謀略の狭間に恋の花咲くこともある #15

(第八話)『一杯の水』前編



「あれがスマトラ島で一番高い山、『クリンチ山』だ。地元の人達は『神の永住地』とも呼ぶくらい神聖な山なんだ。まさに神が造ったように綺麗だろう」
 道案内ガイドのサントソが指差す方向を見ると、雄大な緑を携えた神々しいほどの『クリンチ山』が朝日を浴びてそびえ立っていた。
「この山道を真っ直ぐ行けば、あのクリンチ山の中腹まで登ることができるけど、本当に美里ひとりで大丈夫なのか?」
 サントソが心配してくれたけど、この旅行はひとり旅が目的だった。インドネシアの人達は親日的な人ばかりだと聞いていたし、お昼過ぎには帰ってくる予定だ。
「ありがとう。三時までには戻ってくるから心配しないで」
 そう言って、山へ続く道を歩き始めた。


 お姉ちゃんも心配してたけど、インドネシアを卒業旅行先に選ぶきっかけはお姉ちゃんなんだから……。
 お姉ちゃんがお付き合いしている峰村さんの話として聞いた『スマトラ島の花』を見るために私はやってきた。スマトラで三泊したら、ジャワ島観光をして帰るつもりだ。


 熱帯雨林特有の青々とした森林がどこまでも続き、空気は澄み切っていた。
 クリンチ山は活火山と聞いていたとおり、所々に噴火の傷跡を見ることができたし、道脇の土は火山灰が混じっているような泥状の土だった。

「山のあちこちから湧き水が出ているけど、絶対そのまま飲んだらダメだよ」

 サントソから強く言われていたとおり、湧き水を掌ですくってみると、灰だけでなくいろんな不純物が混じっていて飲めるような水ではないことがわかった。
 サントソの忠告に従い水を4リットルもリュックに入れているおかげでゆっくりにしか進めないけど、その代わり景色を見渡しながらスマトラの自然を満喫することができた。


 目的地には思ったより早く着いた。お姉ちゃんから聞いていたとおり、ひっそりとではあるけど小さな赤い花が群生している。観光客を呼べるほど華やかでない分、まさに『とっておきの場所』のような小さなエリアに寄り添うように数十本の花が揺れていた。
 しばし、ときを忘れて見とれていたけど、思い出していろんな角度でカメラに収めた。手頃な岩に腰掛けて、お弁当代わりのサンドイッチとビスケットを食べた。お天気も良く、天国にいるような至福を味わうことができた。
 岩によじ登ってみると、クリンチ山の中腹でありながらスマトラ島の半分が見えているんじゃないかというくらいの絶景だった。はるかに続く森の中に集落が点在していて、森の向こうは海と空が同化したように繋がっていた。密林とはいえ川があり、車が走っている道も見える。
 赤道直下なのに吹き抜ける風が心地良く、心が洗われるようだった。

 帰り道……、山を登る時には気付かなかった大きな赤い花が目にとまった。さっきの群生していた花とは大きさも形も違う。見たこともない花をカメラに収めようと踏み出した瞬間……。
 足元の地面が無くなっていた。

 …………。

 どれだけ気を失っていたのだろう。全身に感じる激痛で目を覚ました。
 気が付くと、十歳くらいの女の子が見えた。濡れたタオルで私の顔についた血を拭き取っているようだ。
「ありがとう」
 にわか仕込みのインドネシア語で言ったとき、腰に激痛が走り自分では起き上がれないことがわかった。話しにくいことから口の周りも怪我をしているようだ。
 女の子の顔がパッと明るくなり
「良かった。気が付いたのね。今、友達が大人を呼びに行っているからね」
 と、嬉しそうに答えた。
 友達と花を摘みに畑を歩いていて、がけの下で怪我をしている私を見つけたらしい。名前はスーリといった。
 スーリに手伝ってもらいながら、上体を少し起こしてがけに寄りかかった。体のアチコチから血が滲み出ていたけど、大怪我というほどの外傷は無いようだった。
「私の名前は『ミサト』よ。水……水がある?」
 話しにくい口を開けて、なんとかしゃべろうとした。リュックにはまだ2リットル以上の水が残っているハズだ。
 スーリは「ちょっと待って」と言って、器用に木の葉で器を作ると、少し離れたところにチョロチョロと出ている湧き水を汲み取ってきた。
「その水は飲める? 私のリュックは無かった?」
 スーリの顔が少し曇った。
「リュックって、その背中の布切れのこと? ボロボロに破れているし、中身はミサトが落ちる時に全部ばら撒いたみたい」
 なるほど、両肩にリュックのベルトの感触はあるけど、背中には荷物の気配がない。体が濡れている感触もあるのでペットボトルが破れたのだろう。もしかすると私の体を守ってくれたのかも知れない。
 スーリが溢さないようにそうっと運んでくれた水だったけど、日本の湧き水とは違って見るからに不衛生そうだった。
「ごめんね。せっかく汲んでくれたけど……」飲むのを躊躇していると、
 スーリは「そうだね」と言って、自分で葉っぱの水を飲み干した。
 そのとき、
「こっちだよ」
 別の女の子の声がして、大人を数人連れてやってきた。

「クリンチ山に続く道から落ちたのかい? 上の道から三十メートル以上はあるよ。よく生きていたねえ」
 現地の女の人が傷の手当をしながら話してくれた。
「立てるかい?」と言われて起き上がろうとしたけど、腰と左足が痛くて寝返りをするのがやっとだった。
 ふたりの男性が二本の棒と毛布で即席の担架を作って村まで運んでくれた。


      (後編に続く)



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