甘いタリウムは必然の香(7)

 第一章 はじまりの事件

  3.聞き込み(田端) 

 ベイカー街を出た有田とホームズは、田端の事件現場へと向かった。

 駅の南側に位置する飲食店街は、トラットリアなど現代風の洋食屋と昔ながらの小料理屋がごちゃまぜに同居している。
 ホームズは、駅からの道順を辿りながら、すべての店を記憶するかのように看板を確認しながら歩いている。

 目的の路地は、既に立ち入り規制が解かれていて、裏通りらしい日常生活を取り戻していた。
 一度は容疑者となった焼き鳥屋『鳥やす』の暖簾はまだ出ていなかったが、そろそろ仕込みも終わって開店する雰囲気があった。

 現場の前に来ると、扉が開いていて人の気配がした。
「誰かいるのか」
 誰もいないと思っていた有田が声をかけた。
「はい?」
 カウンターの奥から女性が立ち上がる。
「刑事さんでしたか……まだ犯人は捕まらないんですか」
 有田の顔を見て、すがるような目をしたのは琴乃だった。
「すみません。なにせ深夜の事件なので目撃者もいなくて時間がかかっていますが、必ずお母さんを殺した犯人を捕まえますから」
 背筋を伸ばして丁寧に頭を下げた。突然肉親を奪われた遺族と対応するのは、何度経験しても慣れることがない。
「今でも母が死んだとは信じられません。もう片づけをしてもよろしいんですよね」
 悲しみのやり場がない表情で掃除の続きを始めた。

 事件後、現場保存の状態が続いていたので、ようやく片づけができるようになって掃除に来ているようだ。
「片づけの最中に申し訳ないですけど、もう一度現場を検証したいので見せてください。掃除は続けていて結構です。邪魔にならないようにしますので」
「どうぞ……」
 琴乃は有田の顔を見ることなく答えた。
「あの方が琴乃さん?」
 ホームズが有田のそばに寄って囁いた。
「そう。被害者の娘さんで、横浜に嫁いでいる戸高琴乃さんだ」

「二十五年前からのお店にしては綺麗ね」
 ホームズが色褪せた天井を見上げながら呟いた。
「ああ、女将は相当な綺麗好きだったようだ。しかも大道具的な修繕まで自分でやっていたらしい」
 有田は答えながら壁の隅を指さした。そこは、内装の下地板がはがれそうになったものを素人なりに修繕した跡だ。
「狭いけど早苗さんの愛着ぶりが目に浮かぶようね」
 ホームズはスマホを取り出すと、天井や修繕跡など、客席側の店内を念入りに撮影している。
「カウンター内より店内に、何か気になることがあるのかい?」
「中は鑑識さんがしっかり調べているから大丈夫でしょ? 未だに糸口が見つからないってことは、何か見落としているものがあるんじゃないかと探しているのよ」
 カウンター脇のボードに貼られた名刺や壁のメニューなどの撮影を終えると、ホームズも店内を片づけだした。

「おかあさんはひとりでこのお店を切り盛りしていたんですってね」
 散乱していた雑誌類をマガジンラックに戻しながら、琴乃に優しく話しかけた。
「そうだけど……あなたは?」
 怪訝な顔でジーンズ姿のホームズを見た。
「申し遅れました。私、有田刑事の友人で探偵のホームズといいます。なんとしても犯人を捕まえたいという有田刑事の力になれればと思って、調べに来たんです」
「ホームズ……さん?」
「変な名前ですよね。でも気に入ってるんですよ」
 ホームズがにこやかに言うと、琴乃は少し気持ちが和らいだ顔つきになった。
「おとうさんは六年前に亡くなられたんですよね」
 琴乃の顔色をうかがうようにホームズが尋ねた。
「はい、本人は『パチプロ』だと称して毎日パチンコ通いでした。まあ、店の売上金に手を出さなかっただけマシですけど、家族の生活費は母がひとりで稼いでいました。私も母に育てられたと思っています」
 琴乃の言葉には、「父が嫌いだった」とのニュアンスを含みながらも、両親とも亡くなってしまった寂しさが漂っていた。
「おとうさんは、ずっと昔からお店には出てなかったのでしょうか」
「そんなことが今回の事件と関係あるのですか」
 琴乃は怪訝そうにホームズを見た。
「亡くなった人に関することは、どんな些細なことでも無駄にしたくないんです。お願いします」
 毅然とした口調でありながら、柔和な笑顔でホームズが促すと、琴乃は安心したような表情を浮かべた。
「父が亡くなる十年くらい前までは、仕入れを手伝ったり皿洗いをしたりしていたらしいですけど、人付き合いが苦手な人だったから、お店が開いている間はあまりいなかったと思います。それもパチンコ通いが始まってからは、ほとんどお店に顔を出さなくなったんじゃないかしら」
 片づけの手を休めて、記憶をたどるように答えている。
「おとうさんのパチンコ通いは、十数年くらい前からなんですね」
「そのくらいだったと思います。私が高校生で、父のことが嫌で仕方なかった頃でした」
 琴乃は少し表情を曇らせた。
「ご夫婦の仲が悪くなっていたわけではないんですよね」
 ホームズのしつこいくらいの質問に有田は違和感を覚えた。既に亡くなっているご主人が犯人なわけはないのに。
「はい。仲は良かったですよ。父の金使いが荒くはなりましたけど、パチンコをする人って大抵そうですよね。たまには喧嘩もしていましたけど、不思議と仲は良かったんです」
 琴乃もうんざりしているのだろうが、ホームズの聞き方が上手いのか丁寧に答えている。
「今は結婚されて、横浜にいらっしゃるとか……」
「はい。四年前に結婚して、娘がひとりいます」
 琴乃の表情を見ると、さっきよりも穏やかになっていると感じられた。ホームズとのやりとりの中で何がきっかけになったのかさっぱりわからないが、母親を亡くした悲しみを乗り越えられる希望の光を見つけたかのような、落ち着いた表情に見えた。
「何か無くなっている物などわかりませんか」
 ホームズが首を傾げながら琴乃の顔を見る。
「さあ……私も時々は手伝っていましたけど、結婚してからは来てなかったので、どこに何があったのかわかりません」
「カウンターのここの部分に日焼けしていない四角い跡があるんですけど、四年前には何があったか覚えてます?」
 ホームズはカウンターの端を指さしながら言った。
「あっ。そこには私が修学旅行のお土産で買ってきた京都の人形があったはずです。西陣織の端切れで作った日本人形です。間違いありません」
 有田が覗いてみると、確かに長年何かを置いていた跡のようだ。警察の事情聴取では得られなかった重要な証言だ。
「ありがとうございます。きっとこの有田刑事が犯人を捕まえますから、気を落とさないでくださいね」

 琴乃に礼を言って店を出ると、ちょうど亀井が暖簾を出すところだった。
 紺色の作務衣の上から使い古された前掛けをした亀井は、有田の顔を見てあからさまに眉根を寄せると、しかめ面のまま店内に消えた。
 普通の人間はアリバイなど尋ねられることはないから、容疑者みたいな聞き込みをされた時点で警察嫌いになるらしい。
 そんなこととは知らないホームズは、颯爽と暖簾をくぐって店内に入った。
「もう、やってますか」
 亀井が答えるより早くダウンジャケットを脱いで、カウンター席に座ろうとしている。
 続いて入った有田が、ホームズの横に腰を下ろすと、
「この女(ひと)は刑事さんの連れか? まだ何か用があるのか」
 亀井は、しかめ面をさらに渋くしている。
「私は警察じゃないですよ。一杯飲みたいなと思っていたら美味しそうな焼き鳥屋さんがあったので、是非食べたいと有田刑事におねだりしたんです。いいでしょ?」
 大きな丸い眼鏡が野暮ったいとはいえ人懐っこい笑顔を向けられて、亀井は断る言い訳を思いつかないという顔をしている。
 聞き込みの最中とはいえ今日は非番だし、よくよく考えたら今日はベイカー街のコーヒーしか胃に収めていない。店内に染み込んだ焼き鳥の香ばしい香りの誘惑に勝てるはずもなく、お互いのコップにビールを注いだ。

 ホームズは乾杯をした後、眼鏡を外してケープの端でレンズを拭いている。
「なあホームズ、その丸いアラレちゃん風の眼鏡が探偵のトレードマークなのかい? もう少しおしゃれな眼鏡もたくさんあるんじゃないのか」
「アラレちゃんとはずいぶん失礼ね。未明君は二〇〇九年公開の『シャーロック・ホームズ』って映画を見てないの?」
「ああ、イギリスとアメリカ合作のアクションものなら見たよ。以前に敵同士だった美人泥棒からの依頼で危険に巻き込まれるんだよな」
「やっぱり未明君は、美形のレイチェル・マクアダムスが印象に残ってるのね。私はなんてったって主演のロバート・ダウニー・Jrね。プライベートでのサングラス姿が大好きなの。私にサングラスは似合わないけど、同じ形のこれなら似合うでしょ?」
 ホームズは右手をフレームに当てて、少し斜め上にすまし顔を決めた。自分では気に入っているようだ。
 ビールを二本と焼き鳥を数本ずつ堪能してほろ酔いになったホームズが、いつの間にかしかめ面ではなくなっている亀井に声をかけた。
「大将は二週間前に亡くなった早苗さんと、以前トラブルになったことがあるんですってね」
 ホームズのど(・)ストレートな質問に、亀井は肝を冷やした。
「トラブルだなんて……あれは、タチの悪いお客がウチの看板を蹴倒してそのまま行ったもんだから追いかけただけだ。たまたまそいつが『さなえ』に入っていったんで、あの店の中で言い争いになったけど、もう随分昔の話だよ。しかも、そのとき女将は一生懸命謝ってくれたんだ。トラブルになっただなんてとんでもない。近所のよしみで惣菜をおすそ分けしてくれたり、俺も焼き鳥を差し入れたりしていたんだ。あんないい人を誰が殺したんだよマッタク……。それを俺が殺したんじゃないかみたいな聞き方する刑事がいるから頭にくるよ」
 不満を愚痴りながら、有田の顔をジロリと見た。

 ホームズは有田に向かって軽く両肩を上げると、話題を変えた。
「この辺りは、人通りが少ないんですね」
 暖簾を出して一時間近くになるのに、この店に入って来る客はおろか、前の路地を通る人影もない。
「そうだな……日曜日ってのもあるけど最近はめっきり不景気で、裏通りの飲み屋としては上がったりだ」
 亀井の表情が曇り、本当に厳しいという顔つきをしている。
「でも、亡くなった早苗さんのお店は儲かってたんじゃないんですか」
 聞きにくいことをさらっと聞けるのがホームズらしい。
「そうかな……あそこに入る客はここから丸見えなんだ。朝方までやってるから深夜になってもひとりふたりの客はいたようだけど、常連が四時間も五時間も居座っていて、そんなに儲かってたわけじゃないと思うぜ。ま、ウチも余所のことをとやかく言える状況じゃないけどな」
「事件の夜はお休みだったんですよね」
「そうなんだ。俺が居れば犯人をとっ捕まえてやったのによ」
 亀井は背負い投げのゼスチャーをして悦に入っている。確かに、この店の入り口は引き戸になっていて上半分が透明なガラスなので、のれんの合間からさなえに向かう客がよく見える。亀井に捕まえられたかはわからないが、有力な目撃者になっていた可能性は大きい。
「そうですよね。ところでこのネギマ、とっても美味しいですね。写真を撮ってもいいですか」
 ホームズがやや大げさに感動したが、鶏の柔らかさとネギの焼き加減が絶妙で、本当に美味しかった。
「ああいいよ。そんなもの撮ってどうするんだい?」
 料理を誉められた亀井は嬉しそうに破顔した。
「SNSに写真をアップさせてください。ここの串はどれも若い人の好みに合いそうですよ」
 亀井にSNSは理解できていないようだったが、見るからに上機嫌な顔になっていた。
「当たり前よ。ひとつひとつ素材にこだわって串の打ち方を変えているんだぜ。でもな……昔は、つくねとか赤バラなんていうのを注文する客も多かったのに、最近はおたくらみたいに安いネギマや皮しか出なくなってね……」
 ホームズの話術に馴染んできた亀井から皮肉っぽい台詞まで飛び出した。
「そうそう……さっきからメニューを見ていて気になってたんですけど、この『赤バラ』とか『白バラ』って何ですか? 薔薇の花じゃないですよね」
「赤バラってのは牛のバラ肉のことで、白バラってのは豚バラ肉だよ。東京じゃ珍しいけど、俺の育った九州じゃ焼き鳥屋で牛や豚の串焼きがあるのは当たり前だったさ」
「あ、そういえば私も九州を旅行していた時に焼き鳥屋さんで『バラ』を食べたことありますよ。その時は『バラ』って一種類しかなくって、豚肉だったですけどね。そっかあ、焼いたら白くなるから豚肉を白バラって呼ぶんですね」
「お、あんた九州に行ったことあるのかい。いいトコだろう……」
 このままだと捜査から大脱線しそうな気配を察した有田が、話を適当に遮って店を出ることにした。

      (続く)

心理操作しながらの聞き込みって表現難しいですね^^;
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