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差があるから成り立つ世界

みんな違ってみんないいという言葉を一度は聞いたことがあるだろう。

これは金子みすゞによる詩、『私と小鳥と鈴と』のラスト締めくくりに使われた言葉。

私はこの言葉を聞いて、ナルホドなと思った。みんな違ってみんな【いい】かは分からないが、みんな違うからこそ成立するものがある。

もっと分かりやすい言い方をすると、差があるから世界は周っていると思う。

幼少期、「誰にでも優しくみんな平等に」と教えてくれた大人たちがいた。

それは大人の世界は平等ではないという裏のメッセージが込められていたのかもしれない。だからせめて、子供の間だけでも、平等であってくれと願った。

今になってわかる気がする。唯一平等に与えられたのは誰もが平等ではないことだけだった。

力の差が世界を回す動力になっている。まるで、高いところにある物ほど落ちた時の衝撃が強いように、差がエネルギーを生み出す。

例えば、勝負の世界ではそれが顕著に表れている。サッカーや野球、何でもいい。観客は観客は勝敗のつかない試合を見に来ているわけじゃない。力の差によって生まれた結果を楽しみにしているのだ。

これは商売にも同じことが言える。販売者と購買者との差が無ければ絶対に商品は買われない。

あなたが家路に帰るときにいつも通る美味しそうなラーメン屋。店内から溢れ出すラーメンの匂いは、肉汁たっぷりのアツアツチャーシューに、モチモチ麺、喉越し抜群のスープを思い出させる。

気が付いたら店内にいて、ズルズルとラーメンを頬張っている。

もし、あなたがラーメンを作る天才で、同じラーメンを作る技術も材料も場所も時間もあるならば、そのうまいラーメンは食べに行かないだろう。大人しく家に帰って同じラーメンを作るに違いない。

なぜそれをしないか?それは現実的でないからだ。ラーメン一筋の人間に営業一筋のサラリーマンがラーメンで敵うわけがないと認めているからだ。埋められない差があるからサラリーマンはラーメン店に足繁く通う。

じゃあもし皆平等だったら?

きっとこんなに経済はまわっていない。きっともっと世界は平和だ。争いもない。あなたの事を否定する人はもちろんいない。でもきっとすごい退屈だろう。

言い表しようもない不安と空虚な妄想で一日を過ごし、惰性で呼吸をしているだろう。

平和は素晴らしいことだが、平和すぎるのはきっと退屈なんだ。だから平和に争えるスポーツを作った。ルールの中で戦える商売もそうだ。

あの人と自分は違う。自分とあの人には差がある。ああなりたい。こんなふうになりたい。そういう思いが人を成長させる。

人と違うから、自分に気付けるし、差があるから成り立つ世界がある。

みな競い合っている。そんな気がしてやまないのである。

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