見出し画像

『上手くやろうとする』ことで、人は等身大のものから離れていってしまう。



今日は起きるのが遅くなってしまって、もう少し寝付けなそうでいる。いつもなら23時をまわれば眠くなってしまうので、日を跨ぐことはあまりないのだけれど、今日はもう少し暇である。

暇なときは何をしようか迷う。SNSは見飽きたし、漫画アプリを開こうにも夜に読むには少し刺激が強すぎる気がする。本を読むのはいいだろうけど、頭を使うのは面倒だなと思う。だったらどうしようか。文章を書くのはどうだろうか。暇なときに文章を書くのはいいことかもしれない。なんでこれまでやってこなかったのだろうかな。



先ほど近所にあるローソンに行ってきて、体に悪そうな酎ハイをステンレスのタンブラーに注ぎ、きっと中毒性の強いであろうその化学物質のシュワシュワしたやつを飲みながら、文章を書こうとする。少しずつ意識は朦朧としてくるだろうから、まともなものは書けないのだろうけれど、それでも暇だから文章を書くというこういは悪くないなと思う。



今日はいつものブルーベリーの黒岩さんのところに行って、ギターの練習をしてきた。練習といっても、どちらかというと音響のチェックというか、このあいだの演奏の反省兼確認というか、音響の確認をしてきたのでした。

おうちでばかり練習をしていると、どうしてもPAを使っての演奏に慣れなくて、本番で思ったように演奏できなくなってしまう。こればっかりは経験で補っていくしかないと思うのだけれど、本番で行き当たりばったり的に学んでいくのも芸がないので、できることならば事前に確認をしておこうと、音響を借りて確認をしてきたのです。


黒岩さんが撮ってくれた




先日のオープンマイクでの演奏はなかなか良かったのではないかなと思う。その前の収穫祭での演奏でのことを反省して挑んだこともあって、回数を重ねることに上手く修正できているような気がする。


こちらはGOKUさんが撮ってくれた



今回意識したことは『読むこと』なのだけれど、それはその方がたどり着きやすいというだけで、本当は『上手くやろうとしないこと』が本質なのかなとも思う。なにを言っているのかよくわからないだろうけど、今のところ『上手くやろうとしないこと』が最も上手くやれるための方法なのかなと思っている。

『上手くやろうとする』ことで、人は等身大のものから離れていってしまう。人に何かを与えるには等身大である必要があって、下手くそは下手くそのままでいる必要がある。下手くそが下手くそのままで表現すれば、それは人間として人間らしい生々しいものとなる。でも、下手くそが上手くやろうと背伸びをしてしまうと、その人間らしさが見事に消えてきしまうのだと思う。

『上手くやろうとしない』ことは難しいことなのだと思う。だって、みんな上手くなりたのだもの。もちろん上手くなることは大切なこと。いつまでも下手くそのままでもいられない。でもやっぱり等身大であることの方が大切で、その等身大を積み重ねた結果にその等身大の底上げが行われるのが、いわゆる『上手くなる』ということなのかなと感じるのです。


そんなことを考えて、常日頃どうすればそんな状態でいられるかを試行錯誤している。『上手くなろうとしない』ことは思った以上に難しいのだ。だって私たちは、誰かよりも上に立ちたいのだから。




いつもご覧いただきありがとうございます。ご支援いただけると活動の支えになります。