甘いタリウムは必然の香(2)

 序章 ホームズとの出会い

  2.金属アレルギーの男


 まだ発足したばかりのサークルで、部員集めに奔走していた学園祭の最中のこと。

 十月も半ばというのに、夏の延長戦がいつまでも続いているかのように灼熱の太陽が照りつけていた。

「新しく発足した日本で唯一。いや、たぶん世界で唯一のサークルで、一緒に研究してみませんかー」

「人間の深層心理に語りかける『心理操作実践サークル』だよ」

「まだ、研究は始まったばかりだから、今なら誰でもエキスパートになれるよー」

 新参サークルの宿命らしく目立たない位置に追いやられたブース前で、これまた新参部長の有田が新入部員を勧誘しているときだった。

「心理操作ができるんなら、そのあたりを歩いている学生が入会するように操作すればいいじゃん」
 新入部員募集のチラシを手にして、見るからに生意気そうな女子学生が突っかかってきた。この勧誘チラシは、ウサギの着ぐるみを着たホームズがキャンパスのメイン通りで配っているものだ。
「いや、そんなふうに人の心を自由に操るような怪しいサークルじゃないんだよ」
 いら立ちを抑えるように有田は答えた。
「十分怪しいサークル名だよね。じゃあどんなことをするの?」
 女子学生はにこりともせずに、冷ややかな表情のままだ。ホームズのすまし顔に似てなくもないが、さらに上を行く変わり者である可能性がある。それでも、せっかくこのブースまで来たのだから、少しは興味があるはずだ。ホームズの心理操作には及ばないまでも、貴重な新入部員候補をゲットするべく、なんとか魅力を伝えなければならない。

「興味があるなら是非入会してみないかい? 心理学をさらに一歩発展させたもので、自己理解と自己実現を探ることで相手の行動を予測しようとするんだ」
 ほとんどホームズの受け売りであるが、有田は『行動を制御する』とは言わず、『予測』という言葉でニュアンスをぼかした。
「予測? 占いとは違うの?」
「占いは結果がどうなるのか他力本願だけど、心理操作は、こっちの意図する方向に導くことができるんだ」
「それなら催眠術と一緒じゃん」
「んー、催眠術とも違うんだよなあ。相手の意識を眠らせた状態で誘導するんじゃなくて、意識がある状態で周りの人みんなを幸せへと導くんだ。とてもひと言で説明できるような簡単なものじゃないんだよ」
「なんだか怪しい宗教みたいね」
 女子学生は、反論しかけた有田が口を開く前にチラシを押し付けて、人ごみに紛れるように行ってしまった。

 生意気な女子学生の扱いにはホームズでさんざん慣れているつもりだったが、奮闘むなしくあえなく撃沈した。
「やっぱ、俺じゃ最後の詰めが甘いな。それにしても勧誘チラシを持った学生が良く来るよな。どんな誘導したらこんなチラシ一枚でこのブースまで呼び込めるんだよ」
 つい、愚痴っぽくなってしまったが、これこそホームズが得意としている『しゃべらずに誘導する』ワザで、有田はこれまでに何度も目にしており毎回驚かされている。
 心理操作は催眠術ではないと説明されていても、ホームズの心理操作は言葉だけでなく身振りや表情などを使って、催眠術をかけているのではなかろうかと見紛うほど鮮やかに誘導されてしまう。
 今日のホームズは頭から着ぐるみを被っているので表情すら使えないはずなのに、この日だけでチラシを手にした学生が百人以上、有田が待ち受けるブースを訪れ、数人の申し込みがあったのだから大収穫だ。本当は有田が着ぐるみでチラシを配り、ホームズがブースで受け付けした方が結果的に入会者は多いのかもしれないが、最終的な判断は心理的な誘導をしないで、本人の意思によって決めてもらいたいという有田部長の方針によりこの分担になっていた。


 ブース前の人波が途切れて、有田が大きく背伸びをしたときだった。

「キャーーー」

 甲高い悲鳴が少し離れたブースから聞こえた。警察官志望であり、悲鳴を聞けば助けを呼んでいると考える有田は、迷わず悲鳴のした方へ駈け出した。
 そこは、焼きそばの露店を出しているオークション同好会のブースだった。数人の学生が見守るように取り囲み、その中心で半袖シャツ姿に白い軍手をはめた男子学生が、倒れたまま「痒い。痒い」と訴えながら苦しがっている。

「救急車を呼んでちょうだい!」
 同好会の部長らしき女子学生が駆け寄ってきて、男子学生を抱き起こした。
「不破君! しっかりして」
 不破と呼ばれた学生の意識はあるようだが、しゃべることはできないようだ。呼吸困難ほどではないが、喉を掻きむしるように痒がっている。顔の下半分と首周りに赤い発疹が無数にできているのが見える。
「リサ、何があったの?」
 部長は傍らで震えている小柄な女子学生に問いただした。
「水野部長……不破先輩はずっと焼きそばを作っていて……喉が渇いたと言って、脇にあったペットボトルの水を飲んだあとに倒れて……私もどうしてなのかわからない」
 リサと呼ばれた学生は、そこまで言うとうずくまって泣き出した。

「この水ですね」
 いつの間にかやってきていたホームズが、ペットボトルを拾い上げながら言った。首から下はピンクの着ぐるみで、ウサギの頭部を脇に抱えている。リサは、不信感を抱いたようだが、ホームズの真剣なまなざしに圧倒されたかのように小さく頷いた。
 不破が倒れたときに放り出したためだろう、ペットボトルの中身は四分の一ほどしか残っていない。
「リサさん。不破さんはどれくらいの水を飲んだのか教えてくれる?」
「ペットボトルは満タンでした。不破先輩はゴクゴクゴクって……半分くらいを一気飲みしたんです。そうしたら見る見るうちに赤いブツブツが出てきて倒れたんです」
 リサはそこまで言うと、また泣き出した。

 次の瞬間、周りから大きなどよめきが起きた。

 ペットボトルの臭いを嗅いでいたホームズが、中身の水を飲んでいるのだ。悲鳴を上げている女子学生もいる。
「ホームズ! 何やってるんだ。やめろ!」
 慌てて止めようとしたが、ホームズは平然とした顔をしている。
「大丈夫よ、ひと口だけだから。大事な証拠物件を飲み干すなんてしないわよ」
「いや、そういう事ではないだろう……」
 心配して伸ばした有田の手が、行き場を失って宙を泳いだ。
「無味無臭のようね……」
 水の味を噛みしめるように考え込んでいたが、不破のシャツをめくって首元を確認すると、何かが閃いたのか突然顔を上げた。
「この中に美術部の人いる? 看板を書いた人でもいいわ。水性の絵の具を持っていたら、すぐに出してちょうだい!」
 取り囲んでいる大勢の学生を見渡しながら、大声で呼びかけた。
「絵の具ならここにあるけど、何に使うんだよ」
 人垣をかき分けて、見るからに画家志望の男子学生が絵の具を差し出した。
「未明君、この紺色と藍色の絵の具をコップに出して水で薄めて頂戴。早く!」
 有田もワケがわからないが周りの学生たちもワケがわからず、あたふたと紙コップと新しい水が用意され、有田は絵の具の水溶液を作った。
「これを不破さんに少しずつ飲ませてあげて」
 またも周囲から異様なざわめきが起きた。
「大丈夫よ。美味しくはないけど、飲めないほど不味くもないわ」
 ホームズの「大丈夫」は口癖なのだろうが、いつもピントがずれている。
 普通だったらとても指示どおりにはしないだろうけど、有田はホームズが毒物研究という変わった趣味があることを知っている。
 ホームズの指示に従って不破を抱き起こし、濃く深みのある紺青の液体を飲ませた。不破は瞬間、眉間に皺を寄せたが、自信たっぷりな有田の表情に安心したのか素直にすべてを飲み干した。
「あとは静かに寝かせておいて、救急隊に任せるしかないわね。それと警察も呼んでちょうだい」
 ホームズが平然と言ったとき、有田の横で成り行きを見守っていた教授らしき男が声を荒らげた。
「とんでもない! ただ気分が悪くなって倒れただけなのに、警察を呼ぶ必要はないじゃないか。救急車に任せておけばいい」
 大学側としての体裁なのか、なるべく警察沙汰を避けたいようだ。
 それを聞いたホームズは、教授の傍に近寄ると小声で告げた。
「これはれっきとした殺人未遂事件です。いえ……万が一、処置が間に合わなければ殺人事件になるかもしれないのですよ」
 ホームズの真剣な表情と言葉に気押されて、教授は慌てて携帯電話を取り出し、自ら警察に連絡をとり始めた。

      (続く)


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