甘いタリウムは必然の香(20)

 第四章 巣ごもり

  4.コマは揃った


 コーヒーのお替わりを自分たちで持って、有田とホームズは二階の事務所へ移動した。

「未明君の方は、何か進展があった?」
「うん……実は、マスターなんだけど……」
「話しにくそうね」
「話しにくいわけじゃないけど、怪しいんだ……。マスターに女将の写真を見せたときに『知らない人ですね』って言いきったのを覚えてる?」
「覚えてるわ。真鍋さんのことはすぐに思い出してすらすら答えていたから、早苗さんは本当に知らないように見えたわよ」
「俺もそう思っていたけどな……今日、さなえの隣でスナックをやっていた人の話を聞くことができたんだ。今は閉店していて居場所を突き止めるのに苦労したけど、その元ママさんに女将の写真を見せたら、よく覚えていたよ。近所のよしみでお互いにお客として訪れていたらしい。その元ママが話好きでいろいろ話してくれたんだが、八年くらい前にバーテンとして働いていた『九品寺直弥』って人の話題になったんだ」
「えっ? それってマスターの名前じゃないの」
「そうなんだよ。料理もカクテルも腕は一流だったので、そのバーテンさんのいた時期が一番流行っていたらしい……。マスターの写真を見せたら、『間違いない』そうだ」
「なんて名前のスナックだったの?」
「三年前に閉めたときは『ライムライト』って名前だったらしい」
「その名前の看板なら、まだあの路地にあったわね。シャッターが下りたままだったからずっと空き家ってことか……。まあ、バーテンとして雇われている人が近所の小料理屋の女将さんを知らなくても不思議じゃないけど、マスターに限っては知らないってことの方がおかしいわね」
「そうなんだ。俺も不思議に思ったんだ……」

 ふと、ホームズのパソコン画面を見ると、防犯カメラの映像らしきものが複数展開されていた。
「何か新しい情報を見つけたのかい」
 有田はコーヒーを口に運びながら尋ねた。
「そうね……麻紀さんって、休みのたびにいろんな所に出没しているのよね。新宿や東京駅や横浜など、いろんな防犯カメラに捉えられているの」
「麻紀さんは買い物が趣味なのかな」
「それがね……別に買い物をしている様にも名所見物をしている様にも見えないの。ただいろんな所をうろうろしているだけなのよ。歩き回っているだけでもなく、植え込みに腰掛けて時間を潰している感じ」
「どうして、それらの映像が麻紀さんだと断定できるんだい?」
「麻紀さんがSNSに登録している顔写真をもとに、顔認証システムと歩容認証システムを使って探してみたの」
「顔認証を使っているとは知っていたけど、いつの間に歩容認証システムまで導入したんだい? 科捜研顔負けだな」
「でも今、行動パターンを分析しているからすぐに目的もわかると思うわ」
「本当に巣ごもりは最強だな」
 有田は感心するように呟いた。

「なに? 『巣ごもり』って……」
「なんでもないよ。俺が勝手に呼んでいるだけさ。『巣逗の引きこもり』だから、『巣ごもり』ってね」
「なるほど……ホームを再変換してくれたのね。面白そうだから、私も使わせてもらうわ。ありがとう」
 ホームズはどうでもいいことに感心していた。

「ミサトさんが麻紀さんと会ったのも偶然じゃないのかもしれないわね……。さて、あと一日くらいで巣ごもりを終わりにしましょうね。ラストスパートよ」
 ホームズの頭の中には、糸口が見えているように、晴れ晴れとした表情をしている。


 翌日、夕方五時過ぎに、有田は疲れ切ってホームズを訪れた。

「事情聴取がひと通り終わったけど、次に打つ手なしで捜査の方も暗礁に乗り上げているんだ。何かヒントになる情報はないかな」
 有田の困り果てた声に、
「電話の発信や着信記録は調べたの?」
 ホームズはパソコンに向かったまま呟いた。
「調べたさ。女将の携帯電話は発見されてないけど、携帯会社の協力で事件の夜に怪しい発信も着信もないことがわかった。さなえの店内には固定電話が無かったし、真鍋の携帯にも事件当日の午後八時以降には発信も着信も入っていないんだ。真鍋の会社は発着信が交換機に記録される契約になっていなかったので、今電話会社に協力依頼してデータ解析をしてもらっている」
 有田はわかっていることをホームズに伝えた。
「真鍋さんの会社の発信記録だけでもわかるといいわね。それもあの日の午後十時頃から午後十一時くらいまでの一時間でいいわ」
「どうして時間が限定できるんだい?」
「私たちが真鍋さんの会社を出たのが、午後八時半過ぎくらいだったでしょ? そのとき、真鍋さんはお得意さんと電話で話をしていたし、長引きそうな電話だったわよね。それから缶ビールを三本飲んで、勇気を振り絞って電話をしたとすると、早くても午後十時くらいになるのが必然的でしょ」
 なるほど……真鍋が電話する状況を自分に置き換えて想像してみれば簡単なことだった。
「それに社長席から発信する電話番号は決まっているでしょうから、電話会社には、『特定の電話番号からの一時間だけの発信記録』って限定して調査をお願いすれば、電子交換機のデータを調べるのは簡単なはずよ。だいたい、警察がこの手の協力依頼をするときに範囲を幅広く指定するから、データ解析に時間がかかるだけなのよ」
 少し皮肉のようにも聞こえるが的確な助言をくれた。
「ありがとう。助かるよ」

 すがる思いの有田はメモを取りながらパソコンの画面を覗き込んだ。
「巣ごもりに目途はつきそうかい?」
 既にパソコンへの入力を終えていたホームズが空中を見つめている。
「そうね、事件のおおまかな流れはだいたいわかったと思うけど、これといった決め手に欠けるのよね」
 ホームズにしては珍しく弱気な発言だ。
「犯人がわかったっていうのか」
「犯人というより事件の流れよ。まだ全部が繋がったわけじゃないから、推理の域を出てないの」
 こんな言い方をするときには、絶対に犯人を名指ししないことを有田は経験から知っている。

「今はどんなことを調べているんだい?」
「私ね、昨夜から徹夜で山科さんのSNSを見ていたの」
「何かわかった?」
 捜査そっちのけで山科を追っかけていたことに少しむっとしたが、有田は平静を装って事件に結びつけようとした。
「そうね。ここに来た水曜日なんか、とっても忙しい合間を縫って来ていただいたみたいなの」
 心なしか、ホームズの顔が輝いて見える。
「どうして、山科のスケジュールまでわかるんだ?」 
「山科さんもいろんなSNSを使ってしょっちゅう呟いているんだけど、ここのところ毎日は選挙に向けた準備に大忙しらしくて、それこそ分刻みのスケジュールをこなしているようね。忙しいのに子ども達に柔道を教えたりしていて、保護者からの評判もすごくいいわね」
「じゃあ、何のために寄ったっていうんだ? ホームズに譲った多肉植物の様子でも見に来たのかな」
「違うに決まってるでしょ。未明君って本当に鈍感ね」
 呆れたような口調でたしなめられた。
「それにね、山科さんは彩花さんと最近会ってないみたいなことを言っていたけどそれも違うわね。ふたりともペンネームで参加しているSNSで、友達登録をしていて繋がりがあったわ。他のSNSにアップしている記事や写真を照合してみると、ふたりで一緒に食事をしたり、ゴルフに行ったりのお付き合いをしていることが推測できるの。そうね……一年くらい前からかしら。少なくとも彩花さんは山科さんに好意を持っているようね」
「どうしてペンネームなのに、山科さんと彩花さんだってわかるんだよ。ツーショットで写っている写真でもあったのか」
「ツーショット写真がなくても、テーブルにある料理が同じで時間差もなくお互いがアップしてたらわかるでしょ。本人はペンネームで匿名にしているつもりかもしれないけど、他のSNSに投稿しているプロフィールや記事、さらには友達の投稿なんかを付き合わせれば、すぐに同一人物だってわかるものなのよ」
 ホームズは得意顔で続けた。
「それにね、彩花さんの尾行を始めた日の朝帰りの足取りがどうしても掴めないの。タクシーの乗車記録もないし、駅の防犯カメラにも映ってないのよ」
「朝の散歩に出ていただけなら、そんな記録が残らなくても不思議じゃないよ」
「ハンドバッグを持って散歩? なんだか彩花さんに贔屓目なんじゃない?」
「ホームズは山科に贔屓目だよな」
 売り言葉に買い言葉的な返事をしてしまった。

「その山科さんの車なんだけど、真鍋さんが亡くなった日は、どこのNシステムも通過していないって言ってたわよね。その割には、二日連続で給油しているみたいなのよ」
 ホームズにとっては、売り言葉でもなければ、買い言葉とも受け取っていないようだ。
「ガソリンを何かに使ったのかな?」
「それはわからないわ……」
 ホームズの態度がやけに落ち着いているのが気になった。
「なら、どうするつもりなんだい?」
「今日で巣ごもりは終わりにするわ。これからは『行動力』が鍵になりそうよ。未明君もきっとこれまで以上に忙しくなるわよ」
 ホームズは、何かを決心したように『巣ごもり終了』を宣言した。

      (第五章に続く)

そろそろ〝静かな捜査〟は終わり。

いよいよ後半戦へ突入ですo(^^)o


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