甘いタリウムは必然の香(11)

 第二章 ふたり目の犠牲者

  3.聞き込み(練馬)


 山科大介は練馬区の一軒家でひとり暮らしをしていた。
 二十年くらい前の新興住宅地だろうか、落ち着いた感じの静かな街並みに、白壁の二階建てが溶け込むように調和している。ハイブリッドカーが停められていて、綺麗に手入れされた庭が印象的な清潔感の漂う家だった。

 チャイムを押すとすぐに山科が顔を出した。プロフィール写真よりも大きな人物に感じる存在感があった。
「真鍋勝久さんについて、少しお話をうかがいたいのですが」
 有田と野沢が警察手帳をかざした後に真鍋の写真を見せて、丁重に切り出した。
 山科は一瞬、「誰だっけ?」と考える顔をしたが、すぐに思い出したようだ。
「ああ、随分前に倉見先生の運転手をされていた方ですね。どうぞ」
 快く三人を家の中へ招き入れた。

 玄関内にゴルフバッグが立ててあり、いかにもひとり暮らしという雰囲気だが、その割には掃除が行き届いている。普段からスポーツ全般に取り組んでいるのだろう、鉄アレイとジョギングシューズが揃えて置かれていた。見た目にも大きな靴で、サイズは二十八センチ以上あることがひと目でわかった。
 山科は背が高くて細く見えるが、精悍な顔つきと肩幅の広さから、『細マッチョ体型』であろうことはガウンの上からでも見てとれた。五十二歳の割に若々しく見えるのは、柔道の有段者であり今でも道場に通っていると、事前に調べたプロフィールどおりの生活をしているとうかがえた。
 プロフィールによると、国立大学の理工学部を卒業して警備会社で働いていたとき、倉見雄一郎の屋敷に爆発物が届けられるという事件があり、山科の献身的な仕事ぶりに倉見がひと目惚れしたことで、私設秘書として迎え入れられたことになっている。

「秘書の仕事は、家庭より先生の方を大事にするものだから、女房は結婚して三年で飛び出してしまいましてね。それ以来ヤモメ暮らしなので、何もお構いできませんが……」
 客間として使っているのであろう居間も掃除が行き届いていた。六人が楽にくつろげそうなソファーの横には、片側の壁一面に雛壇上の棚があり、小さな鉢植えがたくさん並べられている。何を植えているのか有田にはわからないが、花は咲いていない。しかし、それらを見るホームズの目が妙に輝いているのが気になった。
 山科はドリップ式のコーヒーメーカーからコーヒーを注いで、三人の前に置いた。

「で、真鍋さんがどうかしましたか」
 山科がコーヒーを勧めながら、話を切り出した。
「昨日の朝、亡くなったんです」
 有田が事実だけを簡潔に伝えて山科の反応を見た。ホームズはコーヒーにペットシュガーを二本入れて嬉しそうにかき回している。
「えっ?」
 山科は「信じられない」という顔をして息をのんだ。
「だって、彼はまだ五十前でしょう? 僕より少し下だったはずだから……どうして……」
「品川埠頭に浮いているのを発見されたのですが、最近真鍋さんにお会いしましたか」
 野沢が手帳を取り出して聞き取りを始めた。
「自殺ですか……。いや、最近どころかもう十数年以上会ったことはないですね」
 山科は顔を曇らせ動揺を隠そうともせず、震える声で答えた。
「どうして自殺だと思われたんです?」
 有田も疑問に感じたことを、野沢が突っ込む。
「気の弱いところがありましたからね。誰にでも優しくて好かれていましたから、人に恨まれる性格じゃなかったですよ」
「山科さんの話しぶりだと、事故の可能性はまるで考えられないようですね」
 有田が柔らかい表情のまま疑念をぶつけた。
「そんなことはないですよ。もし事故なら、僕のところに刑事さんが聞き込みにくることはないと思ったのです」
 この男は、見た目どおり頭の回転が速いようだ。
「では、一昨日の夜から昨日の朝にかけて、山科さんはどちらにおられましたか?」
「僕を疑っているんですか」
 山科が気色ばんだ。
「形式的なことです。関係者には全員聞いておかないと、管理官にどやされるんですよ」
 有田が愛想笑いを浮かべると、山科は表情を元に戻して思い出すように話し始めた。
「一昨日は、テレビのロードショーを見ながらビールを飲んでいたので、十一時すぎには寝たはずですよ。翌朝は六時に起きて、日課の散歩を小一時間ほどしました。あ、ご覧の通りひとり暮らしなので証明する人はいませんよ」
 特に怪しい雰囲気もなく、すらすらと答えた。
「ところで、山科さんは真鍋さんの会社に行ったことがありますか」
 有田が質問を変えた。
「はい。十数年前に真鍋さんが会社を興したときに、オヤジとお祝いの品を届けたことはありますが、最近は海の見えるエリアに行くこともないですね。練馬の住宅地をうろうろするばかりですよ」
 山科は、やや自嘲気味に笑いながら答えた。

「この女性に見覚えはありませんか」
 有田が早苗の写真を見せたが、
「いや……見たことのない方ですね」
 と首を横に振った。

 そのとき、それまで棚の鉢植えを眺めていたホームズが、突然口を開いた。
「山科さん、珍しい多肉をたくさん育ててらっしゃいますね」
 ホームズの目がビー玉のようにキラキラ輝いている。

「あなたは? 刑事さんではないのですか」
 山科は名乗らないホームズが気になっていたのだろう。
「はい。私、有田刑事の友人で私立探偵のホームズっていいます。本名は結城巣逗っていうんですけど、巣は英語でホームでしょ。だからホームズと呼んでください」
「ホームズさんですか……ケープがとてもお似合いですね。ホームズさんも多肉を育てているのですか」
「はい。ウチの狭いアパートだとたくさん置けないけど、ここにもある桃太郎やセダムなんかを飼っているんです」
「飼っている?」
 野沢が不思議そうに首を傾げた。
「そうよ翼君。ウチのアパートは動物を飼うのが禁止されているから、多肉ちゃんをペットと思って育てているの」
 ホームズが言うと、山科は笑い声を上げた。
「面白い表現だねえ。確かに多肉は植物を育てているというより、生き物を飼育している実感があるよね」
「山科さんも相当なタニラーなんですね」
 ホームズは、趣味仲間を見つけて嬉しそうだ。
「タニラーって何?」
 今度は有田が質問した。
「多肉植物を趣味にしている愛好家のことですよ」
 山科が照れながら答えた。
 有田からすると『ただのクサ』にしか見えないのだが……そういえば、ホームズの事務所やベイカー街の出窓に、小さな鉢植えの『クサ』があるのを思い出した。いつになっても花を咲かせないから、出来損ないの苗なんじゃないかと思っていた。
「あの……これって食べられるんですか? なんか多肉って名前が美味しそうで……」
 言わなきゃいいのに野沢が口を挟んだ。体育会系らしく何でも食べ物に結びつけたようだが、きっと野沢も『ただのクサ』にしか見えなかったのだろう。

「食べられるのもあるけど、ここにあるのは観賞用だよ。原産地のメキシコなんかでは野菜代わりに食べる品種もあるらしいけどね。アロエやリュウゼツランって聞いたことあるでしょう? サボテンも食べられるし、それらも全部広い意味での多肉植物だよ」
 素人の不躾な質問にも山科は丁寧に答えた。
「私の部屋にあるグラパラリーフは、食べるために育てているのよ。とーっても酸っぱいけど慣れれば美味しいよ」
 今度はホームズが嬉しそうに解説する。
「ペット代わりに育てているのを食べるの?」
 野沢が顔をしかめてホームズを見た。
「大丈夫。グラパラリーフは、採っても採っても次から次に生まれてくるから経済的なんだよ」
 野沢がリアクションできない表情で固まっている。やっぱりホームズの「大丈夫」は、ピントがずれているようだ。

 このままだと多肉とやらの『クサ談義』で日が暮れそうな気配なので、有田が帰ろうと促すが、ホームズは名残惜しそうだ。
「いいなあ、初めて見る多肉ちゃんがいっぱい居る」
 と言って、棚の前から離れそうにない。
 棚を眺めていた野沢が、不思議そうに呟いた。
「こんなに葉っぱが覆いかぶさっていたら水をあげるのも大変ですね」
 野沢の指さした鉢を見ると、土の部分がほとんど見えないくらい分厚い棒のような葉っぱが広がっている。
「あのね、翼君。多肉植物はほとんど水分を必要としないから、水をあげるときはスポイトなんかでちょっとだけあげればいいの。上から水をかけたらお日さまに当たったときに、葉っぱの水玉がレンズのようになって表面が痛むのよ」
「ホームズさん詳しいですね。良かったらひとつ持って帰ってもいいですよ。どれでもいいわけじゃないけど好きなのを選んでごらん」
 山科が試すような口調で言った。
 それを聞いたホームズは、前にも増して目を輝かせた。
「本当ですか! さっき翼君が見ていたこの綺麗な縞の入った『オブツーサ』はさすがに高価そうだから遠慮した方がいいですよね。ネットや図鑑で眺めては羨ましいと思っていたんです。でもこっちの小さい『オブツーサ』は、たくさんあるからいいかしら」
 すると、山科は声を上げて笑い出した。
「さすがにいい目をしているね。多肉の相場を知っているようだ。高価な種類でも、葉差しをして増殖したものなら貰えるんじゃないかと踏んだんだね」
「はい。でも本当にいいんですか?」
 もう貰った気になっているようだ。長い付き合いの有田でも滅多に見ない眩いほどの笑顔を山科に向けているホームズに、胸の辺りが軽く脈打つのを感じた。

「高価なって、いくらくらいするんですか」
 またまた野沢が余計な質問をした。
「そうだね、ホームズさんが遠慮してくれた『ブラックオブツーサ』が、その大きさで四万円くらいかな。僕も苦労して手に入れたものだから、そっちをくれって言われていたらさすがに譲ってあげることはできなかったけど、小さい方は僕が葉差ししたものでまだ縞が入るかもわからないから二千円くらいかな。僕は持ってないけど、『ハオルシア』や『万象』などの種類で貴重なものは百万円を超えるものだってあるよ。でも多肉全部がそんなに高価なわけじゃなくて、この桃太郎なんかは六百円くらいだよ」
 山科は丁寧に答えていたが、野沢はだらしなく口を開けて目を丸くしている。野沢だけでなく有田も、多肉という『クサ』に値段があること自体に驚き、さらに百万円以上のものがあることに絶句していた。ただホームズだけが『高価なクサ』を貰ってニコニコしている。

「あ、そうそう。山科さんは倉見代議士の奥さん……彩花さんと親しいんですか?」
 突然思い出したように、ホームズが尋ねた。
「もちろん、良く知っているよ。随分お世話になったからね。五年前にも倉見先生の後継を勧められたけどお断りしたので気にはなっているけどね」
 山科の答えは、質問のピントを少し外したように思えて、有田は違和感を覚えた。
「最近は彩花さんと会っていないんですか」
「そうですね……最近は会ってないですよ」
 山科は、平然とした態度だが、首を少し傾げてホームズの真意をはかりかねているような顔をしている。

「あっ! このセダムは増やそうとしているんですね。見たことのない葉っぱですけど、名前は何ですか」
 ホームズがまた珍しい『クサ』を見つけたらしい。形は違うようだが、有田からすると『同じクサ』にしか見えない。
「いや……僕も最近入手したばかりで、名前の確認をしてないのですよ」
「グラス系ですかね……クリスタルグラスにしては、葉っぱが広いようですけど……増えたらこれも是非いただきたいなあ」
 ホームズが少し大きめの鉢にポツンと置かれている葉っぱの周りの土をいじりながら言った。しかも、いじっただけでなくクサの周りの土を少し口に入れた。
「この鉢の土は、他とは違う配合なんですか」
 土の味を確かめるように噛みしめている。
「土を食べたんですか!」
 野沢が叫んだ。
「大丈夫よ、お腹がすいているわけじゃないわ。こんな風に小さい株から増やすのにどんな土を使っているのか興味があるのよ」
 土を食べているホームズに、野沢は汚らしいものを見るかの目つきを向けているが、有田にとっては珍しいことではなかった。

「これは、サボテン用と培養土の配合でしょうか? マグァンプとくん炭も入っていますね。殺虫剤はオルトランが少しなだけで劇薬系を使ってないのは室内で育成しているからですね」
 ホームズは、土を舌の上で転がしながら、成分分析を披露した。
「よくわかりますね、その配合を自分でしましたが、土にもいろんな味があるんですね。ご褒美と言っては失礼でしょうが、増えたらホームズさんにも株分けしますよ。是非また遊びに来てください」
「はい。また寄らせてくださいね。山科さんも時間があったら、原宿にある私の事務所に寄ってください。私の所は殺風景で何もお構いできませんが、一階にある喫茶店ベイカー街の超美味しいコーヒーをご馳走しますよ」
 ホームズが嬉しそうに名刺を差し出した。
「へえ、ホームズさんの事務所はいかにもベイカー街にある感じですね」
 山科は名刺を手に取って感心している。
「ありがとうございます。私もその住所がお気に入りなんです」
 ホームズは、山科から貰った多肉植物とやらを大事そうに抱えてニコニコしている。
 これ以上の聞き込みは無用だと判断した有田ら三人は、夕方にはホームズの事務所に戻っていた。

      (続く)

ホームズの〝変わり者っぷり〟が随所に出てきますが違和感はどうだろ?


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