甘いタリウムは必然の香(17)

 第四章 巣ごもり

  1.ネット捜査


「明日から引きこもるのでよろしくね」

 事務所に戻ったホームズが突然、『引きこもり宣言』をした。
 ホームズが引きこもるときは、事件に関してある程度の情報や謎のパーツが集まり、集中して整理する際にこれまでも何度か見てきた。
 本当に事務所から一歩も出ないで、ベイカー街から取り寄せるコーヒーとサンドイッチだけを食べて引きこもる。
 パソコンに向かいっきりになり、インターネットを駆使して思いもよらないことまで調べ、聞き込みの裏や矛盾点などを整理するのだ。

 引きこもり中のホームズは、電話もトークもメールも一切を遮断するので、用事があるときは事務所に来ないと連絡すらつかない。

「わかった、こっちの捜査状況に進展があったら知らせるよ」
 有田は事件解決が近いことを肌で感じて、事務所を後にした。



 十月二十六日、水曜日。有田が三日ぶりに事務所を訪ねてみると、ホームズはパソコンに向かっている最中だった。
 有田の捜査も終盤を迎え、女将殺しの容疑者になるような浮浪者や不良グループからの聞き取りもあらかた終えたため、夕方の早い時間に来ることができた。

「未明君、久しぶりね」
 ちょうどマスターがコーヒーを届けに来たばかりのようで、ひと息つくように有田の方を向き、ブラウンシュガーをカップに入れた。
「久しぶりと言ったって三日ぶりなだけじゃないか」
「そうなの? まだ三日しか経っていないのね。引きこもると時間の感覚がわからなくなっちゃうわ。未明君は相当疲れているみたいだけど、捜査は順調に進んでるの?」
「ああ、こっちは足を棒にして聞き込みを続けてきたおかげで、ようやく事情聴取がひと通り終わりそうだ」
 有田は腰を下ろし、ひと息ついて付け加えた。
「静岡で古谷さんから聞いた話の裏もほとんど取れた。真鍋とキノコスープがさなえから消えたのは、十六年前で間違いない」
「面白い表現ね。『さなえから真鍋さんとキノコスープが消えた』だなんて」
 久しぶりの引きこもりで相当気が滅入っていたのか、些細なことで笑顔を見せた。

「それと……事件に関係あるかどうかわからないけど、女将が殺された夜、午前一時過ぎに付近を走り去る車があったとの証言が出てきた」
「それって死亡推定時刻よね」
 ホームズが敏感に反応した。
「そうなんだ。ひとりのホームレスが、近所の飲食店の裏口あたりで食べ物を探そうとしていたときに、静かな音で車が走り去る音を聞いたと言うんだ。あの辺りまで車が入り込むことは珍しくて、不良グループのうるさいバイクの音に慣れているから、かえって静かな車の音が記憶に残ったと証言している」
「ふーん、急発進して走り去った車が怪しいって話は良く聞くけど、静かに走り去ったのに怪しいわけね……」
 ホームズはコーヒーを置いて、パソコンにその情報を入力した。

「私の方の情報としては、ミサトさんが出会った『御厨麻紀さん』が何者なのかだいたいわかったわよ」
「名前だけでわかるものなのか」
「御厨なんて珍しい名前だし、いろんなSNSやネットに流通しているあらゆる名簿をすべて検索したのよ。麻紀さんは、本名で登録するタイプのSNSにはほとんど書き込みをしていないけど、書き込みの共通点や友達として登録している人の書き込みとか、その友達が使っている他のSNSでの友達や、そのまた友達の友達まで、片っ端から調べたら絞り込めたわよ」
 有田にはさっぱり理解できないが、引きこもりホームズの真骨頂といったところか。

「出身は山口県下関市で地元大学の教育学部卒業。年齢は二十六歳で、武蔵小金井にある小学校の先生をしていて独身よ」
「そんなことまでネットでわかるものなのか」
「あら、もっと詳しくわかりそうだけど、確定したら報告するわ」
 ホームズの引きこもりはまだ続くようだ。
「さなえのキノコスープもネットで見つけてくれていたら簡単に裏が取れたのにな……」
 有田は何気なく愚痴を呟いてみた。
「あのね、SNSが今みたいに一般的になったのはほんの数年前からでしょ。十六年前といえば、招待状を送ってもらわないと会員になれないタイプのSNSが、やっと知られだしたくらいの時期なのよ。それに、あのさなえに通う常連さんがSNSに写真をアップする姿を想像できる?」
 ホームズが呆れた顔で答える。

 有田は肩をすくめて立ち上がると、話題を変える材料を求めて壁に貼られている写真に目を向けた。
「これらの写真って事件と関係ありそうなのかい? 見るからに何の脈略もない写真のようだけど……」
 そこには、品川埠頭やそこから見える橋、彩花が行ったと思われるフィットネスクラブの写真などが無造作に貼られていた。
「関係するかどうかを今、調べているのよ」
「いくらなんでも、フィットネスクラブは関係ないんじゃないか」
「あら、ジムの防犯カメラ映像から見ると、彩花さんって見かけによらずハードなウエイトトレーニングをやってるのよ。相手が女性なら、押し倒すことも、ナイフを突き立てることも、さらに引き抜くこともできそう」
 ホームズの棘のある言い方に有田は反応した。
「女将殺しの犯人だと言うのか? それはさすがに無理があるだろう」
「可能性を言っただけよ。刑事でも美人には甘くなるのね」
「そんなことないよ……」
 有田が答えたとき、ドアをノックする音がした。

      (続く)

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