甘いタリウムは必然の香(31)

 第七章 十六年前の真相 

  3.黒幕は誰


「そんな……」
 またも美里が泣き崩れたとき、
「許せない……」
 と、拳を握りしめて泣いている麻紀を見て有田は不思議に思った。

「ミサトさんは、ご両親の命日を知ってる?」
 ホームズの質問に美里はかぶりを振った。
「いいえ……聞いても誰も教えてくれなかったんです。でも秋から冬にかけての季節なんじゃないかと薄々は感じていました。それで、私の誕生日と近いか同じくらいだから、周りが気を使って教えてくれないのだろうと考えるようになって……だから私、自分の誕生日が嫌いになったんです」

「烏丸さんご夫妻が亡くなったのは、十六年前の十月二十三日だ」
 剣崎が心苦しげな口調で告げた。
「やっぱり……」
 複雑な表情で美里が呟く。

「ところで、麻紀さんが三鷹霊園でミサトさんに会ったのは偶然?」
 ホームズが今度は麻紀に質問した。
「それは……」
 と、一瞬ためらったが、ホームズの表情から「隠しても無駄だ」と読み取ったようで、諦めたように話し始めた。

「あの日が両親の命日だったんです。これまで私以外のお参りはなかったのに、昨年から私の知らないお花が供えられるようになったので、それが誰だか確かめたくて朝から見張っていました」
「誰だかわかったの?」
 ホームズが重ねて聞くと、
「いえ……その前に……」
 と、美里をチラリと見て俯くと、黙り込んでしまった。

「麻紀さんはミサトさんが妹さんだって、知っているのよね」
 ホームズが優しい声で、麻紀に語りかけるように言った。

 はっと顔をあげてホームズの顔を見つめていた麻紀は、すべてを知られていると観念したかのように頷き、静かな口調で話し始めた。
「美里という名前の妹がいたことは覚えています。でも名字が変わっているとは知らなかったので、いくらSNSで探しても見つからないはずですよね。でも会えばわかるんじゃないかと街に出て捜したこともありました」
 各地の防犯カメラに捉えられていた不審な行動は、妹を探していたのだ。

「そして先日、三鷹霊園で見たときにすぐに美里だとわかりました。母にそっくりなので間違えるはずがありません。だから不審な男に尾行されていると思って助けなきゃと思ったのです。それが……山科さんだったので、先日はびっくりしました。直後にホームズさんが倒れて大騒動になったし……」
 それを聞いて、泣き塞いでいた美里が顔を上げた。

「麻紀さんが……私のお姉さん? きょうだいがいるなんて聞いたことない……」
 美里も驚いているが、ホームズ以外の全員が驚きの表情を浮かべた。

「そう。私も三日前にご実家の仏壇にあった烏丸さんご夫妻の写真を見て驚いたけど、麻紀さんは幸次さんによく似ているし、ミサトさんと香織さんにいたっては、双子かと思えるほど瓜二つなのよね。山科さんがミサトさんを初めて見たときの顔は、香織さんと生き写しで驚いていたんですね」
 ホームズに問いかけられた山科は、俯いたまま肯定の意思を示した。

「おばあちゃんちで、両親の写真なんて見たことないですよ」
 美里が、すがる目つきでホームズを見ている。
「それはきっと……ミサトさんが居る間は、悲しい思い出を見せないようにしていたんだと思うわ」
「そんな……」
「ミサトさんには、かえって辛い思いをさせてしまったみたいだけど、おばあちゃんを責めないでね。良かれと思ってのことだから」
「はい……」

 思いもよらない場所で姉妹の再会を果たした美里と麻紀は、しばらく黙ったままお互いの顔を見つめあっていたが、麻紀がゆっくりと話を続けた。

「私は、両親が亡くなった当時十歳で、既に小学校に通っているとの理由で下関にある父方の親戚に預けられました。そのときに苗字が御厨に変わったのです。美里が母の実家に引き取られていたということは、先日三鷹で初めて聞きました。私も北アルプスにある母の実家には行ったことがあるのですが、まだ小学生でしたし、『すごい山道を通ってる』という記憶しかなくて……。しかも、地元の大学まで通わせてくれた御厨の養父母に対する恩がありましたので、大学を卒業するまで美里や母の実家を探すことを言い出せなかったのです。大学を卒業するときに両親のお墓の場所を教えてもらえましたので、東京に来て三鷹霊園近くの教諭になりました。両親の命日が十月二十三日だと子どもながらに覚えていましたので、下関にいるときから毎月の命日には東京の方を向いてお参りしていましたが、東京に来てからは毎月必ずお墓参りをしていました。いつかきっと美里に会える気がしていたのです」
 麻紀の話を聞きながら全員の目が潤んでいた。

「すまない。わたしがもっとしっかり捜査していれば……」
 剣崎が眼鏡を外し、目頭を押さえて麻紀に謝った。
「だから、剣崎警視の責任じゃないって……。当時の事件だけでここまでの繋がりを見つけ出すのは無理だと思いますよ」
 ホームズが、剣崎だけでなく麻紀と美里を勇気づけるように明るく言った。


「そうそう、もうひとつお土産があるの。『山ワサビの醤油漬け』って私は初めて食べたけど、ミサトさんはこれも大好物なんでしょ」
 ホームズはバッグから小さい瓶を取り出した。

 さっきまで泣いていた美里が気を取り直すように涙を拭うと、瓶の中にある摩り下ろしたものを少し口に入れた。
「やっぱり辛っらーい、でもすごく美味しいわ。おばあちゃんの味だ。私ね、小さい頃から大好きで、これさえあればご飯を何杯でも食べちゃうの」
 美里は、少し大袈裟気味に嬉しそうな悲鳴を上げた。
 麻紀も釣られたようにおそるおそる舐めていたが、あまりに辛いのか口直しのようにキノコスープを一気飲みしていた。
「美味しいよねえ。私は材料になる山ワサビの収穫から手伝って、作り方もおばあちゃんに教えてもらったんだよ。東京で育つかわからないけど、山ワサビの端っ切れも貰ってきたから育ててみるわ」
 ホームズは瓶の中身を口に運びながら、嬉しそうに美里と話している。

 辛いものが大好きな有田も、山ワサビの醤油漬けとやらを舐めてみたが、とんでもない辛さだった。普通のワサビと同じ感覚で食べてはいけないと思えるくらいの辛さだ。
「ホームズ……大丈夫なのか」
 有田が心配して尋ねると、
「大丈夫よ。辛いものが大好きな未明君のために、お土産としてもうひと瓶あるから心配しないで」
 ホームズが言う「大丈夫」の的外れ具合は、今日も安定して平常運行している。

「そうじゃなくて……ホームズは辛いものや苦いものがダメな『お子様味覚』かと思ってた」
「誰が『お子様味覚』よ、失礼ね。私は辛いものも苦いものも大好きですよ」
「でも……コーヒーにシュガーを入れるし、ここのカレーが辛いって言ってたじゃないか」
 有田が食い下がると、
「あのね……青酸カリなんて超苦いし、舌先に乗せただけで辛いを通り越して三日間くらいピリピリするんだからね」
 ホームズが平然と言うので、皆は驚きの目でホームズを見ている。
「いや、普通の人は青酸カリの味なんて知らないし、そもそも知る必要がないよ」
 有田が突っ込むと、全員が大きく頷いた。

「だったら、私が解毒薬としてしょっちゅう飲んでいる『センブリ茶』は、薬草だから知っているでしょ? あれなんか、胃液の何倍も苦いのよ。だから普通の食事のときには、できるだけ辛いものや苦いものを避けているだけですよ」
 ホームズの言葉を聞いて、楽しみにしていた『鳥やすでのチョリソー作戦』が泡と消えてしまい、有田は言葉を失っていた。


 そのとき、野沢が箱を抱えてやってきた。
「表に『貸切り』の札がかかっていましたけど、僕はいいんですよね」
 戸惑い気味な野沢に、ホームズが手招きした。
「翼君は、もちろんオーケーですよ。……というか、待っていました」
 そして、美里の隣に座るよう指さした。

 野沢が嬉しそうに美里の隣に座ると、ホームズが山科に問いかけた。
「あれ? 山科さんはキノコスープを飲まないんですね」
 さっきからキノコスープには手をつけていないようだ。
「僕はキノコが苦手なので遠慮しておきます……。それでは、話も終わったようだし、そろそろ失礼するよ」
 山科が腰をあげようとした。
 すかさずホームズが、山科を目で制して冷たい口調で告げた。
「まだ話は半分も終わっていませんよ。黒幕の話をまだしていないじゃありませんか」

 山科は浮かしかけた腰を下ろしたが、わざとらしい渋面をつくって腕を組んだ。
 しぶしぶ言う通りにしたんだぞ、と抵抗の意思表示をしているようだ。

「でも倉見雄一郎は亡くなっているんだよね」
 有田が言うと、皆が一斉に彩花の方を見た。

 彩花は、途端に居心地が悪くなったように困った顔をした。
「違いますよ。彩花さんは何も知らされてないと思います。もうひとりいるじゃありませんか。早苗さんに大物と呼ばれるくらいの人物が……」



 ホームズはひと呼吸置いて、
「山科さん、あなたですよ」

 ホームズの言葉にベイカー街は静まり返った。

      (続く)

「やっぱり」ですよね^^;

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