甘いタリウムは必然の香(33)

 第八章 必然的な結末

  1.殺人の証拠

「どういう意味ですかな」

 しばらくの沈黙を破って山科が、挑戦的な口調でホームズに問いただした。

「そうですね……早苗さんも真鍋さんも時効になったことで、それまでの息が詰まる生活から一気に解き放たれたのだと思います」
 ホームズは、皆に理解できるようにゆっくりと話し始めた。
「それは、昨年からさなえで『キノコスープ』がメニューに復活したことでもわかりますし、真鍋さんがさなえに通うようになったことからも明らかです。ふたりとも実行犯であることを十五年間相当な重荷に感じていたのでしょう」
 美里と麻紀は悔しさと憐れみが入り混じった表情で聞いている。

「息を潜めていた生活から解き放たれたとき、どんな行動に出るか想像してみてください」
 ホームズは、皆に考える猶予を与えるかのようにコーヒーを口に運んでひと息ついた。
「十五年間の辛さを誰かにわかってもらいたい願望と、この苦しみを与えた者に復讐したいと考えるのが必然的なのです」
 山科が堪えきれずに口を挟んだ。
「馬鹿な……自分が罪人だとわかってもらいたい人間などいるものか」
 吐き捨てるように言う。
「それは、時効になっても息を潜めていなければいけない山科さんのような方の常識です。選挙に立候補しようなどと思わない人間にとって、過去の罪は時効とともに消え去った気になるのが必然的なのですよ」
「必然的……」
 口の中で反芻するように山科が呟いた。

「そうです。今回の連続殺人事件は、十六年前の事件が時効になったことによって必然的に引き起こされた悲しい事件です」
「悲しい事件とはどういう意味かね?」
 顔をゆがめた剣崎が口を挟んだ。
「だってそうでしょう剣崎警視。十五年間じっと息を潜めて、それこそ生きた心地のしない人生を送ってきた人たちが、『やっと自由だ』と思った途端に殺されたんですよ。しかも犯人の自分勝手な動機と稚拙な手口によって」
 ホームズは必要以上に犯人を挑発しているようだ。

「稚拙……ですか……」
 山科がそう呟いたのを聞いて、既にホームズによる心理操作の術中に嵌っていると有田は確信した。
「ええ、犯行手口としては、単純極まりない幼稚な手口です」
 ホームズがきっぱりと断言した。
「まず、早苗さんはお店が古くなってきたこともあり、リフォームして心機一転やり直したいと思っていましたが、キノコスープ事件をひた隠しにしなければならないため、行動を控えていました。口止め料として貰った多額の報酬もご主人にパチンコですられてしまったのでしょう。せっかく十五年間息を潜めて生きてきたのに、時効になったときにはお店を続けるのがやっとで、とてもリフォームなどできる状態ではなかったのです」

 有田は、このままではこれ以上の繁盛はしないだろうなと想像できるさなえの店内と、リフォーム会社の営業マンに見せてもらった完成スケッチを思い出した。
「ところが最近になって、山科さんが国会議員として選挙に立候補すると知ったことで、さきほど言ったように『誰かにわかってもらいたい願望』と『自分を苦しめたものへの復讐』の両方を満たせる方法を思いついたのです」
 ホームズは皆を見回して話を続けた。

「それが、山科さんへの脅喝だったのです。早苗さんとしては、時効が過ぎたので殺人事件として再捜査されることはないと考えたのでしょう。だけど、山科さんは立候補を控えている立場だから、罪に問われなくても致命的なスキャンダルとなります。そこで、山科さんに再度口止め料としてリフォーム費用を出させようとした……。違いますか」
 山科はきつく問い詰められても余裕の表情を浮かべて無言のままだ。

「早苗さんは非常に明るい性格で人から好かれるタイプであり、また人を簡単に信じてしまう女性だったようです。山科さんから『わかった。支払う』と言われれば、すぐに信じてしまったのでしょう。早苗さんが殺される前夜に『女将はいつもより陽気だった』という証言もあります。おそらく口止め料を貰えると思っていた夜に山科さんに殺されてしまったのです」
 山科は相変わらず余裕の表情を浮かべて、口を開いた。
「烏丸さんや真鍋は、さなえという小料理屋の常連だったみたいだけど、僕はそこに入ったこともないよ。それなのに僕が黒幕だなんて見当を付けることもできないでしょう」

 その言葉を聞いたホームズが、山科を横目で睨んだ。
「さすがに小料理屋の女将さんでもわかりますよ。真鍋さんから受け取ったキノコで烏丸さんが亡くなった。しかも真鍋さんはすぐに運転手を辞めて会社を興している。残った山科さんが黒幕だと、事件に加担した者なら誰でも『必然的』に考えられます」
 ホームズが突きつけるように言ったが、山科は落ち着いている。

「あんたの推理は大変面白いが、僕が犯人だとの証拠がまったくないじゃありませんか。すべて『その可能性がある』という程度の状況を組み合わせただけのもので、お話にもなりませんよ」
 有田も同じように感じていたが、ホームズの表情も余裕たっぷりだ。
「早苗さんが殺された時刻頃に、現場近くをハイブリッドカーが走り去ったとの証言もあります。山科さんの愛車もハイブリッドカーでしたよね」
 ホームズが言うと、
「ははは、いまどきハイブリッドカーなど誰でも乗っているでしょう。それが僕の車だと証明できますか」
 山科が勝ち誇ったように笑った。
「さすがにNシステムを避けて通るだけの悪賢さはありますね。……まあいいでしょう。続きを聞いてください」

 ホームズは相変わらずの笑顔で続けた。
「山科さんは、さなえの客足が途絶えるのを見計らって店に入る。早苗さんにとっても、他人に見られるのを避けたいので看板の電気を消した。山科さんにとっては好都合だったでしょうね。誰もお客さんが来なければ、偽装工作をする時間稼ぎになりますからね。そして、早苗さんに口止め料を払うふりをして持参していたナイフで刺し殺した」
 今度は有田が驚いて叫んだ。
「凶器は店にあった包丁じゃないのか? 犯人が持参したナイフで刺しただなんて初めて聞いたよ」
 剣崎もホームズの方を向いて眉根を寄せている。
「凶器は間違いなく犯人が持参したナイフです。ポケットに隠して持ち運びができる折り畳み式のアウトドア用ナイフです。普通の包丁と同程度の刃渡りですから、凶器が見つからない限り傷跡との形状の違いはわからないでしょう」
 ホームズが現場を見ていたように断言した。



「根拠はあるのかね?」
 剣崎の眼鏡の奥で、鋭い目が光っている。
「はい。お店の包丁で刺したのなら、そのままにしておけば良いのです。わざわざ血のついた包丁を持ち帰る必要がないどころか、かえって危険とも言えます。それを持ち帰ったのは、犯人には持ち帰らなくてはならない『必然性』があったに他なりません」
「必然性?」
 有田が呟くと、同じように皆が首を傾げた。

「凶器を持ち帰らなければならない理由を考えれば良いのです。ひとつはその凶器にまだ利用価値がある場合。犯人の大切なナイフだったり、次の殺人を犯すために必要だったりする場合です。しかし、大切なナイフをわざわざ使うことは考えられませんし、同様の傷害事件も起きていません。もうひとつは、その凶器から自分に繋がる手掛かりがある場合です。指紋を残した場合もそうですが、それは拭き取れば良いし、今回の事件も怪しい指紋は検出されていませんので、犯人は計画的に準備していたことがわかります。これらをまとめてみれば、凶器を購入したという手掛かりを掴まれないために、持ち帰ったと考えるのが必然的なんです」

「じゃあ犯人は凶器のナイフと店の包丁の両方を持ち帰ったのか」
「ええそうよ。捜査を攪乱させるつもりがあったのかもしれないけど、犯人の必然的な行動を推測すれば簡単よ。だから私はいろんなホームセンターの防犯カメラ映像にアクセスして、早苗さんが殺される前日の昼間に川口市のホームセンターで、アウトドア用ナイフを購入する山科さんの姿を見つけたのよ」
 山科の顔色が明らかに変わった。


「ちゃんと画像で保存しているから、あとで剣崎警視や未明君にも見せるし、証拠として提出もできるわ。ホームセンターの録画データは、だいたい二週間くらいで消えているでしょうけどね」

 有田はこのとき、山科が微笑んだような気がした。

      (続く)

ここから証拠を突きつけ始めます。

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