甘いタリウムは必然の香(24)

 第五章 ホームズ倒れる

  4.有田の推理


 救急車でホームズが運ばれたすぐ後に、連絡しておいた鑑識班が到着し、詳しい現場検証が始まった。

 鑑識の結果、ホームズのコーヒーには多量のタリウムが混入されていた。タリウムが検出されたのはホームズのコーヒーカップからだけで、他のコーヒーやオレンジジュースからは検出されなかった。
 もちろん、厨房やサイフォンの周辺からも痕跡は見つからなかった。


「タリウムに即効性はないはずなんだが……」
 鑑識課員が首を捻っている。
「金属アレルギーだと即効性の症状が現れることはありませんか? 大学時代に同じようなタリウム中毒事件があったんです」
 ホームズが金属アレルギーだと聞いたことはなかったが、そういえばアクセサリー類を身につけていないことを思い出した。眼鏡も金属フレームではなく、鼈甲調のものだ。いろんなものを毒見して自分で人体実験しているホームズなので、アレルギー体質に変わることがあるのかもしれない。

 鑑識が指紋を採取するのと同時に、シュガーポットの中身を検証すると、上部分にあった三個からも同じタリウムの成分が検出された。
 誰かがシュガーポットの中のブラウンシュガーを『タリウム入りシュガー』にすり替えたと思われるが、そんな怪しい動きをする人物に有田は心当たりがなかった。

 すり替えられていた『タリウム入りシュガー』は、本物のブラウンシュガーと色も形もそっくりで、偽物だと言われなければ判別できないくらい精巧なものであった。
 『タリウム入りシュガー』には、一個だけでも致死量以上のタリウムが混入されており、殺害目的であることは間違いなかった。その他の成分としては、普通のシュガーと同程度の糖分も含まれていて、無味無臭のタリウムなだけに口に入れただけでは気づかないだろうということだ。


 その場にいた全員の持ち物検査を行なったが、怪しい物は見つからなかった。
 有田はすぐに容疑者の分析にかかった。

 上司である剣崎から、「絶対に先入観を持って捜査をするな」と徹底的に教え込まれている。先入観を持たずに考えれば、マスターや美里や自分でさえも容疑者として検証するべきだと考えた。

 まず今回の一連の事件で一番怪しいのは山科だ。
 彩花との関係やサインペンなど、謎の部分が多すぎる。ホームズが追っかけていて、決定的な証拠に結びつく『何か』に行き当たり、なんらかの理由でホームズが邪魔者だと思うことは充分考えられる。
 有田の知る限りでは、現場にいた人物の中で一番動機があると思われる。

 しかし、ホームズがブラウンシュガーをコーヒーに入れた後に山科はベイカー街へやってきており、シュガーをすり替えることができない。
 有田は、山科が来たことによってテーブル移動したことをハッキリ覚えている。ホームズが自分のコーヒーカップを移動させたとき、既にスプーンが刺さっていたので、シュガーを入れた後なのは間違いない。
 もし、山科がホームズのコーヒーに『タリウム入りシュガー』を追加して入れたとしたら、いくらなんでも甘くなりすぎてしまって、いかにお子様味覚のホームズといえども誤魔化しはできないだろう。

 次に彩花。
 シュガーポットの一番近くに座っていたことから、ポットの中に『タリウム入りシュガー』を置くことはいつでもできたはずだ。
 美里が声を上げたり、麻紀がホームズに異議を唱えたりしていた間は、誰も彩花やシュガーポットを意識していなかった。
 しかも、尾行の際にいろいろと怪しい行動をとっていたし、さなえにあった日本人形と同じ物を持っているようだ。早苗のことを知らないと言っていたが、本当のことを話しているのか調べる必要がありそうだ。
 しかし彩花は、この店に初めて来たはずなので、ベイカー街のシュガーがどんな形や色か知らなかったはずだ。

 麻紀には今日初めて会ったが、ホームズの話では小学校の先生だと言っていた。ホームズが今日、どうやって連れてきたのかは知らないが、「話が違う」と異議を唱えていたことから、動機がまったくないわけでもないようだ。
 ホームズが麻紀の行動を防犯カメラ映像で追っていると言っていたが、何か秘密にしておかなければならないことを見つけられたのかもしれない。
 しかも、ホームズがコーヒーを口にする前、麻紀が小さな声を上げて自分の口を両手で覆うのを見た。あれは毒を盛った犯人がとる罪悪感からの行動なのかもしれない。
 ただし、ベイカー街のシュガーがあの形のブラウンシュガーであることを、どうやって知り得たかが一番の問題になる。それに、今回の連続殺人事件とは最も関係がないように思える。美里を尾行から連れ出した行動は怪しいが、ホームズだけでなく、美里以外には今日初めて会ったような雰囲気があった。

 残る容疑者は、マスターと美里と……有田だ。

 マスターはどうだ?
 彩花の尾行を依頼した件や麻紀の名前を聞いたときの反応など、怪しいと思える行動がいくつか見受けられる。経歴も不明な点が多く、真鍋との接点もある。早苗と知り合いであったことを隠している可能性もある。
 では動機はどうだ。有田が知っている範囲では、マスターがホームズを殺したいほど憎んでいるとは到底考えられない。むしろホームズのファンだと思えるほどだ。
 しかし、ホームズがマスターの過去を調査していて、何か弱みを握られているとしたら……。
 マスターならシュガーポットの中身を入れ替えておく時間はたっぷりある。しかし、ホームズがテーブル席を使うことは直前に知ったことだ。それまで誰が使うかわからないシュガーポットの中身を入れ替えておくことなどあり得ない。

 美里は?
 ここまで考えて、有田は激しくかぶりを振った。世界がひっくり返ったとしても美里がホームズを殺すはずがないと信じられる。
 いかに剣崎から「先入観を持つな」と言われても、ありえないことだ。

 自分はどうだ?
 ホームズほど有田の心をもてあそんで茶化すやつはいないし、何を考えているのかもわからない。いつもマイペースで周りを振り回すし、その一番の被害者は有田だろう。有田ならシュガーポットの中身を入れ替える時間は、今日だけでもたくさんあったはずだ。
 ――しかしホームズを一番好きなのも有田だ。美里がホームズ信者だと公言して大好きアピールをしているが、有田ほどホームズを必要としている人間はいないと自信がある。
 ホームズを殺そうとするはずがないどころか――ホームズの命を狙った犯人を絶対に許さない。

 では共犯者がいたとしたらどうだろう?
 マスターがタリウム入りシュガーを準備して、彩花か麻紀が入れ替えるという共謀であれば可能かもしれない。だが、関係や動機など今の段階では想像すらできない。

 山科と彩花が共犯だとしたらどうだろう?
 山科には動機があるとして、タリウム入りシュガーを作ることができる。彩花にはシュガーポットの中身を入れ替えることができる。ホームズの話は途中までだったけど、山科と彩花が付き合っていることは間違いなさそうだ。
 山科がベイカー街からブラウンシュガーを持ち帰り、『タリウム入りシュガー』を作って彩花に渡す。それを彩花がシュガーポットの上に置く……。これなら辻褄が合うような気もするがどこか違和感がある。
 動機がホームズを殺そうとするくらい大きいものなのか? また、仮に動機があったとしても、動機ありきで捜査をすると取り返しのつかない冤罪を生んでしまうことを有田は知っている。


 有田が目をつぶって考えているとき、
「もう帰ってもいいですかね。次の予定があるのですが……」
 山科が時間を気にするように腕時計を見ている。
「ああ……そうですね。皆さん身元がわかっているので、聞きたいことがありましたらこちらから連絡します。あ、すみません。御厨麻紀さんの連絡先だけ知りませんので教えていただけますか」
 麻紀が住所と電話番号を書いた紙を有田に渡し、その場は解散した。


 心配そうに泣いている美里も部屋に帰らせた。
「こんなときにホームズがいたら、いくつか質問するだけですぐに解決してしまうだろうな……」
 ひとりになってつい弱音を吐いた。


 皆を集めたホームズの狙いは何だったのか。標的は本当にホームズだったのか。頼みのホームズが救急車で運ばれたからには、ここは自分がやるしかない。
 有田の目の前での犯行ということは警察への挑戦でもある。絶対に犯人を見つけなければと心に誓った。


 ホームズが運ばれた病院から「非常に危険な状態である」との連絡が入ったのは、事件から二時間後だった。

      (第六章に続く)

ホームズ不在で解決できるのでしょうか……

第六章では2話目から視点が変わります。


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