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『弱い趣味』の心地よさ



趣味って難しい。

なんとなくそんな空気を醸し出している『趣味』というもの。

『趣味ってなんですか?』

と聞かれたときに、なんとなく困った感じになって、ううむ...と言葉をなくした人はきっと少なくないはず。

先日、友人たちと一緒に八ヶ岳旅行に行っていて、旅の最後にそんな話になった。

最近の自分にとって、趣味というものは『本を読む』くらいの気軽なもので、そんなに大きなものではない。

本を読むって言ったって、月に一冊、多くて三冊くらいなので、別にたくさん読む方じゃない。

でも、本を読むことは好きな方なので、趣味と言えるのだと思う。



同じ様な気楽さで、ギターを弾いたり歌を歌ったりしている。

特別にレベルアップしたいという強い欲求はなくて、暇なときにキッチンでギターを爪弾いたり、口ずさんだりしていることがある。

もちろんまったく向上心がないわけではなくて、これは練習のたぐいのものなのだけれど、とても緩やかなものなのである。

休みの日に寝起きとともにギターに触りたくなるときもある。

ここでポイントなのは『弾きたい』のではなく、『触りたい』というくらいのものだということ。

『弾く』というのはちょっと強い感じがする。

『触る』くらいの柔らかさがちょうど良い。



はたまた、わたしは相撲をみる。

うちにはテレビがないので、スマホで相撲をみる。

しかも、だいたい時間的に夕食の準備をしていることが多いので、料理をしながら相撲をみる。

特別に詳しいわけでもないし、国技館に足を運んで観戦するほどのファンではないけれど、それでも相撲をみることが好きなので、これは趣味だと言えると思う。

ただ相撲をみること、これだけでも趣味といえるけれど、『料理をしながら相撲をみる』というセットにしてみると、よりしっくりくる。

そのくらい、わたしにとって相撲とは緩やかに触れているものなのである。



ここ数年学んでいるコンテンポラリーダンスはというと、これよりも少し強い感じがする。

なにかしらの意志を持って学んでいるので、趣味以上な立ち位置にありそう。

それでも、強くダンスにコミットしているわけでもなく、明確な目標も野心のようなものもほとんどない。

そういう意味では結構弱い。

間違いなく、いまのわたしを構成している一部ではあるけれど、決して軸足ではない。

だからといって、軽んじているわけではなく、けっこう大切なものの一つだったりする。

弱いけれど、大切なもの。



『弱い趣味』というのは、なかなかと気軽でいい。心地よい感じがする。

でも、世の中を見渡してみると、『強い趣味』を持たなければならないような気がしてしまうことがある。

それはきっと、『強い趣味』っぽいものを持っている人が目立っているからで、実態がどうであるかどうかはさておき、そういうものが勝ち組なような気がしてしまうからなのだと思う。

もう少しマイルドな言葉を使えば、そういう人に憧れを抱いてしまうからなのだと思う。

だから、わたしも含めて、多くの人は趣味を聞かれると考え込んでしまうし、もっとわかりやすくコミットしているものじゃなきゃ行けない気がしてしまう。

趣味のハードルが高いのだと思う。



趣味ってものは、生活や暮らしの中に漂っている、あるひとときを切り取ったものでいいのだと思う。

たとえば、買い物に行くこと。

買い物に行くためにチャリンコを乗る。

田舎であれば、山の彩りを眺める。

都会であれば、お気に入りのカフェに寄り道をする。

好きな音楽を聴いて、それを口ずさむ。

スーパーに行き、野菜が高いからと他の食材を探してみる。

ちょっとしたスパイスを買ってみる。

そういう些細なひとときを切り取ったものを趣味とすれば、そんなに大きなものじゃなくていい。

キッチンでギターを触ることだって、趣味だし。

料理を作りながら、スマホで相撲を観ることも趣味になる。



趣味とは、とあるひとときを切り取ったもの。

その弱さは心地よい。

なんでもありな感じがしてきて、なんだか探すのが楽しくなりそう。

たくさんの趣味に埋め尽くされる日常はとても豊かなのだと思う。




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さっとん|渡邉諭
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