甘いタリウムは必然の香(3)

 序章 ホームズとの出会い

  3.阿吽の連携プレー


 先に救急車が到着して不破が運びこまれた。ホームズが救急隊員に何か話しかけると、救急隊員の目が丸くなったので、有田も近寄ってみた。
「……とりあえず紺青中和の応急処置だけしているので、早く体内洗浄をすればまだ助かるはずです」
 ホームズは、救急隊員にだけ聞こえるような小声で告げていた。

 救急車がサイレンを鳴らして走り去った数分後にパトカーが到着した。パトカーから降りた刑事は、まっすぐにホームズのところへ走ってきた。
「おい君、事情を聞かせてくれないか」
 刑事がホームズの腕を掴んで問いただした。おそらく救急隊員から、ウサギの着ぐるみを着た女子学生が事情を知っているはずだと連絡があったのだろう。

「何から話せばよろしいでしょうか」
 ホームズは、ウサギの頭を抱えたまま落ち着いている。
「まず、救急隊員に患者がタリウム中毒だと言ったのは何故だ。君が飲ませたのか」
 刑事がホームズを睨みつけながら問い詰めた。
「不破さんが飲んだ水がこれです。この中にタリウムが入っているとわかったからです」
 ホームズが例のペットボトルを差し出す。刑事は眉間に皺を寄せてキャップを取ると、おそるおそる臭いを嗅いだ。
「何も臭いはしないし普通の水のようだぞ。君が入れたから知っているとしか考えられないじゃないか!」
 さらに厳しく睨みつけたが、ホームズは平然とした顔だ。
「酢酸タリウムは無色透明なうえに無味無臭ですよ。それでも微妙な味と舌触りを私が見抜いたからわかっただけです」
 ホームズは普通に話したつもりでも、刑事に理解できるはずがない。
「味を見抜いたって? いかにも味見をしたみたいな言い方をするな!」
 恫喝にも近い大声を上げた。
「すみません。ひと口だけですけど味見しました。ごめんなさい」
 ホームズはペコリと頭を下げた。
「馬鹿言っちゃいかんよ。ペットボトルの水を飲んで倒れた人間がいるのに、君はその中身を味見したって言うのかね」
 ありえないだろうという表情で、同意を求めるように周りの学生たちを見渡していたが、異様な空気を感じ取った刑事の顔色が変わった。
「本当に飲んだのか? 君は大丈夫なのか」
「はい。私は少しくらいの毒なら日頃から味見して鍛えているので大丈夫です。それに、私もさっき紺青中和の水溶液を飲みましたから」
 ホームズが「大丈夫」と言うたびに、周りが不安になることを本人は自覚していない。
「しかし、タリウムを飲んだとしても、すぐには症状が出ないんじゃなかったかな……」
 刑事は、いつの間にかホームズを掴んでいた手を放している。
「よくご存じですね。毒物に詳しい刑事さんがいて驚きです」
「つい最近、近県でタリウムによる殺人未遂事件があったばかりだからな。今回は水を飲んですぐに倒れたそうじゃないか。タリウムの中毒症状に痒みなんかないだろう」
「皮膚の赤みや痒がりようをみると、金属アレルギーじゃないかと考えられます」
「確かにタリウムが重金属の一種だと聞いたことはあるが……」
 それでも刑事は、首を傾げたままだ。
「今日のような炎天下でやきそば作りをしていた不破さんは、脱水症状の一歩手前だったのではないでしょうか。そこへタリウム入りの水を一気飲みしたことで、急激なアレルギー症状が現れたんだと思います」
「で、紺青中和なんて治療法を知っている君も大したもんだが、よく準備できたな」
「紺や藍色の顔料には、鉄分が含まれているんです。水性の絵の具も同じ成分ですから、大勢の学生が居て助かりました」
「え? 被害者は金属アレルギーじゃなかったのか」
「もちろん、顔料の鉄分も金属アレルギーには良くありませんが、体内に吸収されるよりましです。酢酸タリウムの主成分である金属質は、鉄分と結合しやすいので体外へ排出するのに効果的なんです」

 ホームズの説明によると、タリウムを多量に体内に吸収してしまうと全身の痛みの末、歩行も困難になり、最悪の場合は死に至るとのことだ。治療開始は早ければ早い方が良いわけだ。警察がペットボトルの成分を調べてタリウム中毒だとわかる頃には手遅れになっている可能性があるので、紺青中和の応急処置を施し、救急隊員にもそれなりの治療をするよう指示したのだという。
「それで……君はかなり詳しいようだが、タリウムが簡単に手に入るものじゃないって知っているよね」
 刑事もようやく、ホームズが善意の女子学生であると理解したようで、相談口調になっている。
「酢酸タリウムは、細菌培養の研究をする際にカビ防止剤として利用することが多いので、この大学の薬品庫にも常備されていると思いますよ。町の薬局でも普通に殺鼠剤として売られてはいますけど、市販品は間違えて飲まないように黒く着色されているので、水に溶かしてもこんな透明にはならないんです」
 ホームズが説明しているところへ鑑識班がやってきて、ペットボトルの水の成分や有田が作った水溶液なども念入りに調べた。刑事たちはオークション同好会メンバーや隣のブースの学生などへの事情聴取を始めた。
 有田も『変な液体を飲ませた張本人』として最初に事情聴取を受けたが、病院に向かっていた刑事から、「適切な応急処置により一命を取り留めそうだ」との連絡が入ったおかげで、早々に解放された。

 有田は、刑事に事情聴取されている間も、刈谷という男子学生からずっと目を離さないでいた。警察が到着する前にホームズが、オークション同好会の水野部長から、生物学部に在籍しているメンバーを聞きだし、刈谷修と名古屋一平というふたりの学生がいることを知った。そこで、有田とホームズとでひとりずつ手分けして、監視することにしていたのだ。
 刑事が学生への聞き取りを開始しても刈谷の態度に変化はなかったが、ホームズが担当している名古屋に動きがあったようだ。ホームズは有田に目配せすると、名古屋に続いて校舎へ入っていった。
 刈谷への事情聴取が始まったことを確認し、ホームズを見失わないように後を追って校舎内へ足を踏み入れた。ふたりが向かった方へ静かに走り、トイレ手前の曲がり角にさしかかったとき、静かな校舎内にホームズの声が響き渡った。
「タリウムの容器をトイレに流して証拠隠滅するつもりなのね」
 張りつめた気配を感じて、有田はそっとトイレに忍び寄った。
「ちくしょう。お前が居なければ、こんなに慌てて処分しなくても良かったんだ。不破が倒れたって警察を呼ぶこともなかった。そうすればタリウムを飲まされたなんてことは、明日にしかわかりゃしないんだ」
 陰から覗いてみると、名古屋は右手に小さなケースを握りしめてホームズを睨みつけている。有田は名古屋の死角を通ってホームズの後ろにそっと回り込んだ。
「あのね、罪を犯したら償わなくちゃいけないの。私が刑事さんにタリウムのことを話せば、犯人が証拠隠滅を急ごうとするのも必然的な行動なのよ。でももう逃げられないわよ」
 有田の存在を感じ取ったのであろうホームズは、名古屋の注意を引くためか強気な発言をしている。
「うるさい! こうなったらお前も殺して逃げてやる」
 名古屋は頭に血がのぼっていて、有田の存在に気づいていないようだ。
「どうやって? 私がタリウムで死なないことは、名古屋君も見てたでしょ」
 突然、自分の名前を呼ばれた名古屋が大きく目を見開いた。
 見るからに先輩の名古屋に向かって「君づけ」で呼びかけるとは、必要以上に名古屋を挑発しているようだ。
「お前の首をへし折るくらいは、俺にだってできるさ」
 名古屋は顔を真っ赤にしてホームズに飛びかかろうとした。
「今よ! 未明君」
 叫ぶと同時にホームズは後ろに跳んだ。有田はホームズと入れ替わるように名古屋の前に立ちはだかると、次の瞬間には名古屋をねじ伏せていた。有田が得意とする柔道や合気道の技を使うほどでもないくらいにあっけない出来事だったので、ホームズを責める気持ちすら生まれなかった。あの挑発的な言葉も、ホームズの言う「必然的な行動」を導くためのものだとわかっていたからだ。
 騒ぎを聞きつけてやってきた刑事に名古屋を引き渡し、学園祭を騒がせた毒殺未遂事件は、ホームズの推理と有田の活躍であっという間に幕を下ろした。
 犯人逮捕と被害者の救命に貢献したお礼として警察から知らされたのは、名古屋と不破のふたりによる、リサを巡って恋の鞘当てが発端だったらしい。最近、リサと不破の仲がいいことに嫉妬心を募らせた名古屋の、ゆがんだ恋愛感情が引き起こした発作的な事件だった。

      (続く)

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