甘いタリウムは必然の香(4)

 序章 ホームズとの出会い

  4.意図的な必然


 事件から一週間後に不破が無事に退院して、オークション同好会が催した退院祝いの宴席に有田とホームズも招かれた。

 大学生の宴席にしては、大衆的な居酒屋の大部屋ではなく、寿司屋の座敷を借り切っての豪勢なものだった。なんでも、不破の実家は結構な資産家であるらしい。
 同好会メンバーは、名古屋を除く全員が参加しており、それ以外にも不破の友人らしき学生が十人程居て、賑やかな会話があちこちで繰り広げられていた。

 ホームズは、最初こそ有田の横に座っていたが、「飲みっぷりがいい」と盛り上がり、何人もの学生と飲み比べをしている。いまや宴席の中心に居て、主役の座を完全に食ってしまった雰囲気だ。有田は、前の席に座った水野部長にビールを注いでもらいながら、美味しい料理を堪能していた。

 体格のいい男子学生を数人ダウンさせたホームズが、有田の横に戻ったのを見計らったように、ビール瓶を持った不破がふたりの前へやってきた。
「結城と有田。お前たちがいなかったら俺は死んでいたかもな。本当にありがとう」
 頭を下げながらビールを注いだ。
「私のことはホームズって呼んでください。皆さんそう呼んでいますから」
 既にかなりの量の酒を飲んだであろうに、頬をピンクに染めた程度のホームズは機嫌が良さそうだ。
「ホームズか……。名前負けしない名探偵らしい活躍だったそうだな。俺もお手並みを拝見したかったよ」
 それを聞いたホームズはグラスを一気に煽ると、不敵な笑顔を浮かべた。
「少し推理してみましょうか」
「やってみてくれ」
 不破も興味津々で膝を乗り出してきた。
「不破先輩は金属アレルギーですよね」
「そうだけど、どうして知っているんだい? 知っている人間は少ないはずだぞ」
「不破先輩はアクセサリー類を身に着けていないし、暑い中、やきそばを作っているときにも軍手をしてコテを使っていましたからね」
「そうか……ホームズの洞察力には恐れ入るよ。だから救急車の中や病院でも、金属の器具を使わないで処置してくれていたんだな。重ね重ねありがとうな」
 不破は、隣に居る水野にも笑顔でビールを注いでいた。
「あと、不破先輩はリサちゃんと付き合っているわけじゃないですよね」
 不破が入院している間、リサが毎日お見舞いに行っていたことは、有田も知っている。少なくともリサは不破のことが好きなんだろうと思っていたが、なぜこのタイミングで話題にするのか違和感があった。
「そうだな。じゃあホームズは俺が誰と付き合っていると思う?」
「簡単ですね。水野さゆり先輩でしょ」
「え! なぜ知ってるんだ?」
 真っ赤な顔をさらに赤くした不破が慌てた声をあげると、隣に座っていた水野が不破の背中を平手で叩いた。
「そんな簡単な誘導尋問に引っかかってんじゃないわよ!」
 そう言う水野も顔を真っ赤にしている。話を耳にした周囲からも歓声が上がった。
「誘導尋問じゃないですよ。推理です」
 ホームズはしたり顔で頷いたが、有田にはさっぱりわからない。
「なに、なに……、どういうこと?」
 間の抜けた声を出した有田に、ホームズが説明した。
「未明君の鈍感さにも呆れるわね。先週、不破先輩を抱え起こす姿を見て、水野先輩にとっては大事な人なんだろうなってわかったわ。水野先輩も金属製のアクセサリーを身に着けてないですよね。それに……今も隣同士の席ですけど、その密接距離は『友達以上』のものですよ」
 ホームズが水野に向けて軽くウインクすると、ふたりは慌てて距離を取った。
「えっ? じゃあ……」
 有田がリサの姿を捜すと、末席近くで沈んだ表情をしてウーロン茶を飲んでいた。不破と水野の交際を知って落ち込んでいるように見えた。

 有田の視線を追って、ホームズもリサの姿を見つけたようだ。
「リサちゃん。こっちに来ない?」
 ホームズが明るい声で呼ぶ。
 有田は、「そっとしといてやれよ」との思いを込めてホームズの顔を見たが、何食わぬ顔をしている。
 俯いたままのリサは、「心ここにあらず」の表情でホームズの隣に座った。
「リサちゃんは、さっきからあまり楽しそうじゃないわね」
「そんなことないです。不破先輩が無事に帰ってきてくれて安心しました」
 慌てて明るく答えたが、有田は「安心」の言葉に微かな違和感を覚えた。
「リサちゃんには、もっと心配な人がいるみたいね」
 ホームズがリサの肩を抱いて優しく言うと、リサは堪えきれなくなったように泣き出した。
「はい……本当は名古屋先輩が心配で心配で……不破先輩がもし死んでいたら殺人犯になっちゃうから大変なので、無事に退院してきてくれて本当に安心したんです……。それでも殺人未遂だから無事では済まないだろうけど……名古屋先輩が、今もひとり寂しく拘置所にいるのかと思うと素直に喜べないんです」
 泣きながら告白したのを聞いて、水野が息をのんだ。
「一平君が好きなの?」
 リサは目を伏せたまま小さく頷いた。
「そっか……一平も根は優しくていい奴だもんな」
 しんみりと言ったのは不破だった。

《このまま死刑とかになっちゃうのかなあ……》

 空気を読まない誰かが呟いたのを聞いて、リサがまた泣き出した。
 水野が声の主を睨んだあと、不破の顔をのぞき込んだ。
「一平君に恨みとかないの?」
 不破の真意を確かめる口調だ。
「俺は恨んでなんかないよ。だって、そもそもの発端は俺がリサと仲良くしていたからなんだろ? 俺も一平に見せつけるような態度をとっていたしな。さゆりと付き合っていることを隠していたのも原因だよな……。悪いことしたのは俺かもね」
 自分が殺されそうになったことなど忘れたかのように神妙な声で答えた。
 さっきまで大騒ぎしていた宴もいつの間にか静まり返り、リサのすすり泣く声だけが響いていた。

「そうね。一平君もついこないだまで仲間だったんですもの。彼のために何かできることはないかしら……リサのためにも……」
 水野が真剣な顔で呟くと、それまでリサの背中をさすっていたホームズが突然口を開いた。
「減刑嘆願書という手段がありますよ」
『減刑嘆願書??』
 不破と水野が同時に声を上げた。
「そうです。被害者から減刑嘆願書が提出されれば、大きく減刑される可能性があります。場合によっては起訴されないことだってあります」
 ホームズがリサに微笑みかけながら言うのを見て、有田はやっと気が付いた。リサを呼び寄せたのは、この流れを作るためだ。不破の気持ちもリサの気持ちもわかったうえで、名古屋を救いだす心理操作だったのだ。
 早速、法学部一の才女ホームズの指導により完璧な減刑嘆願者が作成され、不破自身の手によって検察へ届けられた。初犯で反省している情状も酌量され、起訴猶予による不起訴処分となった名古屋一平は、無事に大学へ復帰することができたのだった。

      (第一章へ続く)

これで大学時代の回想編は終わりです.
いよいよ本格的な殺人事件が発生します。

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