甘いタリウムは必然の香(8)

 第一章 はじまりの事件

  4.聞き込み(品川)


 次に、真鍋が経営する品川の運送会社に向かった。
 田端から品川へ行くのに、内回りか外回りかを確かめるために路線図を見ると、ほぼ反対側に位置している。電車で三十分とは、かなり遠くまでわざわざ飲みに来ていたことを再認識した有田だった。

 真鍋の会社も経営が思わしくないのだろう。午後八時を過ぎて従業員がいなくなった事務所内で、ひとり書類の整理をしていた。
「こんばんは」
 有田がガラス戸を押して、にこやかに声をかけた。
「ああ、刑事さんか。まだ何かあるのかい」
 真鍋は有田をチラッと見ただけで無愛想に返事をすると、また下を向いた。
「もう一度事件の日のことをおうかがいしたくて……」
「何度も話しているけど、俺はあの日飲みすぎていて、電車に乗ったトコまでは覚えているが、その後屋台に寄ったことすら覚えていないんだ。勘弁してくれよ。屋台の親父さんが証言してくれなかったら、俺のアリバイなんか自分でも説明できなくて、危うく殺人犯にされちまうトコだった。もう疑いは晴れたんじゃなかったのか」
 真鍋は下を向いたまま不満をまくしたてた。これでは表情が読めない。
「いや、真鍋さんに犯行が無理だということは、警察としても理解しています。今日は、さなえに居たときの事をもう少し……」
 有田の言葉を引き継ぐように、ホームズが口を開いた。
「安岡早苗さんとは昔からの知り合いだったんですか」
「いや……最近になって通い始めたばかりだったんだ」

 真鍋が顔を上げながら答えて、初めてホームズに目を向けた。
「誰だ? あんた」
「有田刑事の知り合いの私立探偵です。ホームズっていいます」
「探偵? あんたなんかが殺人事件に首を突っ込んで大丈夫なのか」
 真鍋が不思議に思うのも無理はない。ホームズは女性の中でも小柄な方なので、探偵みたいなタフなことをしているようには見えない。しかもさっきまで飲んでいたビールが効いて、ほんのり桜色の頬をしているし、ダウンジャケットとジーンズ姿とくれば、とても捜査に同行しているように見えないだろう。
「大丈夫です。こう見えて私、頑丈なんですよ」
 ホームズがいろんな意味で頑丈だと有田は知っているが、真鍋は首を傾げたままだ。
「真鍋さんって、随分遠くまで飲みに出かけているから、てっきり昔からの知り合いかと思っちゃいました」
 あっけらかんとした口調だが核心の疑問をぶつけている。
「そんなことないよ。半年くらい前に取引先の社長に連れられて行っただけだよ。そんなに親しくしちゃいない」
 暖房が効いているとも思えないのに、真鍋は汗ばんでいた。
「真鍋さんがお店にいたのは二時間くらいなんですよね。その間、早苗さんの様子に変わったことは見られませんでしたか」
「別に……普段から明るい女将だったからな。ただあの日はいつもより、ちいっとばかり上機嫌だったようだけど、ビールを飲みすぎていたんじゃないのか」
 ホームズの質問テクニックによるものなのか、真鍋は真面目に答えている。
「そうなんですか……早苗さんは、近々お店をリフォームする気だったみたいですね。お客さんは多くなかったようですけど、どこからかまとまった収入の予定でもあったんですかねえ……」
 ホームズがひとり言のように呟いて、真鍋の反応を見ていた。
「それはないんじゃないか。ずっとリフォームしたいとは聞いていたけど、夢物語を話しているんだと思っていたよ。あそこは狭いけど満席になることはなかったし、ゆっくりできて良かったんだ。安く飲めるからたまに行く常連でも長居できる気楽な店だったよ。だけど、とてもリフォームできるほど儲けていたとは思えないな…………」
 そこまで話して口を閉ざした真鍋の微妙な目の動きを、有田もホームズも見逃してはいなかった。
「ずっと前から早苗さんは、そんなことを話していたんですね」
 ホームズが感心するように念を押すと、真鍋は慌てて額の汗を拭った。
「いや……もちろん半年前からのことさ」
「真鍋さんは信頼されていたんですね。常連になったばかりの人に、なかなかそこまで話しませんよね」
 ホームズがおだてるように話を繋ごうとしたが、真鍋は汗を拭うと冷静になっていた。
「もう勘弁してくれよ。俺だって忙しいんだ。帰ってくれないか」
 忙しそうに書類に向かったが、集中して仕事をしているようには見えなかった。

「最後にあとひとつだけ教えてください。さなえの『キノコスープ』って美味しかったですか? 私、キノコ大好きだから一度いただいてみたかったなあ」
 ホームズはニコニコしながら無邪気そうに尋ねたが、『キノコスープ』という言葉を聞いた途端に真鍋の顔色が変わった。
「知らん! 俺はキノコが大嫌いだからな!」
 先ほどまでとは別人のように大きな声だった。
「それに、俺は女将から『大物になれない人は嫌い』ってフラれたくらいの下っ端だからな。これ以上俺に聞いても無駄だ。帰ってくれ!」
 真鍋は、大きく肩で呼吸をしていた。
「フラれたってことは…………」
 なおもホームズが食い下がろうとしたとき、事務所の電話が鳴った。
 渡りに船とばかりに表情を社長の顔に戻して、真鍋は受話器を取った。どうやら取引先からのようで長引きそうだ。真鍋はふたりを見ると、「まだ居たのか」という顔をして、追い出すように手を払った。

「何かを隠しているとしか思えないわね……」
 真鍋の会社を後にしたホームズが呟いた。
「そうなんだ。最初の聞き込みのときから、捜査本部でも『何かを隠している』と睨んでいるんだが、それが事件に関係するのかわからないから、それだけで引っ張ってくるわけにもいかないんだよ」
 事情聴取の際に怪しい態度をとるのは、犯人だけでなく普通の人間にも見られることなので、それだけで容疑者になることはない。実際に真鍋を任意同行できるだけの材料はなかった。
「それよりホームズ……さっき『さなえにリフォームの予定がある』って話を真鍋にしていたよな。その前の鳥やすでも『儲けていたのでは?』なんてカマをかけていたようだけど、何か気になることがあるのかい?」
「さなえに改装関係の雑誌が不自然に多いなって思ったの。それにカウンターの横に張り付けられていた名刺で、リフォーム会社の人の二枚の名刺だけ、他のに比べて新しかったのよ。だから近々リフォームする計画があったんだろうなって思ったの」
「じゃあ、さっき真鍋が顔色を変えるくらいに反応した『キノコスープ』ってのは、いったい何だ?」
「それも、さなえの店内に貼ってあったでしょ。『キノコスープ復活しました』って……。そのメニューの紙もまだ白かったから、ここ一年くらいの間に再開したものでしょうね。それも『復活』っていうくらいだから、昔の看板メニューだったとか……」
 そういえば有田も、店内に整然と貼られていたメニューの中で、一枚だけ色褪せていないメニューがあったことを思い出した。


 ホームズの事務所に戻り、これからの捜査方針を打ち合わせることにした。有田としては、所轄の捜査本部よりここで考えを整理する方が落ち着く。
 ホームズはパソコンにスマホで撮影した写真を取り込みつつメモを加えて整理している。いつの間に撮ったのか、真鍋の会社の事務所内を撮影した写真もあった。
「今日の聞き込みで収穫はあったかい?」
「そうね。亀井さんも真鍋さんも、私の質問に必然的な行動を取ってくれたわ。亀井さんは完全にシロと思って間違いないでしょう。事件が解決したらまた美味しい焼き鳥を食べに行きたいわ。次は是非赤バラを、食べてみないとね」
 相変わらず独特な思考回路だ。こんなとき有田は、ホームズの頭の中を解剖して仕組みを見てみたいと思うのだ。
「怪しいのは真鍋さんね。早苗さんと出会ったのは、何年も前だと思うわ。キノコスープのことも絶対に何かを隠しているわね」
「参考人として呼べそうかな」
「それはまだ無理でしょうね。何が怪しいのかもわからないもの」
「明日の捜査会議で、真鍋に張り込みをつけてはどうか提案してみよう」
「私ももう一度真鍋さんと話ができれば、何を隠しているのか核心を探ることができると思うわ。それと、さなえのキノコスープがいつ頃のメニューにあったのかがわかるといいわね。そして、復活したのはいつからなのか……」
「わかった。そっちの方は、もう一度常連にあたって調べてみるよ」

      (第二章に続く)

どんどん事件が進みますよ。
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