所の「身分に応じた席順」が、学問に身分は関係ないので改善すべし!と、仙台藩に対してしつこく求めた結果、藩に幽閉を命じられたようです。


「ええっ!罪に対して罰が重すぎやしないかい!」というマス〇さんの声が、椎〇林檎の「罪と罰」のBGMとともに、どこからともなく聞こえてきそうです。


しかし、この罪と罰のバランスが取れていない理不尽な環境にまさに身を置くことになった経験が、「教育刑にすべし」という思想に至る一因にもなったのかもしれません。


似たような境遇の偉人として、アパルトヘイトと戦い、同じように20年以上投獄されたネルソン・マンデラがいましたが、どちらも逆境の中で勉学に励み、成果を上げていることが共通しています。

とても興味深いのと同時に、「世の誤り」を見抜く目と、「絶対に正す」という執念を感じ、両者ともに成果を挙げたことに、深い畏敬の念を覚えます。

以上、芦東山の紹介でした。


そんな苦難の人生を送った芦東山が24年の幽閉から開放され、晩年は大東町に住み、室根山にもよく足を運んだとのことでした。

僕も室根山頂上の景色を望むことにしました。

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頂上へ向かう小道 緑、黄、橙、赤と様々な色を見せてくれます。

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室根山頂上。目線の高さに雲があります。

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抜けるような空。右手にはきらら天文台が見えます。

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芦東山は景色に中国の崑崙山脈を重ねました。折り重なる稜線。

駐車場の小道から、頂上へ向かいます。色とりどりの木々に囲まれたゆるい上り坂を歩くこと数分、頂上に到着しました。秋の表情を見せる薄く長い帯を引く雲、折り重なる稜線、人の暮らしが見える田園、集落、室根山の紅葉、全て一望できる圧倒的な眺望です。
きっと、芦東山も同じ景色を見たのだと思います。


芦東山の生涯を知ると、「室根山に登る」の詩に込められた感情が伝わってきます。

室根山に登る

室根山上崑崙(こんろん)を望み
更に向って黄河の源を問わんと欲す
惟見る雲間夕陽の映ずるを
天涯の心事誰と論ぜん

雄大な景色の前にして、語り合う仲間を失った寂しさが滲み現れ、吐露される晩年の詩だと思われます。


先程の疑問について改めて考えてみます。


中国の山河を彷彿とさせたのはなぜか


まさに東山が「儒学者」(儒学は中国の孔子を始祖とする)であることが何より大きく影響していると考えられます。


また、当時の江戸時代は鎖国の時代で、実際に中国の景色を見ることができませんでした。


研究対象として心血を注いだ中国に対して、憧れの念も少なからずあったと思われるので、室根山からの風景に、憧れの中国の風景を自然と重ねていたのでは、とも想像できます。


この詩の後味として残る「寂しさ」の正体


何より、24年の長きに渡る幽閉によって交流が断たれてしまったことが、晩年の寂しさに大きく影響していたのだろうと推測されます。


まず、そもそもの「論じたかった心の内」とは何か、については、「この風景から得られた感動」という解釈は簡単で分かりやすいですが、「誰と論じられようか」と言っているので、当時周囲にもいるはずの人間とでも語ることができるので矛盾します。

つまりこれは、もう会うことのできない亡き師匠や、遠くの学友としか議論できない「学問や思想」のことだったのだと考えられます。

具体的には、苦労の末編纂した「無刑録」について、きっと師匠や学友から意見を聞き、議論し、価値の分かる人に、認めて欲しかったのでは、などが考えられます。


晩年も貪欲に学び続けた東山にとって、同じレベルで語り合える仲間がいないことを何よりも寂しく感じていたのではないでしょうか。


実際に「無刑録」の価値が評価されたのが没後というのも、とても切ない気持ちになりますが、一種の悲劇的な美しさも感じます。


雄大な景色と相反して、感情が溢れる現象


雄大な景色に包まれて、感動の後に「今、一番強い思い」が素直に表に現れてくるという現象は、山を登った人なら経験したことがあるのではないでしょうか。

普段は下界で人間関係や、日々の暮らしの維持を優先し、二の次になっていた感情、本音が、山頂で自分と自然が1対1になったとき、優先度が切り替わり表に現れてきます

「〇〇ちゃん好きだ―!」とか「上司のバカヤロー!」とか「あの時はすみませんでしたー!」という心境になったりします。

東山もそのような登山者の境地に達し、美しい山景が心の鏡となって、自分の一番強い感情、「寂しさ」がはっきりと浮かび上がってきたのかもしれません。

以上のように考えると、刻まれた碑から晩年の東山の学問、思想を語れない寂しさが滲み出てくるようです。

聞くところによると、幽閉から開放された66歳から、亡くなる2年前の79歳にまでの間に「江戸に学びに行かせてくれ」という旨の嘆願書を4度も書いていたという記録があり、学問に対する尋常じゃないエネルギーを感じました。

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芦東山について知ると、碑の前で一杯飲めそうな気になります。

以上、「室根山と芦東山」をご紹介致しました。いかがだったでしょうか。

逆境の中で生み出した教育刑という思想がスタンダードになった現在の世を、それを示した本人の芦東山に是非見てほしかったものです。

また、山の眺望が人間に強い感情をもたらすのは、時代によらないのだと思いました。


謝辞


本記事にある、芦東山の詩「室根山に登る」の解釈について、お二方のご協力を頂きました。

芦東山記念館にて、友人の菅原さんには、芦東山についてあまりにも丁寧な説明をして頂き、「室根山に登る」に関する資料も提供して頂きました。


芦東山記念館で芦東山の研究をされている張(チャン)さんには、詩の背景となる芦東山に関連する情報を、詳細に教えて頂きました。

お二人のご協力無くして、この記事執筆、そして、私自身の詩に対する深い理解・感動を得ることはできませんでした。

心より御礼申し上げます。

最後に、ここまで読んで頂き、ありがとうございました!


リンク

【芦東山記念館】
https://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/6,18372,146,html

【芦東山 ウィキペディア】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%86%E9%87%8E%E6%9D%B1%E5%B1%B1

【室根山観光ガイド】
※冬季は積雪のため、5合目以降は通行止めになり頂上へは行けません。
http://www.muronet.co.jp/sightseeing/