甘いタリウムは必然の香(14)

 第三章 奇妙な依頼

  2.山科の武勇伝とマスター


 ホームズが彩花の尾行を開始して二日目の木曜日も有田は聞き込みに明け暮れ、足を棒にした苦労の甲斐あって、半年前に真鍋をさなえに連れて行ったという取引先を見つけることができた。北区にある梱包資材工場の社長で、さなえには何度か行ったことがある程度だった。
 社長の話では、真鍋は連れて行かれるのがさなえとは知らなかったようだが、店をたいそう気に入ってくれたので嬉しかったのを覚えているとのことだった。

 その日、有田がベイカー街の前に来たのは二十時を過ぎていた。
 二階の事務所に上がろうとしたとき、ベイカー街の前で薄明かりに照らされて立っている男に気がついた。目を凝らすと、名刺を手にした山科がビルを見上げていた。ひと目で上等な仕立てだとわかるスーツを着ている。

「山科さんじゃありませんか。ホームズを訪ねて来られたんですか」
 声をかけると山科も有田に気づき、顔をほころばせた。
「有田刑事でしたね。ホームズさんの言っていたベイカー街はここで間違いないようだ。それにしても雰囲気のある素敵な佇まいのビルで、今にも本物のシャーロック・ホームズが出てきそうですね」

 陽気な山科と連れ立って事務所に上がって行くと、ホームズはパソコンに向かっていた。
 気配に振り向いたホームズが、山科を見て立ち上がった。
「わあ山科さん、よくいらっしゃいましたね。すぐにわかりましたか」
「すぐにわかったけど、このビルの景観に見とれていたら有田刑事と一緒になってね。いや、ホームズさんが自慢の住所だと言っていた意味がわかりましたよ」
 山科は目を輝かせて事務所内を見渡した。
「本当だ。ずいぶん多肉植物を集めましたね」
「いえ、まだまだ山科さんの足元にも及びませんけどね。山科さんからいただいたオブツーサは、特等席で育てていますよ」
 ホームズは窓辺を指さした。
「日当たりの良さそうな場所ですね。この多肉は太陽に当てなくても大丈夫だけど、当てると特に綺麗な縞が入るんだよね」
 山科も目を細めて満足そうだ。
「ここでは何もお構いできませんから、ベイカー街に行って美味しいコーヒーをいただきましょうか」
 ホームズに促されて三人は一階へと向かった。

「いらっしゃい」
 マスターが笑顔で迎えてくれた。店内は満席ではなかったが、半分以上の席が埋まっていて賑やかだった。
「今日は捜査会議じゃないけど、奥のテーブルを使わせてくださいな」
 ホームズはにこやかに言うと、奥のテーブル席へ向かった。
「山科さんは是非奥の席にどうぞ」
 ホームズが、いつもは自分の座る椅子を山科に勧めた。
 山科は、ホームズの真意がわからず怪訝な顔をしている。
「その席が一番お勧めの席なんですよ。店内の雰囲気を全部見渡すことができるし、何よりその出窓が素敵でしょ」
 出窓を指さしてホームズが嬉しそうに言った。
「なるほど、この『女雛』はホームズさんが育てているものですか」
 出窓に置いている鉢を見つけて、山科も嬉しそうだ。
 有田が『花を咲かせられない出来損ないのクサ』と思っていた鉢だった。
「そうなんですよ。やっぱりタニラーの山科さんにとっても特等席でしょ」
 ホームズは満足そうに笑った。

 有田は、これ以上ワケのわからないクサの話が続くのは勘弁してほしかったので、水を運んできたマスターに話しかけた。
「あれ、ミリちゃんはいないの?」
「明日が試験なので今日はお休みしているんです」
 マスターは笑顔で応えながら水を置いた。
「山科さんもコーヒーでいいかしら」
 ホームズの言葉を聞いてマスターが懐かしそうな笑顔を浮かべた。
「やはり山科さんでしたか」
 山科はマスターの顔を覗きこんだが、誰だかわからない顔をしている。
「覚えてらっしゃいませんか? 十七年前に倉見代議士のお屋敷でホームパーティの雇われコックをした九品寺です。山科さんとは事前に料理の打ち合わせをさせてもらいましたよね」
 マスターがここまで言うと、山科も思いだしたようだ。
「ああ、あのときの素晴らしい料理を作っていただいたコックさんですね。口髭が立派なのでわかりませんでしたが、よく覚えています。オヤジもたいそう満足していましたよ。九品寺さんは少しふくよかになられて髪も白いものが増えたようですが、お互いに歳をとりましたね」
 山科も懐かしさで顔がほころんだ。

「もう随分前ですからね……。コーヒーでよろしいですか」
「もちろんです。ホームズさんお勧めの美味しいコーヒーをお願いします」
 三人がコーヒーを待つ間、ホームズが山科に話しかけた。
「山科さんは倉見代議士を『オヤジ』と呼ぶくらいに慕ってたんですね」
「はい。なにせ命の恩人ですからね」
「プロフィールに書かれている『爆発物の件』ですね」
 ホームズの瞳がキラキラ輝いている。謎とスリルのある話が大好物なのだ。
「そうです……僕が警備会社に入社して四年目くらいの頃、現場実習として倉見邸の警備を担当していたのです……」
 山科が昔を思い出すように語り始めた。


「当時のオヤジは、与党の若手内でもリーダー的存在で、目立つ活躍が多かった分、敵も多かったと思います。そんなある日、オヤジの元に爆発物が送られてきたのです。小包を開封したオヤジはびっくりして、警備をしていた僕がすぐに呼ばれました」
「小包は不審なものじゃなかったんですか? 倉見代議士本人が開封するなんて……すぐに爆発するタイプじゃなくて良かったですね」
 ホームズは、目の前に爆発物があるかのように、口を手で覆っている。
「まったくです。箱の中身を見てぞっとしましたよ。タイマーが繋がれていて『ひと目で爆発物』とわかるものだったのです。小包の送り主が後援会長の名前を騙っていたので、未開封でオヤジの手元に届いたそうです」
 コーヒーが運ばれてきて、山科はひと口すすって話を続けた。

「今でも覚えていますが、タイマーは残り八分を示していました。おそらく、開封したらタイマーが起動する仕掛けになっていたのでしょう。八分では、屋敷の外まで持ち出すのがギリギリでしたが、オヤジは、『周囲の住民に迷惑をかけるわけにはいかないから、ここで爆発させてもよい』と、僕にも逃げるよう指示されました」
 シュガーを混ぜ終えたホームズが、食い入るように聞いている。
「しかし、僕にも少しは爆発物の知識があったので、なんとか配線を切断してタイマーを止めようとしたのです。一本の配線はわかったのですが、もう一本がわかりにくくされていて迷っている内に、残り一分になってしまいました」
「……それで?」
 ホームズは身を乗り出している。
「その前からオヤジには、『逃げてください』と言っていたのですが、『君をひとりにはできん』と言い張って横に居たのです。もう一本を間違えればふたりとも吹き飛んでしまうかもしれないので、切る前にオヤジを無理やりに書斎から追い出そうとしたのです。ところがオヤジは、『もういい充分だ』と、僕の腕を放さないで引きずられるように玄関を出たとき、書斎で爆発音がしました」
 有田もホームズも固唾をのんで聞いている。
「元々、屋敷を吹き飛ばすほどの威力はなく脅しが目的だったようで、書斎の机と天井が軽く焦げただけでした。窓ガラスは強化ガラスだったので、ヒビも入らない程度だったのです」
 山科がひと息ついてコーヒーに手を伸ばしたので、有田とホームズも釣られてコーヒーを口にした。
「ほんの数分間だけでしたが生死を共にしたような意識になったのでしょうね。僕はオヤジを尊敬するようになったし、オヤジも僕を気に入ってくれたことで、秘書としてお世話するようになった次第ですよ」
「素晴らしい出会いだったわけですね」
 ホームズは感動したように、顔の前で小さく拍手をしている。

「犯人は捕まったんですか」
 有田が刑事の習性で尋ねる。
「はい。その頃オヤジが進めていたリゾート開発に反対していた青年がすぐに逮捕されました。それからオヤジは、反対派の意見を尊重して計画を修正したので、執行猶予で釈放された若者とも和解することができました」
 話し終えた山科は、ベイカー街のコーヒーを気に入ったようで美味しそうに味わっている。有田とホームズも山科の武勇伝に満足して、ゆっくりとコーヒーを堪能した。
「本当に美味しいですね。久しぶりに本格的なコーヒーをいただきましたよ」

 次の予定があるという山科が帰った後、お客さんも少なくなったので、いつものカウンター席に移動して、マスターに尾行の報告をした。
「今日の彩花さんは、十一時から日暮里のフィットネスクラブで十五時まで汗を流しただけです。日暮里の付近にお友達がいらっしゃるようで、クラブの入り口で待ち合わせて一緒に入っていきました。お友達は同じくらいの年齢のご婦人ふたりでした」
 ホームズの報告に、マスターはまたも目を閉じて聞いていた。

 有田の方には今日も報告するほどの成果は無かったが、ずっと疑問に思っていることを尋ねてみた。
「ホームズは山科さんに相当な興味を持っているみたいだけど何故なんだい」
「だって、素敵な男性ですもの……。背が高くてスタイルがいいのに柔道の有段者で逞しいうえに頭も相当切れそうじゃない。しかもタニラー同士で話が合うから楽しいの」
 ホームズが男性に対して「話が合う」なんて言うのを聞いたことが無かった有田は、
「あ、そう……」
 と答えるのが精一杯だった。

      (続く)

話がこんがらがってきましたが、全部伏線です(笑)

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