甘いタリウムは必然の香(10)

 第二章 ふたり目の犠牲者

  2.聞き込み(世田谷)


 真鍋の水死体が発見された翌日、有田と野沢に加えてホームズの三人が倉見の屋敷を訪ねると、未亡人の彩花はひとり暮らしを謳歌していた。

 色白な細面で背が高く、髪を結いあげた和服姿が似合っている。踊りのお稽古帰りだという彩花は、習い事やランチ会などを楽しむ優雅な毎日を過ごしているようだった。年齢は四十二歳なので、倉見雄一郎が五年前に六十五歳で亡くなったことから考えても、随分歳の差がある結婚をしていたことになる。
 有田は、こんな美人が五年間もひとり身を通しているのは不思議だと思った。

 門をくぐって和風庭園の横を通り抜けると、荘厳な純日本建築の平屋建てが目に飛び込んできた。
 玄関ホールの一角にあるテーブルに案内されたが、十人がゆったり座れるスペースがあって、ここだけでも有田の住んでいる部屋より広い気がする。綺麗に掃除の行き届いた庭や屋敷を見る限り、手入れをする使用人も、ひとりやふたりではないだろう。


「すみません……十六年前というと、私が結婚してこの家に来たばかりでしたから、主人の運転手さんまではよく覚えていないのです」

 野沢が差し出した真鍋の写真を見ながら彩花は答えた。

「運転手さんは住み込みだったわけではないのですね」
「そうなのです。主人は秘書の方ですら限られた方しか屋敷に入れることを嫌がっていました。毎朝玄関先まで秘書の方がお迎えにきていたので、私は運転手さんの顔をほとんど見かけたことがないのです。いえね……まったく見たことがないのかと言えばそうではないのですよ。パーティの後とか、主人が酔っていて連れてきていただいた際などに挨拶くらいはしたことがございますけど……」
 彩花の視線は真鍋の写真を向いておらず、昔を思い出して感傷にふけっているように見えた。
「一昨日の夜から朝にかけて、どちらかに行かれましたか」
 有田の質問に、彩花は首を横に振った。
「いいえ。私は運転免許を持っておりませんし、今は運転手さんもお願いしていませんので、夜に出かけることはほとんどありません」
「出かけるときはタクシーをお使いですか」
「急用の場合はタクシーを呼びますけど、普段は電車ですわ。ここは閑静な住宅街ですけど、駅まで近いのですよ」
 淀みなく丁寧な言葉遣いが堂に入っているのは、代議士夫人としての経験だろうか。

「それでは、この女性に見覚えはないですか」
 有田が差し出した早苗の写真をしばらく見入っていたが、首を横に振った。
「いいえ、お会いしたことはないと思います。このお綺麗な方が何か?」
「いえ、ご存知なければ結構です。それでは真鍋さんのことで何か思い出したら警察までご連絡ください」
 有力な情報を期待できないと判断した有田が丁重に挨拶して帰ろうとすると、ホームズが口を開いた。
「倉見代議士といえば、私でも知っているくらいの大物政治家さんでしたよね。秘書の方って何人くらいいらしたんですか」
 突然の質問だったが、彩花は嫌がるそぶりも見せずに、
「そうねえ、私も何人いらっしゃったのか存じ上げなくて……」
 そこで彩花は、本当に自分でもおかしくなったのか「フフフ」と笑った。
「だってね、この屋敷に出入りする秘書さんは、主人がおふたりだけと決めていたみたいだけど、議員会館でお仕事する秘書さんもたくさんいらしたみたいなの」

 彩花は本当に政治とは無関係の生活を送っていたようだ。
「その頃、このお屋敷に出入りしていた秘書の方って、烏丸幸次さんと山科大介さんのおふたりですよね」
 ここに来る前にあらかじめ調べておいた当時の私設秘書の名前をホームズが確認したとき、彩花の頬がわずかに動いた。
「……そうです。おふたりともとても良くしてくださっていたのに……」
 彩花が言葉を詰まらせた。
「何かあったのでしょうか」
 ホームズが促すと、彩花は記憶を辿るように話し始めた。

「烏丸さんと直接お話したのはそんなにありませんけど、奥様とは私と年齢が近いことで、主人が私のために引き合わせてくださったのです。それ以降、時々は屋敷に来てもらって話し相手をしてくださいました。名前は香織さんといって、それは良く気の付く方でして、私が代議士の妻として最低限するべきことなどを丁寧に教えてくださいました。それなのに突然の事故でご主人と一緒に亡くなってしまって……それはもう一週間くらい泣き塞ぎましたわ。いえ、私なんかよりもっと悲しい思いをされたのは、残されたお子さんたちですよね。下のお子さんなどは二歳の誕生日前だとかで、お葬式のときもあどけなく笑って周りの涙を誘っておりました。私は烏丸さんのお子さんたちを引き取って育てたいと申し出たのですが、主人に反対されてしまって……。その後、主人との間に子どもを授かりませんでしたから、今にして思うと、あの子たちを引き取っていれば私も寂しくはなかったのに……」

 彩花は涙を拭い、ひと呼吸置いて話を続けた。
「山科さんは、かれこれ二十年くらい主人の秘書をなさってくださいまして、主人の片腕だった方です。五年前に主人が亡くなったときに『後継者として出馬を』と、後援会や私が強く勧めたのですけど、『まだまだ勉強不足ですから』と断られたのです。今は小嶋道博先生の秘書をされていますけど、次の選挙では小嶋先生の後を継いで山科さんが出馬するだろうと噂で聞きまして、喜んでいるところです」

 山科の話をする彩花は、明るい表情に戻っていた。
「ところで……あなたも刑事さんなの?」
 ホームズの刑事らしくない態度に、彩花が首を傾げた。
「いえ、私は有田刑事の友人で私立探偵をしている結城といいます。皆さんからは『ホームズ』って呼ばれています」
「あらまあ、かわいい探偵さんですわね。タータンチェックのケープが、いかにもシャーロック・ホームズさんみたいで素敵」
 初めて見る私立探偵に興味津々の彩花は、ホームズにいろいろ聞きたい様子だったが、これ以上の収穫はないと判断した有田は彩花に礼を言い屋敷を後にした。


 倉見の屋敷を出ると、運転席の野沢が手帳をめくりながらホームズに尋ねた。
「烏丸さんは亡くなっていますが、山科さんは練馬に住んでいるので近くですね。このまま行きますか?」
 まるでホームズの秘書のようだ。
「そうね。山科さんにも是非会っておきたいわ」
「承知しました」
 野沢は正面を向き直り発進した。どうやら秘書と運転手のひとり二役らしい。

 ホームズがスマホの画面を繰りながら、彩花の横顔や屋敷内の写真を見ていた。
「おいおい、いつの間にそんな写真を撮ったんだい? シャッター音もしなかったようだけど盗撮は感心しないな」
「シャッター音を消すくらいは脱獄すれば簡単よ」
「脱獄?」
 有田が驚いて聞き返した。
「スマホのOSを書き換えて能力を最大限に発揮させることよ。メーカー保証がなくなっちゃうけどね」
 有田の知らない言葉を平然と使うホームズは、パソコンやスマホを自在に使いこなすITエキスパート女子でもある。
「警察官としては聞き逃せない不穏な言葉だな……」
 有田のひとり言は、聞こえているはずなのに見事にスルーされた。

「未明君は玄関の棚に飾られていた日本人形に気づいた?」
 ホームズがスマホの写真を示しながら言った。
 有田が覗き込むと、四角い木の台座に立っている日本人形だった。倉見邸の玄関のようだが、あいにく有田の背中側にあった壁だ。
「いや、見てないな」
「だと思って写真に収めたけど、これって西陣織の端切れじゃないかしら」
「えっ? それってさなえから消えた人形なのかな」
「それはわからないわ。同じ人形なんてたくさんあるでしょうしね。それと、未明君も翼君も、彩花さんの頬がピクッて動いたのを見ていたでしょ」
「もちろんさ。仲良くしていた烏丸さんの奥さんを思い出したんだろうな」
 有田が得意げに答えると、野沢も前を向いたまま大きく頷いた。
「違うわよ。彩花さんが反応したのは、山科さんの名前が出たときなのよ。これから行って確認しなきゃね」

 ホームズがワイドショー番組のレポーターにでもなったかのようにはしゃいでいる姿を見て、呆れるばかりだったが、「おいおい殺人事件の捜査なんだぜ」という言葉は飲み込んだ。

      (続く)



今の段階では「みんな怪しい」感を演出したいのですが……

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