謀略の狭間に恋の花咲くこともある #05

 (第三話)『遺書』前編



(これが見納めだろうな……)

 俺は、東洋電機本社ビルを見上げて、右手を胸に当てた。

 胸ポケットにしまった封筒の存在をスーツの上から確認して、正面入り口へと進んだ。
 今の時間はちょうど昼休みなので出入りが多く目立たないが、何人かの顔見知りが俺のほうを二度見している。社内中の噂になっているのだろう。気づかないふりをしてエレベータへ乗り込んだ。

 エレベータで一緒になった数人は、ひと言も声を発することなく降りていった。
 大会議室は十階だが、八階で降りて有田先輩の席に向かう。

「峰村課長、ちょうど良かった。これから十階に向かうところだ」

 俺の顔を見つけるなり、先輩がいつものように明るく声をかけてくれたが、呼び方はいつものじゃない。
 剣崎人事部長にも挨拶しようとしたが、先輩に背中を押されるようにエレベータホールへ出た。

「先輩、ご迷惑をおかけしました」
 エレベータが到着するまでに正面向いて深く頭を下げた。
「直樹、心配するな」
 先輩は、そう言ったきり黙った。
 やはり、留守番電話への録音といい、さっきといい、呼び方に意味があるようだ。

 十階の大会議室は、幹部へのプレゼンなどで見慣れた部屋だが、今日の俺にはどこか立ち入り難い重厚な扉に見えた。

「直樹の席はこっちだ」
 先輩は入ってスグ右側の席を指さした。広いエリアにテーブルもなく、イスがひとつポツンと置いてあるだけだった。

(被告席?)

「被告席みたいだろ?」
 俺の心を見抜いたように、申し訳なさそうに呟いた。
「辛いだろうけど、しばらくそこで演劇を観覧するつもりで座っていてくれ」
 先輩は穏やかな微笑みを浮かべると、入り口を挟んで反対側のテーブルにパソコンを置いた。人事課長としての業務はこの会議の書記だと以前に聞いたことがある。
 辞職勧告となって、胸の〝辞職願〟が役に立つのか、懲戒解雇となってムダになるのか、すべては一時間以内には決着するのだろう。先輩の穏やかな表情から読み取ることはできないが、俺には今更どうすることもできない。

 かなり落ち着いてきた。

 一時十五分を過ぎた頃から、ポツポツと出席者が入ってきた。
 俺は立ち上がり、ひとりひとりに深く頭を下げた。
 直属上司の利根川総務部長が入室した際には、俺をみて片手を上げてくれたが、剣崎人事部長はこちらを見ることもなかった。
 北山副社長、大谷常務、星野専務の三人からは、〝今日の被告〟の顔を確認するかのように凝視された。

 深井社長が一時半ちょうどに入室すると同時に、剣崎部長が立ち上がる。
「それでは、これより懲戒委員会をはじめます。本日の案件は総務部広報課峰村直樹課長の一件だけです」
 俺の名前が呼ばれたとき、深井社長が一瞬だけ俺を見たので、丁寧に頭を下げた。
 その後、監査室長が一連の不正行為の経緯を説明した。ほとんど俺が作成した報告書のとおりだが、よくそんな矛盾だらけのストーリーがまかり通ったもんだと我ながら感心する。


 いくつかの〝出来レースのような質疑応答〟が交わされた後、剣崎部長が懲戒規定とこれまでの実例を読み上げた。
 冷静に考えると、減給か停職くらいが妥当じゃないかと思ったが、続く剣崎部長の言葉は厳しい口調だった。
「以上の例から考えて、人事部門としては『懲戒解雇』が妥当かと考えます」
 いやに『懲戒解雇』の部分を強調した。先輩を見ると、キーボードを叩きながらも俺を見て笑顔でウインクしている。

「懲戒解雇は重すぎじゃないのかね」
 発言したのは、深井社長だったが、剣崎部長には想定内だったようだ。
「いえ、今回の案件は本社の課長級ということもありますが、粉飾の仕方が目に余ります。特に入社二年目の若手社員を陥れようとした手口は容認できません。当該若手社員は出社できなくなっているのです」
(ふっ……)
 俺が作成した報告書のシナリオどおりとはいえ、ここの幹部連中は納得するのだろうか。剣崎部長は大筋を自分で作っているだけに、矛盾に気づいてないのだろう。

「その若手社員というのは、広報課の笹原麻紀さんだね」
 それまで無言だった北山副社長が口を開いた。
「そうです。彼女は自宅に籠もって悩んでいるようです。現在は有給休暇として処理しています」
 その言葉を聞いて、利根川部長が手を上げた。
「笹原麻紀からは辞職願が届いています。日付は本日付ですので、人事部門で事後処理をお願いします」
「えっ!」
 俺も驚いたが、剣崎部長が大声で叫んだ。その件については想定外だったようだ。
「彼女の辞職願は無効だ! 峰村の罪を被ろうとして出されたものだから意味がない。そんなものを利根川さんは受理したのか。なぜ慰留しない!」
 次期専務の席を争うであろう剣崎部長が利根川部長を睨みつけて怒鳴った。
「これは、おたくの有田人事課長が直接受け取ってきたものだ」
 利根川部長の言葉に耳を疑った。剣崎部長も鬼の形相で先輩を睨んでいる。

 先輩が立ち上がった。
「はい。先週から笹原さんとは何度か面談して話し合いをしましたが、辞職の意思は固いようです。もちろんできる限りの慰留はしました」
 その言葉を聞いて、剣崎部長はますます顔色を変えた。
「なに! 君は上司である私に何の報告もせずに、なぜそんな勝手なことをしたんだ! しかもこの席上で君に発言権はない!」
 そのとき、北山副社長が柔らかな口調で話し始めた。
「有田君にこの件の調査をお願いしたのは私だ。『剣崎君に内密で』とも言っておいたので問題ない。それより剣崎君。有田君の調査では、峰村課長が不正を申告した報告書は君が書かせたものらしいが本当かね」
 真っ赤になっていた剣崎部長の顔が青ざめたように見える。
「そ、そんなことを副社長は信じるんですか。私がそんなことをするはずありません!」
「笹原麻紀さんも同じことを言っているらしいが」
「断じて私はそんなことをしていません。証拠があるんですか」
 誰の目から見ても剣崎部長は狼狽えていたが、最後の抵抗をしているようだ。

「有田君。まだ解析はできないのかね」
 北山副社長の催促に、先輩がまた立ち上がった。
「遅くなりましたが、つい先ほど解析ができたとのメールが届きました。峰村課長、笹原社員、そして剣崎部長の留守番電話装置のSDから消されていた内容が復元できたようです」
 剣崎部長が何かを言おうとしたが、北山副社長が手で制して続きを促した。
「知り合いの私立探偵に解析を依頼したのですが、不正経理が発覚して以降、剣崎部長から峰村課長に『不正は自分のせいにしろ』という会話が記録されています」
「嘘だ! そんな会話を留守番電話に残すものか!」
 剣崎部長が堪えきれずに大声を出した。
「これは留守録ではなく、会話の途中から峰村課長が録音を開始したもののようですね。不正経理発覚以降、剣崎部長から笹原社員宛の通話記録は残っていませんが、笹原社員の携帯電話番号から剣崎部長席への通話はあったようですから、剣崎部長と笹原社員は携帯電話を主に連絡手段として使っていたと思われます」

「峰村君。何か言うべきことがあるかね」
 利根川部長が俺の顔を見て、「正直に言いなさい」と言わんばかりに発言を促した。
 俺は、一瞬だけ迷ったが、先輩が力強い目で頷くのを見て立ち上がった。
「はい。笹原さんが経理ミスを見つけた直後に剣崎部長から電話がありまして、『すべて自分の責任にしろ。悪いようにはしない』と言われました。なので、土日をかけて笹原さんがやった処理をすべて自分が粉飾したよう資料を改ざんしました。粉飾の手順は細かいところまで剣崎部長から電話で指示があったのでそのとおりに報告書を作成しました。申し訳ありません」
 俺は一気にしゃべると深く頭を下げた。心がすごく軽くなった。

「まだあります」
 先輩がパソコンを見ながら発言を続けた。
「昨年、笹原社員が広報課に配属されて以降、数十度にわたり剣崎部長から笹原社員への通話記録がありますが、すべて消されています。どうやらふたりは個人的に食事などをしていたようです」
「男女の関係かね?」
 星野専務が少しゲスな顔つきでたずねた。
「いえ、通話内容からは詳しくわかりませんが、剣崎部長の誘いに、笹原社員は断り切れず食事だけ同席したと推測される会話のようです」
 剣崎部長が何かを言いかけて、力なくイスに腰をおろした。

 しばらく沈黙の後、北山副社長が口を開いた。
「さて、みなさん。以上の調査により、〝本当に処分されるべきは誰か〟おわかりですね」


 急転直下で剣崎人事部長の行為は、俺に対するパワハラと笹原に対するセクハラ行為があったと認められ、重大な規律違反により懲戒解雇処分となった。俺は経理書類を改ざんしたことを咎められ、自宅謹慎期間中の減給処分だけとなった。


 ――結果、胸ポケットの封筒は二通とも〝無駄〟になってしまった――


      (後編に続く) 

また違う登場人物の一人称視点です。

『遺書』ってすごいタイトルですけど、当時の短編コンテストの〝お題〟だったのです^^;

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