甘いタリウムは必然の香(32)

 第七章 十六年前の真相 

  4.真犯人の宣告


 しばらくの沈黙の後、

「何を馬鹿なことを言っているんです。事と次第によっては、たとえホームズさんといえども許すことはできませんよ」
 山科が声を震わせて抗議した。

「そうですか……まあ簡単には認めないと思っていましたが……」
 ホームズは想定していたように頷くと、彩花に向き直った。
「先日もお話したように彩花さんの行動を尾行させていただいたことがあるんです」
 謝る口調で頭を下げた。
「はい。それは先日お聞きしました」
「正直に言いますと、三鷹に行かれる四日前から尾行していたのです」
 有田はこのとき、山科の肩がピクッと震えるのを見た。

「彩花さんが山手線で移動する際に、新宿から外回りで巣鴨に向かったのは理解できるんですけど、巣鴨から有楽町へ行くのに、内回りに乗りましたよね。このときは『乗り間違えたのかな?』と思いましたが、次の日に日暮里まで行った際、内回りに乗って、帰りは外回りを使うんですね」
 ホームズが彩花に確認するように話すと、彩花はかなり動揺しているようだ。
「はい……あの……気分しだいです」
 彩花はやっとのことで答えたが、
「巣鴨と日暮里の間を通れない事情が何かおありのようですね」
 ホームズの鋭い質問に、彩花は答えようかどうか考えあぐねているようだ。

 有田も知っている不思議な行動ではあったが、「今、持ち出す話か?」と思った。
「具体的に言いますと、田端を通りたくないんですよね」
 ホームズが指摘すると、彩花は驚いて山科の顔を見たが、山科は素知らぬ顔をしていた。
「あの……ある方が田端に行くのを嫌がるもので、私もいつの間にかそうなってしまっていたのだと思います」
 彩花は渋々と答えたが、山科は「まさか答えるのか?」という顔で彩花を見ていた。
「山科さん、そんなに彩花さんのお答えに一喜一憂しなくても良いですよ。田端に行くのを嫌がってる『ある方』は山科さんなんでしょ?」
 先日の三鷹の件が明らかになっている以上、言い逃れはできないと考えたのか、
「ああそうですよ。ずっと昔から田端方面には悪い印象を持っていたので、通らないようにしているだけですよ。それがどうかしましたか」
 開き直ったように山科が答えた。
「ずっと昔っていつから?」
「もう学生時分からですよ」
 あからさまに投げやりな言い方だ。
「おかしいですねえ。先日、開店当時からのさなえの常連さんに静岡まで行って会ってきたんですけど、真鍋さんだけでなく、山科さんも覚えていて、『よくさなえで一緒になっていた』とおっしゃっていましたよ」
 有田は「ん?」と首を傾げた。静岡の古谷さんは、真鍋を知っていたけど、山科のことなんかこっちから聞いてもいないはずだ。

「うそだ! 僕はあの店の中には入ったことがない。そんな人と顔を合わせるわけがないじゃないか!」
 山科は自分で言った後に「あっ」と口を噤んだが、もう遅かった。
「『あの店』という言い方は、店の外装なり入り口なりを知っている場合に使いますよね。山科さんは真鍋さんが毒キノコを届けた際に車で送ったんですよね。ホルモン焼き屋の大将がその夜のことを覚えていましたよ」
 有田は、静岡の古谷さんの話からホルモン焼き屋につながったことが役立つものだと感心した。

「烏丸さんの出発を夜にするための足止めと、さなえへ立ち寄るよう仕掛けをしていたために、車で行かないと先回りをすることができなくなったけど、真鍋さんにはお酒を飲ませないといけないから山科さんが送った。……というところでしょうか。黒幕は山科さんしかありえないんです」
 ホームズが、現場を見ていたかのようにスラスラといきさつを話した。

「馬鹿な。すべてあんたの想像じゃないか」
 山科が興奮して、ホームズを「あんた」呼ばわりしだした。
「それにですね……烏丸さんご夫妻の葬儀の前日に香織さんの実家へ行き、烏丸さんが東京から送っていた荷物の一切合財を持ち帰ったらしいですね。その荷物こそが剣崎警視の探していたものだったのでしょう。香織さんのご両親に山科さんの写真を見せたら良く覚えていましたよ。ご両親はこれまでお世話になっていた先生の秘書さんを警察より信頼してお渡ししたとおっしゃっていました」
 それを聞いて、山科は黙り込んだ。
「もうひとつ彩花さん。三鷹霊園にお花をお供えに行ったのは、烏丸香織さんのお墓ですよね」

 ホームズが突然話を変えて彩花を見た。
「はい……」
 彩花が一瞬とまどいながらも小さい声で答えると、マスターが声をあげた。
「やっぱりそうだったのですね」
 突然の声に有田も驚いたが、ホームズには想定内のようだった。
「マスターはミサトさんと麻紀さんが姉妹だってご存じだったのではありませんか」
 ホームズが尋ねると、観念したようにマスターが話し始めた。

「いえ、おふたりが姉妹だということは、ぼくもさっき知りました。ミリちゃんからお姉さんの話など聞いたことがなかったですしね。でも実は……麻紀さんが妹さんを探していることは知っていたのです」
 マスターの言葉に麻紀は怪訝な顔をした。
「えっ? 私はマスターを知りませんよ……」
 麻紀は本当に見覚えがないように首を傾げた。
「では、『おひょい』というハンドルネームは覚えていませんか」
 マスターが麻紀に微笑むと、麻紀は目を見開いた。
「あっ! SNSメッセージで、相談に乗っていただいた『おひょいさん』ですか」
「そうです。ちょうど一年前くらいでしたねえ……。ご両親のお墓に心当たりのない花が供えられていたのですよね。それも命日だったから『もしや妹が?』と、かなり興奮しておられたので少しメッセージの交換をさせてもらいました。こんな老人でがっかりしたでしょう」
「いいえ。私の意味不明な相談に対して親身に助言いただきましたし、いろいろと愚痴を聞いてくださり本当に癒されました。父が生きていればこんな風に慰めてくれるのかなと感謝していたんです。お会いできるとは思っていなかったので驚きです。でも……よく私だとわかりましたね」
「最初は、本名で参加しているSNSで見つけたのですよ。烏丸さんが亡くなったことは、事故の後に呼ばれたパーティで秘書仲間が話していたのを聞いて知っていました。その中で『烏丸さんの長女は御厨という由緒ある家庭に引き取られた』との記憶もあったので、麻紀さんのSNSを見てすぐに烏丸さんのお嬢さんだとわかりました。麻紀さんはお父様の面影をお持ちのようです」
 マスターもホームズと同じように麻紀を探し当てていたことに感心する有田だった。

「奥様にも会ったことがあれば、ミリちゃんを見てわかったかもしれないですけど残念です……。本題に戻りますと、昨年の十月二十三日に烏丸さんのお墓参りをしたのは誰なのか? そろそろそんな時期だなあと思っていた矢先に、有田さんから真鍋さんと写った写真を見せられて、彩花さんを思い出したのです。彩花さんなら烏丸さんのお墓参りをしそうだと思えたので、確認のために尾行をお願いしたのですよ。命日ではなくても前日などにお参りするかもしれないと思って、念のために五日間をお願いしました」
 有田は、先日の奇妙な依頼の理由がやっと理解できた。

「昨年から烏丸さんのお墓参りをするようになったのは、事故から十五年が過ぎて時効になったからじゃありませんか」
 ホームズが彩花に尋ねた。
「はい……。烏丸さんご夫妻が亡くなったのは交通事故だと信じたい気持ちは山々だったのですが、主人や山科さんを見ていると不安になって……。だから本当はずっと香織さんの墓前へお参りに行きたかったのですが、行く勇気がなかったのです」
 彩花が観念したように話した。
「山科さんが五年前に国会議員の跡を継ぐことを断ったのも、まだ時効前で目立つことを避けたかったのでしょう?」
 ホームズが山科に向かって畳み掛けるように言うと、
「今更そんな昔のことを蒸し返してどうするつもりだ。既に時効になっていると言ったのはあんたじゃないか。たとえ今までの話がすべて本当だったとしても、だから何だというんだ」
 山科は頭に血が登っているようだ。

「そうですね。既に時効を迎えているので、烏丸さんご夫妻の交通事故が覆ることはありませんが…………」
 ホームズは意識的に少し間を置いて断言した。


「そのような事件に少しでも関与したとの噂が立つことさえ不利益になる人物が、今回の連続殺人事件の犯人なのです」

 再びベイカー街が沈黙に包まれた。

      (第八章に続く)

いよいよ最終章に突入します。

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