謀略の狭間に恋の花咲くこともある #01

 (第一話)『三十秒の物語』前編 


 ――ただいま電話にでることができません。ピーっという発信音のあとにメッセージをどうぞ――

 軽く決心してダイヤルした俺は、留守番電話の機械音声に思わず舌打ちしそうになったが、背後からのハンパない圧迫感を受けて努めて冷静な声を絞り出した。

「わたし東洋電機人事課の有田未明(ありたみめい)と申します。総務部広報課の峰村直樹(みねむらなおき)課長ですね。来週の六月十六日火曜日、午後一時までに本社十階の大会議室にお越しください。同日一時半より峰村課長の懲戒委員会が開催されます。もしご都合が悪ければ、明日中に連絡をお願いします」

 ゆっくりしゃべって三十秒ほどだっただろうか。背中に鋭い視線を浴びている俺にとっては三十分にも思えた。

 後輩の峰村に対して〝普段では使わない〟ビジネス用語で留守録したことに思いを込めた。
(峰村はこのいい方に気づいてくれるかな)

 深く息を吸い込むと、後ろで様子をうかがっている剣崎を振り返った。
「峰村課長は留守のようです」
「……」
「峰村課長から連絡があったらお知らせしますので、部長はお帰りになっても構いませんよ」
「有田君は資料づくりかね」
「はい。来週の懲戒委員会までにまとめないといけない資料が多いので、今週は泊まり込みの覚悟です」
 極力、不自然にならないよう自虐的な笑いを浮かべた。

「峰村は、有田君の後輩で懇意にしているんじゃなかったのか?」
 剣崎の目が銀縁メガネの奥で光った。峰村のことを〝課長〟敬称でもなく、〝君づけ〟でもない呼び方とは、既に『懲戒解雇ありき』という意図が透けて見える。
「はい。普段は友だち口調ですが、留守番電話に録音するとなるとちょっと……。しかも懲戒委員会の通告ですからね」
「そうか……」
 剣崎もなにか気づいたのかもしれないが不自然ではないはずだ。

 帰る気のない剣崎が渋々帰ったあと、俺は昼間に北山副社長から言われた言葉を思い出した。

「峰村広報課長の懲戒事案について、極秘裏に調査してほしい」
「……極秘裏に……ですか?」
「そうだ」
「わたしは人事課長ですので、懲戒事案なら堂々と調査できるのですが……」
「もちろん、懲戒委員会の資料を山ほど作らにゃならんだろうから表向きには堂々とやってくれ。秘密裏にやるのは、剣崎部長との関連も調べてほしいからだ」
「……」
「今回の懲戒事案について、剣崎君が『峰村課長は、断固として懲戒解雇だ』と言い張っているのが気になる」

 なるほど……。薄々は俺も感じていたが、剣崎に対する違和感の謎が解けた気がした。
 俺としては、可愛がっている後輩の峰村を懲戒委員会にかけることだけでも心が痛む。
 しかし、いかに友だちだからといって温情をかければ人事課長としての『職務違反』となることもわかっている。なので、忸怩たる思いで懲戒委員会の資料を作っているのだが、剣崎はそのすべての資料に目を通したがる。
 懲戒の主管となる人事部長なのだから、懲戒委員会の資料に目を通すのは当たり前といえば当たり前だが、剣崎の意識が違った方を向いているんじゃないかという違和感があったのだ。

「承知しました。今日から会社に泊まり込んで、部長が帰宅したあとに裏の調査を行います」
「悪いな。それでなくとも忙しいときにすまんが、よろしく頼む」

 剣崎がビルの外に出た頃を見計らって、懲戒委員会議事進行表をパソコン画面に呼び出した。この資料は当日の直前まで何度となく更新が必要な資料なので、明日の朝にファイル更新さえかけておけば、『この作業をしていた』とのアリバイになるだろう。
 さらに、昼間準備しておいて、剣崎にまだ見せていない峰村の人事記録や評価記録のファイルを『懲戒委員会フォルダ』に保存した。


 峰村が懲戒委員会にかけられることになった理由は、五月に行われた業界最大のイベント『J-TEC』に関連して、広告代理店に二重発注していたという不正だ。
 パンフレットやポスターなどの印刷物一切を関西のデザイン会社へ発注していたが、二社に同じものを発注し、それぞれに支払いをしていた。もちろん納品はひとつだけなのだが、二社へ巧妙に分散されていて発覚しにくいように粉飾されていた。
 会社の経理にある程度詳しい社員でも見逃すほど巧妙な手口だったが、その不正に気付いたのは入社二年目で新人広報課員の笹原麻紀(ささはらまき)だった。笹原もまた、課長を自宅謹慎に追いやった責任を感じて欠勤を続けている。

(さて、どこから調査するか……)

 まずは剣崎のデスクに向かった。
 机の上はきれいに整理されていて、引き出しは施錠されている。社員の中には施錠しないで帰るものもいるが、部長ともなれば疚しいことがなくても見られたくないものもあるのだろう。
 デスクの上の電話機もきれいに磨かれていて、留守録件数もゼロ件表示になっている。剣崎が離席中の留守録をすべて直後に聞いて削除していることは知っている。
 本社管理部門への電話はクレームなどが多いため、本社ビル社員の電話機にはすべて留守録機能がついている。離席中だけでなく、重要な要件の場合は手動で会話を録音できるようにもなっている。
 千件まで録音したら古いものから自動で削除される方式なので、ほとんどの社員はわざわざ削除することなどしないが、部長ともなると留守録にも『機密事項』が含まれているのだろう。


 次に、同フロアにある総務部の広報課エリアへ向かった。
 峰村のデスクは、一週間前に突然自宅謹慎を言い渡されたときのままだった。いろんな資料や雑誌が積み重ねられているのは、誰かが気を利かせて精一杯の整理をしているのだろう。普段の峰村のデスクならデスク面が見えないほどいろんなものが散乱している。
 電話機もチェックしたが、峰村の性格的に留守録を削除する習慣はない。案の定、留守録件数は『998』を表示していた。

(ん?!)

 留守録件数が満杯であれば、通常は『999』が表示されているはずだ。念のために他の社員の電話機を確認したが、すべて『999』となっている。
 峰村の電話機には、『未再生5件』とも表示されている。ということは、満杯の状態から少なくとも6件を削除したあとにこの5件が録音されているということだ。
 峰村は先週、利根川総務部長に自宅謹慎を言い渡されてから、そのまま帰宅したはずだ。デスクの整理もしていないのに、留守録の削除などする時間があったとは思えない。
 しかも、本社の広報課長席への電話が一週間で5件とは少ないのではないか。自宅謹慎という噂が広がれば社内の人間からの着信は減るだろうが、一週間前ならかなりの電話がかかっていたはずだ。
 俺は、再生ボタンを押そうとした手を止めて、留守番機能装置からSDカードを抜き取った。

 自席に戻り、峰村の留守録SDカードを新品のSDカードへコピーして、原本は元に戻した。


 人事作業用の小部屋で、夜が明けるまで留守録の内容を確認した。
 峰村のSDカードから判ったことは、不正が発覚した五月三十日以降の録音番号が飛び飛びになっていたことと、一昨日、六月八日の二十時過ぎに録音された分までが再生済みだったことだ。
 残っている録音内容をすべて聞いたが、不審なものは見当たらなかった。

 翌朝、定時より一時間以上も早く、広報課の佐々木課長代理が出社してきた。
「おはよう。早いね」
「有田課長、おはようございます。峰村課長宛ての電話に大事な要件が録音されていたら大変ですからね。留守録をチェックしようと思って早く出てきたんです」
 まさにたずねようとしていた件をタイミング良く切り出してきた。
「毎日?」
「いえ、毎日早く出勤するのはやっぱりキツイんで……」
「お疲れさん。前に聞いたのはいつかな」
「八日の月曜日でした」
「やっぱり朝?」
「はい。他の人がいるとなんか気まずいんで……」
「未再生分だけを聞くの?」
「いえ、誰かが既に聞いてくれてる可能性もあるので、前回自分が聞いた続きからいつも聞いてますよ」
「再生済みのものを削除したことは?」
「とんでもない。課長の留守録を勝手に削除なんかしませんよ」
「わかった。ありがとう」


 しばつく目をこすり、エナジードリンクを煽ると、北山副社長向けの報告書作成に取り掛かった。


      (後編へ続く)



5年前にネットコンテストへ応募した作品をリメイクしました。
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