看板という政治風土

 8年ほど前になりますが、家族で山陰地方を旅行したことがあります。そのときに街の風景で強烈に印象に残ったのは、いわゆる政党広報板といわれる政党支部長の顔のポスターを貼った看板の数が鹿児島に比べ圧倒的に少ないことでした。街の景観としても非常に良かったことを思い出します。

政治活動の看板には2種類あります。1つは公職選挙法で定められた候補者個人と後援団体による政治活動用の看板。そしてもう1つは政党及び政党支部主導による政党広報板です。
少し解説しますと、公職選挙法で定められた候補者個人と後援団体による政治活動用の看板は、選挙管理委員会に設置の届出を行い、証紙と呼ばれるシールを合計あわせて地方議員は最大12枚交付してもらえます。設置場所と設置場所の電話番号まで届け出る非常に管理の厳格なものです。
それに対し、政党広報板は、特に国会議員又は国会議員をめざす方の政党支部主導で設置がおこなわれ、届出の義務がなく、枚数制限もありません。この広報板という仕組みができて、世間に建て始めたころは、運用にあたり1枚1枚丁寧にお願いし、設置していた時期がありました。この政党広報板は国会議員の支部長さんのもとで地区ごとに県議・市議などの地方議員の名前も書いてあるスペースもあるので、地方議員は12枚以上に自分の名前を周知することができるので、私も30枚ほど協力して設置しています。

私が政党広報板設置を頼まれたのは、平成17年保岡興治衆議院議員が在任中のころでした。私も友人知人のつてを頼って1枚1枚頭を下げて趣旨を伝え、設置してまわりました。1箇所につき1枚での設置でした。
この政党広報板の設置にあたっては、義務ではありませんが、設置場所の持ち主の許可をもらっています。特に個人宅の壁などは社会人のマナーとして必ず必要です。その候補者や政党の支持者であれば快諾いただくケースがほとんどです。レアケースですが、交通上の要衝などのお宅には支持者でなくても訪ねて行って快諾いただける場合もあります。

そして平成20年頃。小選挙区での勝利をめざす当時の民主党候補によって政党広報板の1箇所につき複数枚設置が突如始まりました。いわゆる連貼りです。このとき保岡衆議院議員はいっとき静観していましたが、いよいよ相手の枚数が多くなったのを見て、「相手がそうしてくる以上、こちらもそうせざるを得なくなりました」と1箇所につき複数枚設置を始めることになりました。また、このときに「政党広報板のある壁の隣に別の政党広報板が貼られる」ということも出現しました。要するに、対立政党どうしの広報板が1箇所に貼ってあるのです。これには大変びっくりしたことを覚えています。これに効果があったのかわかりませんが、平成22年に民主党政権が誕生しました。

 この状況にさらに拍車をかけたのは、平成29年から始まった鹿児島1区の自民党支部長指名争いです。これにより政党広報板の設置に拍車がかかりました。私は保岡宏武氏を支持する立場にありました。あるとき連絡がありました。「これまで、私たちは政党広報板を設置にあたり、道路端などに建てることはしてこなかったのですが、相手がそうしてくる以上、こちらもせざるを得なくなりました」

私にとりましては「相手がそうしてくる以上、こちらもそうせざるを得なくなりました」という2回目の言葉になりました。理性と常識、社会通念に照らし合わせ、法律家としての矜持のもとでの政党広報板設置を進めてきた支部の矜持がやむなく崩れた瞬間でした。

結果として広報板がどんどん増え、乱立しました。また広報板という「板」を省略して、壁にポスターを直貼りするやり方も始まりました。結果として、鹿児島1区は、与野党対立と同一政党内対立のなかで、政党広報板の乱立・ポスター合戦。数百といわず数十メートルおきに政党広報板もしくは政党支部長のポスターが出てくる街になってしまいました。
この状況により政治への関心が高まった側面もあろうかと思いますが、政策論争が高まったとは思えません。

政治に関わるものとして非常に心苦しい事態です。この状況を15年近くにわたりつぶさに見てきただけに、どうしても申し上げたく筆を執りました。「これ以上看板・ポスターは増やさない。できれば数を減らせないか」―平成15年頃の状態に戻したいと思うこの頃です。

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