甘いタリウムは必然の香(18)

 第四章 巣ごもり

  2.山科の謎行動


「こんにちは」

 顔を覗かせたのは山科だった。
 今日もしっかり髪型を整えてスーツを着こなしている。

「山科さん、いらっしゃい。今日は何か御用ですか」
 ホームズが顔をほころばせて山科を迎え入れた。
「用事というほどではないのですが、近くを通ったので寄ってみました。ホームズさんも有田刑事も元気そうで何よりです」
 山科の社交辞令は、さすがに国会議員に立候補しようとしているだけのことはある愛想の良さだ。
「今は引きこもり中なのでここを離れたくないから、コーヒーを取り寄せましょうか。未明君も飲むわよね」
 有田は『ついで』の扱いに不満の表情を浮かべ、
「どうしてもというならお付き合いしますよ」
 と、精一杯の皮肉を込めて返事をした。
「私ももう一杯いただこうかな」
 ホームズは、ベイカー街に電話で注文を告げた。

 ほどなくして、元気に階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。
「こんにちはー」
 明るい声の美里がコーヒーを三つ運んできた。
「ミサトさん、今日は早いのね。もうバイトしてるの?」
「はい。ホームズさんの引きこもりのお世話がしたくって、即行で帰ってきたんです。私にできることがあったらいつでも声をかけてくださいね、引きこもりのホームズさん」
 美里はホームズが引きこもっていることすら楽しんでいるようだ。

「ミサトさんは、若さがあっていいわね」
「えーっ。私は早く大人になりたいんだけどな」
 美里があまりにも純粋そうに言うので、
「大人になったからって、背は伸びないんだよ」
 有田が、からかうように言った。
「わかってますよ。未明君って失礼ね」
 美里は有田を睨むと、頬を膨らませた。
「ホント未明君はデリカシーがないんだから……。ところでミサトさんにとっての『大人になる』ってどういうことかしら」
「はい。私、早く十八歳になりたいんです。十八歳になったら選挙にも行けるし、いろいろと大人の仲間入りができるって期待がたくさんあるんです。実は……明後日が誕生日なんですよ。もう待ち遠しくて……」
 美里は、両手を組んで祈る仕草をした。
「あら、じゃあミサトさんは明日から十八歳なのね」
「いえ、明後日なんですよ?」
 美里が首を傾げながら答えた。
「あのね、誕生日の前日に満年齢は一歳増えるのよ。だから法律上は明日から堂々と『十八歳になりました』って言えるのよ」
「えーっ! そうなんですか? 私、ずっと誕生日が来たら年齢が増えるんだと思ってました」
 美里は思いがけずに探し物を見つけたときのように嬉しそうな目をした。
「いいわね……私くらいになると、歳を取るのは一日でも遅い方がいいくらいだわ」
 ホームズは苦笑いしている。

「俺も今まで、誕生日で年齢が増えるものだと思っていたけどな」
 有田の言葉に山科も大きく頷いている。
「あら、選挙に出ようとしている山科さんは絶対知っておかなきゃいけないわ。投票日の翌日が十八歳の誕生日の人も、投票日時点で『満十八歳以上』となるから選挙権があるんですよ。貴重な一票じゃないですか」
 ホームズの説明によると、『年齢計算に関する法律』ってやつで、「年齢の計算方法は、民法の期間計算を準用する」となっていて、その民法では「期間の計算は、起算日に相当する日の前日で満了する」ようになっているらしい。だから「誕生日の前日になった時点で満年齢は加算される」という。さすがに法学部首席だっただけのことはある理路整然とした説明だ。
「ホームズさんって本当に何でも詳しいから大好き。私も早くホームズさんみたいな大人になりたいな」
 美里がそう言い、空になっていたカップを持って出ていくまで、山科は黙って美里の顔を見つめていた。美里は山科を初めて見るようだったが、明らかに山科には「見覚えがある」という感じだった。

 美里が帰ると、ようやく山科が口を開いた。
「選挙権年齢が十八歳に引き下げられたのは知っていましたが、投票日が誕生日までの人だと思っていました。長いこと秘書をやっているのに面目ない」
 頭を掻きながら言う山科は、本当に知らなかったようだ。
「山科さんは先日のお話から察するに、身の回りを警護する秘書さんだったのではありませんか? 選挙プロの秘書さんが議員会館にいらっしゃるでしょうから、そんな小さなことは知らなくても大丈夫なんですよね」
 ホームズが微笑みかけながらコーヒーを勧めた。

 山科がコーヒーを飲もうとして、テーブルの上にシュガーポットを見つけた。
「あれ? ここにもベイカー街と同じシュガーを置いているのですね」
 シュガーポットの中には、ベイカー街のものと同じ一センチ四方程度のブロック形で、いかにも手作りっぽい不揃いな形をしたブラウンシュガーが入っている。
「はい。マスターにお願いして同じものを分けてもらっているんです。私はこれを入れたコーヒーが大好きなんですよ」
 ホームズがにこやかに答えながら、ブラウンシュガーを二個カップに入れた。
「せっかくの美味しいコーヒーの味が損なわれませんか」
 山科も有田と同じことを思ったようだ。
「あら、マスターのコーヒーには、このブランシュガーが合うように淹れられているようで、本当にベストマッチなんですよ」
 また、ホームズがブラウンシュガー自慢をしているが、本当はコーヒーの苦みが嫌いなお子様なんじゃないかと有田は思い始めていた。
「そういえば、ウチにいらしたときもコーヒーにシュガーを入れていましたね」
 山科が笑いながら壁に目を移したとき、一瞬表情が変わったことに有田は気づいた。
 目を見開くというほどではないが、何かを見つけた表情だった。

「そうそう、ホームズさん。『引きこもり中』って何ですか。探偵さんが引きこもっていて大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫ですよ。私は中学生の頃、苛められていて引きこもりには慣れているんです」


 ホームズの「大丈夫」は相変わらずピントがずれている。
 有田は以前、ホームズが引きこもりしていた頃の話を聞いたことがある。小学生の頃から苛められていて、中学でとうとう登校拒否になった。苛められるようになったきっかけが、『毎日綺麗な洋服を着てくるお嬢様』に対するやっかみだったらしく、小学三年生の夏に綺麗な洋服を泥だらけに汚され、おまけに土まで食べさせられた。それ以来『白いブラウスにジーンズ』というワンパターンな服装しかしなくなったらしい。しかし、その事件がきっかけで土の味に興味を持ち、色んな土を味見することが楽しみになったようで、今では、「土の味を教えてくれたお友達に感謝したいわ」と、信じられないくらい明るい思い出として話してくれた。
 引きこもりになってからは、読書とパソコンを毎日やっていたらしい。文字どおり寝食を忘れて一日に二十時間くらい費やしていたとのことだ。興味を持てばとことん追究するのは今も変わっていないが、毒物に興味を持つようになった理由は聞いていない。聞くのが恐ろしい気もするが、ホームズに限って犯罪や自傷目的ではないだろう。

 その頃から毎日パソコンを使っていたおかげで、ITエキスパートレベルの技術と知識を身に着けた。しかも単に自宅に引きこもっていただけでなく、ネットを使った独学で名門高校に優秀な成績で合格した。高校では、苛められないようにと他人の心理を読み取ることが得意となり、それが高じて心理学の研究に興味を持ったとのことだった。
 法学部に首席で合格したり、理系も得意だったりとまさにスーパーウーマンなホームズは、「引きこもりによって誕生した」ともいえるのだ。
 探偵になった後もこうして引きこもることがあるので、有田はホームズの本名に掛けて密かに『巣ごもり』と呼んでいる。


「探偵といっても外に出て探し物するだけじゃなくって、今はパソコンで世界中の出来事を探し回ることができるんですよ」
 ホームズが得意げに言う。
「へえ、世界中の……」
 山科は首を傾げて、理解しかねるという顔をした。
「たとえば、ホームセンターやコンビニの防犯カメラにハッキングして、怪しい人物を探すとか……。そんな犯罪すれすれのこともできます。だから私が引きこもると、警察庁のスーパーコンピュータ以上の働きをするんですよ」
 ホームズはにこやかな顔でさらっと言ったが、
「それは怖いですね。僕の個人情報もホームズさんにかかれば素っ裸にされそうだ」
 山科の笑顔は少し引きつっていた。
 それからひとしきり、有田には意味不明なタニラー同士の話で盛り上がった後、山科は満足気に帰って行った。

 山科が帰った後に有田が立ち上がって確認すると、山科が見て反応していたのは一枚の写真だった。それは品川埠頭でホームズが撮影していた雑草の写真で、有田には何の変哲もない『ただのクサ』にしか見えない。
「この写真の何が引っかかったんだろう……」
「その写真がどうかしたの?」
「さっき、山科さんがこの写真を見て目を輝かせていたんだ」
「ふーん、やっぱりね」
 さも『タニラーなら当然ね』と言いたそうに頷いた。

「さっき、私と山科さんが多肉植物の話で盛り上がっているときに、未明君は手帳を開いて何か書いていたでしょ?」
「うん。御厨麻紀さんのことを忘れないうちに書いておこうとしたけど、それが何か?」
「そのときに、山科さんがテーブルの上にあるペン立てから赤いサインペンを一本だけそっと胸ポケットに入れたのよ。別に私が後ろを向いていたわけじゃなくて、窓辺の多肉をふたりで見ながら話していたのよね……。別にサインペンくらい無くなっても困らないからいいんだけど……」

 ホームズは首をすくめて、それらをパソコンに入力していたが、有田は別の可能性を考えていた。
 超奥手の有田にも同じような経験があった。「好きな娘(こ)の持ち物を共有したい」と、中学生の頃、密かに憧れていた同じクラスの女子が捨てた『ちびた鉛筆』を持ち帰ったことがある。「よくわからないけど、あれと同じかな?」と思い、パソコン入力しているホームズの横顔を見ていた。

      (続く)

なにやら殺人事件とは関係ない事件が起こりそう??
楽しんでもらえたらいいな♪

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