父のこと

一番最初に何を書こうか、というよりいずれ何か書きたいと思っていて、わたしの人生で一番影響を受け、身近な存在である父が最近亡くなり、父について書こうと思う。

父は魚市場を営む夫婦の末息子として産まれ、そこそこ裕福な家庭で育ち、戦争末期の生まれであるが、幼い頃の写真が割と沢山あったり、1人だけこっそり当時の高級品であるバナナを食べさせてもらったり、幼稚園は1週間で協調性のなさで退園し、父の父であるわたしの祖父はじめ家族に大変可愛がられて自由に育った。

戦後間も無い頃はリアカーに魚を積んで兄弟で売り歩くこともしていたらしい。仕入れの都合で朝早い時には(深夜の深い時間帯もあったのだろう)魚のリンがフワッと出て青い火の玉のように見えるらしく、それがちょうど墓場の近くを通っている最中だったりして、兄弟でぎゃあぎゃあ言いながら運んでいたと亡くなった叔母が言っていた。魚屋あるあるなのか、なんだか楽しそうではある。

地元の小中学を卒業後、素行の悪さから高校は2回退学させられたが、3校目の高校を20歳で卒業した。その高校では歳上でもあることから周りの学生には恐れられていたようで、わたし友人の父親より、わたしの父の学生時代はすごく悪かった、喧嘩が強かったというのを聞いたことがあり、卒業後は家出をしたりして本当に素行不良であったのだと思う。
そんな父は乗り物が好きで大型免許中型免許を取り、中でもバイクと陸送の大型車両についてはよくわたしたち子どもに話していた。
バイクは車体と並行になるくらい上半身を前に倒して乗っており(抵抗を減らすため)、そうやって走行していると畑仕事をしている近所の婆さんたちが「無人のバイクが走ってくる!」と腰を抜かしていたらしい。
陸送は車両を運ぶ仕事をしていたので、車両を運び終わったら荷台にマットレスを引いてそこにわたしたち兄弟3人を乗せて運んでいたようだ(わたしは幼なすぎて覚えていない)。昭和なので子どもたちは荷台で遊んだり寝たりしていたらしい、危ないと思うが当時はバイクもノーヘルだったしなんでも良かったのだろう。
陸送の前は大阪でタクシーの運転手もやっていたらしい。つくづく車が好きな男である。
家出中、父の姉たちに連れ戻された。すぐ上の兄(わたしの叔父)とは折り合いが悪く、昼休憩で入った飲食店(わたしの母と叔母が営む、当時はまだ結婚していない)で叔父がいると父が黙って出て行き、父が先に入店していると叔父がチラ見して出て行くという仲の悪さであった。母曰く会話しているのを見たことがなかったらしく、仲の悪い兄弟だなと思っていたらしい。
ちなみに叔父も同業であったため、折り合いが悪いついでに家業と並行して陸送の仕事も始めたようだ。

やがて交際に発展し、母と結婚することになる。

ちなみに父の結婚は2回目で、1回目はなんと高校生の時である。子持ちの女と騙されて結婚したと言っていた。なんだかよく分からないがわたしの兄がパスポートを取った時の戸籍謄本で判明した。
母との結婚の際、仲の悪い父のすぐ上の兄(叔父)が
母と叔母のどっちの姉妹と結婚するんだと言ってきたらしい。叔父はわたしの叔母がお気に召さなかったらしく、妹なら良いと言ったとか。叔父は正直な人で母たち姉妹を「〇〇(地名が入る)のゴキブリ」と呼んでいたそうだ。口が悪すぎてウケる。

しばらくするとわたしたち兄弟が生まれる。
わたしと真ん中の兄との間に事故で亡くなった兄がいる。一歳で亡くなった。家業の朝は早いので父は15時頃昼寝をする習慣があった。その日はその亡くなった兄と2人で寝ていたらしい。一歳といっても二歳に近いくらいだったので兄は昼寝に飽きてトコトコ歩き出し、鮮魚店であるがゆえに家の周りには沢山水槽があり、そこに落ちて溺死した。自分のマジ寝のためと絶望したと思う。母は責めていなかったが、母の兄弟は父のせいだと言っていた。
そんな絶望した暗い家庭にわたしが生まれてきた。

ちょっと脱線するが、人の2倍の人生について。
うちは檀家なのだが、亡くなった兄の月命日にはお坊さんが来る。亡くなった子は歳の近い兄妹につくと言われるとかで、あなたに亡くなった兄はついていると言われた。何となく自分でも感じるが良いことも悪いことも人より倍ある気がする。ちなみに小さい男の子の守護霊が見える、みたいなことをその後別の人とか占いみたいなものでも複数回言われたことがあるので多分そうなのだと思う。

父の趣味。
父の趣味と言えるものは車だ。酒も賭け事もやらない。
女については前科があり、わたしの人生に影響があったことなのでまた書く。
車検前に新しい車に乗り換え、高速では追越し車線しか走らないスピード狂であった。常に120キロ超えで警告音が鳴りっぱなしで、わたしはそれが普通だと思っており、よその車に乗ってちんたら走ってるとトロい人と思っていた。
ちなみに父は薄毛だが車の運転の際は帽子を被りサングラスをする。カッコイイ。車を汚すと容赦なく鉄拳制裁される。子どものお菓子を食べ散らかしなど言語道断で車内での飲食は禁止だ。
車はトヨタ車しか乗らない。実家に帰省するたびに車が変わるのでそれもどこの家もそんなもんだと思っていたが違った。

わたしは末っ子で唯一の女児だったため基本甘やかされたが、礼儀や躾は子ども全員に厳しかった。
「うん」は厳禁、必ず「はい」と言えと叱られるため、
階段で「うん じゃない はい」と呪文のように反省しているのを叔母に見つかり、叔母が亡くなるまでこの呪文の話をされた。

とりあえず、わたしの幼少期の父のことについて。
次は、わたしが思春期だったころの父について書く予定。

もし読んでくれた方がいたら、ありがとうございます。

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