謀略の狭間に恋の花咲くこともある #09

(第五話)『卒業』前編



 八年前の七月、卒業を半年後に控えた俺と結城は、九州自動車道下りの〝基山パーキングエリア〟で、大分方面行のトラックを探していた。
 卒業旅行といえば、秋のヨーロッパあたりをなんとなく想像していた俺だったが、「国内の温泉がいい」との結城の希望が強く、ふたりで大分県をめざすこととなった。男同士の旅というのも変だが、これでサークルメンバー全員なのだから仕方ない。結城が発足した『心理操作研究サークル』は結局ふたりっきりのまま、俺らの卒業とともに閉鎖となる運命にあった。
 何といっても〝心理操作の達人〟となった結城の希望が通るのは当たり前のことだ。俺はといえば、心理操作どころかディベートすら満足にできないため、結城の〝いい練習台〟になっていたことだろう。

 大分ナンバーのトラックをようやく見つけて、結城が運転席へ駆け寄る。二言三言話して笑いあったかと思うと、次の瞬間には握手を交わしている。まったく結城の会話術は、こんなときに最大の威力を発揮する。
「よお、あんたも乗るのかい」
 年齢は俺らより少し上くらいだろうか。人懐っこい笑顔を向けられて俺も手を差し出した。

「俺は別府までだけど、それでいいのかい?」
 鳥栖ジャンクションを器用に車線変更したあと、亀井と名乗るドライバーが話しかけてきた。助手席がふたつある大型トラックで、目の前には何もない。時速九十キロくらいで走行しているのだろうが、体感的にはそれ以上の高速に感じる。
「願ったりです。ちょうど温泉宿を探していますんで」
 俺の返答に満足げに頷く亀井さん。
「アテはあるのかい?」
「ないけど、なんとかします」
 結城の返答に少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに納得顔になった。
 鳥栖から約一時間半で別府まで到着するはずだった。

「あちゃあ、霧のため湯布院で降りなきゃいけないんだとよ」
 玖珠インターを過ぎた頃、亀井さんが標識を見て呟いた。
「亀井さんに合わせますよ。俺ら何にも予定してないし」
 結城の言葉に亀井さんは、「よっしゃ」と独り言を呟いて湯布院インターから一般道に出た。
「知り合いの旅館で夕飯食おう」
 インターを出て五分も走らずに、亀井さんは狭霧荘という看板のかかった駐車場にトラックを入れた。車から出ると、広大な盆地の底に街並みが見えた。
「あれが湯布院の街ですか?」
 俺の問いに亀井さんは無言で頷くと、旅館に併設している食事処の暖簾をくぐって入っていった。
 食事処には浴衣姿の人が多く、宿泊客の食堂にもなっているようだ。亀井さんが顔見知りの仲居さんに何かを告げると、空いているテーブル席へと案内された。

 大分名物だという〝だんご汁定食〟を食べていると、亀井さんの友人らしい男性が厨房から出てきた。
「久しぶりだな亀井。珍しく連れを乗せてるっていうから、ほれ、差し入れだ」
「お、すまんな。唐揚げか」
 亀井さんが口の中のものを飲み干して俺たちに紹介した。
「この旅館の若旦那で、こっちの食堂で料理長もやってる秋吉だ。俺とは古くからの悪友でな」
「悪友って自分で言うなよ。秋吉公彦です。あんたらは学生?」
「はい。卒業旅行でヒッチハイクしながらここまで来ました」
「どこまで行くの?」
「どこまでって目的地は決まってないけど、亀井さんと一緒に別府まで行ったら住み込みで働ける宿を探そうと思ってます」
「今時、住み込みの宿って都合よく見つかるかねぇ……。なんならウチで雇おうか? ちょうど人手が不足してるとこなんだ」
 なんて都合のいい話なんだ。俺が秋吉さんと話している間、結城はひとりで唐揚げをもくもくと食べていたが、秋吉の言葉に食いついた。
「そりゃありがたいです。是非お願いします。ってか、こんな美味い唐揚げが食えるんなら、ここに決まりっす」
 結城が目を輝かせているもんだから、俺もひと切れ口に入れてみた。
「ウマっ!」
 お世辞抜きで美味い。初めて食べる味だった。唐揚げなら大阪の居酒屋でもさんざん食べていたし、いろんな味付けがあるのも知っている。素揚げに近いものや醤油に漬け込んだもの、ニンニクの味が効いているものなど、そもそも唐揚げというのはどこで食べても美味いものだ。しかし、ここの唐揚げは鶏肉そのものが違う。肉質は柔らかいのに噛んだときに歯を押し返す弾力が絶妙で、噛めば噛むほど味が染みだしてきて口いっぱいに広がる。
「美味いだろう。この鶏肉は知り合いが研究している品種で、今は一部の直売所でしか売ってないが、もうすぐ県内どこのスーパーでも買えるようになるさ。烏骨鶏や豊のシャモなど五品種を交配させてるらしい」
 秋吉さんの料理愛が伝わってくる熱弁もあって、俺も狭霧荘での住み込みに当然賛成した。

 翌日から、狭霧荘と食事処の両方で働くこととなった。まずは朝五時から食事処で宿泊客の朝食の準備を始める。もちろん俺たちが料理をつくることはないが、テーブルを並べたり配膳したりした。食事の準備が終わると、朝食の間に狭霧荘の各部屋で布団あげ作業がある。宿泊客のほとんどが、朝食後の散策に行くことから、ここのチェックアウトは十四時となっている。金鱗湖や亀の井別荘など、観光客に人気の箇所だけでなく、町並みを散策していても趣があり、人気の観光地となっていることに納得した。
 昼間は地元の働き手が来るため、俺たちは夕食時の布団敷きと夕食の片付けまで自由時間となり、湯布院観光をすることができた。ちなみに秋吉さんが賄い料理として一日に一回は唐揚げを出してくれたのはいうまでもない。

 狭霧荘は湯布院の町並みから一段高い場所にあり、山の斜面を利用して建てられている。駐車場から入れる食事処や狭霧荘の受付があるのは、この建物の四階部分にあたる。最上階の五階は展望温泉とラウンジがあり、湯布院の中心部を見渡すことができる。一階から三階……受付からみると地下に相当する部分……が、客室となっていて、俺と結城の部屋は最下層、つまり一階部分をあてがわれた。以前は一階まで宿泊客を受け入れていたらしいが、人手不足と経費節減のために、二階と三階の十六室しか予約をとっていないと秋吉さんが教えてくれた。
 一階とはいえ、まだまだ山の中腹なので窓から見下ろすと眼下に町並みが見え、左手に見える建物の三階部分と同じ高さに感じる。左手の建物も山の斜面に建っていて、道路と同じ高さの三階には〝ゆふの森〟というパン屋があるらしい。二階がパン工房になっていて、外にはイートインできるテラス席がある。一階は住み込みで修業する職人さんの部屋だということだ。
 狭霧荘とゆふの森まで、お互いの駐車場をつなぐ正規な道路を行けば、十分以上湾曲した道を歩かないといけないが、俺らの部屋の外にある非常扉から出ていけば一分もかからずに到着できる。湯布院の町並みまで歩くのにも近道になっているので、散策道路として整備されている。
 ゆふの森は人気のパン屋さんらしく、見習いの職人が多いときには数人いるときもあるらしいが、今は岐部さんという俺らと同世代の若者が東京から修行に来ているだけだという。同世代の若者がいれば当然のように仲良くなり、岐部さんが一升瓶を抱えて俺らの部屋を訪問する日が続いた。
 ゆふの森には一人娘がいて、別府の大学まで通っているとのことだったが、どうやら岐部さんがその歩惟(あい)さんに想いを寄せているらしいことは俺にもわかった。

 狭霧荘には定休日があった。週末の繁盛期を乗り越えた火曜日は宿泊客の予約をとらず、食事処での朝食が終わったら丸一日の休館となるのだ。もちろん、経営者の秋吉さんは定休日といえども自由ではなくメンテなどに忙しい。


 二度目の定休日はお盆前の八月四日だったが、俺と結城はボランティアで地域活動に参加した。夏草が伸びて景観を損ねるということで、町内一斉の草刈り作業だった。体力のない結城をなんとか説得して参加したが、結城は草刈り機どころか鎌も持たずに刈った草を集めることしかしなかった。
 俺は初体験の草刈り機を使わせてもらったが、二時間も背負っていると休憩の際にお茶を持つ手がプルプル震えていた。草刈り機のことを地元の人が〝ビーバー〟と呼んでいたのはなんとなく微笑ましかった。

 午後三時には作業も終わり、ひとっ風呂浴びてから俺らの部屋で慰労会を開いたのだが、それが事件の始まりだった。


      (後編に続く)



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