甘いタリウムは必然の香(36)

 第八章 必然的な結末

  4.タックル


 勢いよく立ち上がる山科の様子に危険を感じた有田は、とっさにホームズを庇う態勢をとった。

「全員動くな! この店に爆弾をしかけた」

 勝ち誇ったように言うと、山科は出口に向かってジリジリと動き始めた。

 そのとき、ホームズがケープを翻して立ち上がると、
「無駄ですよ! 未明君、構わないから山科さんを取り押さえてちょうだい」
 ホームズに言われて山科の前に立ちはだかった。
 しかし、山科がポケットから取り出したものを見て一瞬だけ躊躇してしまった。

 ――起爆用のリモコン装置――

 有田も実物を見るのは初めてだが、警察学校や昇任試験の参考書などで見ていた手製の起爆装置に間違いないと、本能が危険信号を発していた。
 さすがに山科も柔道の有段者だけあって、その隙を逃さず有田を投げ飛ばして出口へと駆け出した。

「逃さないで!」
 ホームズの言葉に、美里が反応した。
「翼君お願い!」
 美里の言葉に、無条件反射で飛び出した野沢が山科の両膝にタックルしていた。

 それでもすぐに起き上がった山科がドアに向かおうとしたとき、態勢を取り戻した有田は再び山科の前に立ちはだかっていた。
 今度は隙を見せるわけにはいかないという決意をみなぎらせたが、左手に持っているリモコンを奪い取ると同時に抑え込む方法が見つからずに、攻撃できないでいた。

「大丈夫よ。未明君の方が段数も多いし、実践を重ねているでしょ。リモコンなんか気にしないで捕まえて」
「何が大丈夫なんだい。今は段数の問題じゃないだろ」
 抗議しながらも、ホームズを信じるしかなかった。山科の懐に一瞬で飛び込み、脇腹に当て身を食わせると、そのまま投げ飛ばして抑え込んだ。

「こうなったら、道連れだ!」

 山科が叫んでリモコンのボタンを押した。

有田が阻止しようと手を伸ばしたが間に合わなかった――――

 ――――しかし、何も起きなかった。

「無駄だと言ったじゃないですか……。山科さんが多肉じゃなくてお花を持ってきた時点で、この鉢に爆弾を仕掛けましたって白状したようなものですよね」
 ホームズは出窓に置いていた福寿草の鉢植えを指さした。しかし、それはラッピングごと黒いケープで覆われていて見えなくなっている。さっき、ホームズが立ち上がるときにケープを翻したように見えたのは、あの鉢植えを覆うためだったのだ。

「普通なら私が喜ぶはずの多肉の鉢を退院祝いに選ぶのが必然的ですよね。多肉に爆弾を仕掛けることができれば、まだ誤魔化せたかもしれないけど、それができなかったのは、タニラーとしての必然性ね……。しかも私はお花を受け取ったときに『甘い匂い』って言いましたよね。福寿草は鮮やかな色だけど匂いはほとんどしないんですよ。甘い匂いがTNT火薬の匂いだとすぐにわかったわ。火薬も毒物と同じなので味も知っているし、匂いだってすぐにわかるの。TNT火薬は信管がないと爆発しないし、起爆装置が絶対に必要ですよね。それなのに山科さんが手元から離したってことは、リモコン式の起爆装置を使っているんだってことも必然的にわかりましたよ」
 山科はそれでも狐につままれた顔をしているが、有田にも理解できなかった。

「だからケープを福寿草に掛けているのよ。このケープの中には鉛とチタンの合板が入っていて、至近距離からのライフル狙撃にも耐えられるらしいの。もちろん赤外線なんか通さないわ。犯人がタリウムの次の手段として、ナイフやピストルで私の命を狙いに来るかもしれないと用心して準備していたんだけど、こんな風にも役立つのよね」
 ホームズが話し終えると同時に剣崎が合図を送り、野沢が山科に手錠をかけた。有田は山科の手からゆっくりとリモコン装置を奪い取った。


 パトカーが到着して、ホームズの横を連行されるとき、山科は穏やかな表情だった。
「あんたがどんどん俺に近づいてくるから消そうと思ったんだ。まさか、土を食べるような天然ガールが、ここまで優秀な探偵だとは思わなかったよ。もっと早く気づくべきだった」
 山科は静かな笑みを浮かべ、観念したように連行されて行った。

 爆発物処理班が福寿草の鉢植えを処理している間、ビルの外で美里と麻紀がしっかり手を繋いで肩を寄せ合っていた。

 その姿を眩しそうに眺めているホームズに、
「無茶をするなよ」
 有田が声をかけた。

「ごめんなさい。今回はみんなを危険に巻き込んでしまったわね」
「そうじゃなくて……毒入りコーヒーとわかっていて飲んだだろう?」
「あ、そっちか……。ありがとう。これからは、ほどほどにしておくね」

 眩いほどの笑顔で振り向いたホームズが有田に近寄り、背伸びをしたかと思うと有田の頰にキスをした。

「!」


 有田が固まっていると、ホームズはいたずらっ子のようなウインクをして事務所へと駆け上がって行った。

「どういう意味だろう……」
 有田はしばらくその場に立ち尽くしていたが、キスの場面を美里に見られてなくて良かったと胸をなで下ろした。


 その後の取り調べで山科はすべてを自供し、供述どおりの海岸から凶器のアウトドア用ナイフとさなえの万能包丁が見つかった。
 さらにスニーカーを捨てた場所も白状して、さなえの現場にあった下足痕と一致したが、わざとサイズ違いの靴を盗んでおいたものだった。

 事件の全容は、動機も手口もホームズが推理した通りであったが、もうひとつの動機が、「オヤジの名前に傷をつけることが許せなかった」というものだった。
 最後に爆弾を用意したのも、「オヤジの汚名を知った人間を生かしておくわけにはいかないので、最初から自爆する覚悟はできていた」らしい。

 山科は送検後も素直に自供を続け、連続殺人事件の犯人として起訴された。
 ホームズが倒れた『タリウム入りコーヒー事件』についても殺人未遂として立件する予定で捜査を進めていたが、
「私は、タリウムが入っているとわかって飲んだふりをしただけだから、殺されかけてもいないし殺人未遂にはあたらないわ」
 と、ホームズが供述したので殺人未遂事件については不起訴となった。

 現在の山科は裁判開始前の勾留中であるが、殺人未遂の罪が無くなったとはいえ二名を殺害した罪は重く、さらに爆弾をしかけた罪も訴追されるだろう。極刑になる可能性が大きい状況でありながら、意外な手紙がホームズ宛に送られてきた。

 ホームズは手紙そのものを見せることはしなかったが、有田に概要を話してくれた。
「山科さんは今、拘置所の中で反省するとともにホッとしているみたいよ。もし私を含めて何人もの人間を殺してしまい、そのまま国会議員になっていたらと思うと我ながらぞっとするって書いていたわ。さらに爆弾を用意するなんて、自分を見失っていたようだけど、爆発しなくて本当に良かったって……」
「結局、山科さんはホームズに助けられたんだね」
 有田が言うと、ホームズは小さく横に首を振った。

「実はね、福寿草にはもうひとつの花言葉があって、『悲しき思い出』というの……。山科さんは、十六年前のことや今回の事件を悲しき思い出として、わが身もろとも爆弾で吹き飛ばしたかったんじゃないかしら……。山科さんがその花言葉を知っていたかどうかはわからないけど、爆弾を仕掛ける花に福寿草を選んだのは必然的だったのかもしれないわね」
 静かに言うホームズは、悲しい出来事の末にやってきたハッピーエンドを手放しには喜んでいないように見えた。

「麻紀さんとミサトさんにも、山科さんから手紙が届いたらしいわ。ご両親を死に追いやった顛末をすべて詳細に告白していたようね。『オヤジを守るためとはいえ、脅すだけのつもりがご両親を死なせてしまって申し訳ない』と……。麻紀さんもミサトさんも『正直に謝ってくれたことで許す気持ちになった』と、山科さんに返事を出したみたいで、山科さんは心から感謝していたわ」

 ホームズが拘置所の山科と手紙のやりとりをしているのは知っていたが、ホームズにとっては既に仲間のように気を配っていることがわかった。

      (エピローグへ続く)

以上で本編は終わりです。
ご愛読ありがとうございました。

よろしければ、後日談(エピローグ)もお読みください。

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