見出し画像

大ちゃんがマンボでウッ!と踊っていた頃、哉中ちゃんは初のトップ10入りを果たした。

2010年当時の村元哉中選手のエピソードです。現在の村元哉中選手・髙橋大輔選手とは無関係である旨、ご了承願います。

かなだいデビューの全日本選手権が「長野」でしたね。

「長野」って不思議と村元哉中選手にご縁があるな~と思いながら、過去の記事を掘り起こしていました。シングルで初のトップ10入りを果たした事、アイスダンスでも3回中2回カップルのデビュー戦に当たる。哉中選手と相性がいい場所じゃないかって思っています。

長野繋がりと言う事で、初のトップ10入りを果たした全日本の思い出話を語りたいと思います。

村元哉中選手の成績:

シングル時代
2010年 第79回全日本選手権大会 10位 (初のトップ10入り)
(この年、男子シングルで出場した髙橋大輔さんは3位)

アイスダンス時代
2014年 第83回全日本フィギュアスケート選手権大会 3位
2020年 第89回全日本フィギュアスケート選手権大会 2位


髙橋大輔さんが、マンボでウッ!ってやっていた年です。

2010年の村元姉妹は大波乱の連続でした。

小月選手の怪我によるシーズン欠場により、哉中選手1人で迎える2010-2011シーズン。2年ぶりの派遣となったJGPですが、哉中選手は17位と言う結果で実力を発揮できず。近畿ブロックでは2位となるも、西日本選手権では8位とギリギリの全日本通過となり、見ているファン達をハラハラさせる展開でした。

哉中選手が出場したJGPクールシュベル大会なのですが、現在も現役選手なのが女子では哉中選手のみ?男子はジェイソン・ブラウン選手、ロマン・ポンサール選手、今期で引退表明された日野龍樹選手。同じ大会にアイスダンスで出場していたのが、ステファノワ&ブキン組とパパダキス&シゼロン組。8年後にこの2組と共にオリンピック出場したんですよね。

このシーズンの哉中選手は、シーズンオフから取り組むトゥループの矯正が長引き不安定な状態。卒業を控え学業も多忙との事でなかなかスケートに打ち込む事が出来ず。近畿、西日本の演技内容だと、正直言って全日本では厳しい戦いになると思っていました。

ちなみに、この年のフリーは「ツィゴイネルワイゼン」だったのですが、羽生結弦選手と同じ年に同じフリーの曲だったんですよね。

当時のフリーの感想:
3Fは両足着氷、3Sはダブルに。出だしに心配しましたが、気持ちが途切れなかった。そして、久しぶりの3T着氷!スランプ状態だったのが嘘みたい、何事もなく着氷。あんなに苦労していたのに。まさか、ここ一番の大舞台であんなにあっさり決めるとは。この日もスケーティングの美しさが際立ちましたね!見どころのスパイラル、美しいポジションのビールマンスピンなどで大きな拍手を頂いていました。「いくわよ!」と言わんばかりの挑発的なサーキュラーステップ。この日はショートサイドからの観戦でしたが、横から見ると、上半身の動きの激しさがよく分かりジャッジさんにアピールしているのが伝わりました。レベル3獲得の立派なステップでした。

当時の所感を見ると、アイスダンサーとしての才能の片鱗が見えるような気がしますね。

かなクリ時代のインタビューで「ジャンプが飛べない事をコンプレックスに思っていた」と話していましたが、逆を言うと「スケーティングだけでここまで点数が取れる選手はいなかった」のではないかと私は思っています。この10年で女子シングル選手の技術力が飛躍的に向上した事も、当時のスコアを見返しながら思います。今の時代はスケーティングは当然で全てのレベルが揃った上での3Aや4回転ですからね。

あとですね、これは個人の雑感としてですが、当時の放送状況を物語るエピソードとして。

全日本の10位以内に入ってる選手の中で、演技の映像が放送されなかったのが、悲しいかな、我が村元哉中選手という事を根に持つファンです。バナーはあんなにでかでかと放送されてたのに(笑)10位とは言え、両方前半グループだったゆえだと思われるのですが「今度は後半グループに入ってね!」「8位か9位ぐらいで」なんて話したら「テレビに映れるよう頑張ります~」と、笑っていました。

10年後は「アイスダンスが」地上波で放送される時代ですよ。

話題性のかなだいだけでなく、ちゃんと優勝した小松原夫妻の演技まで流れる。全選手の演技をTVで見られるんです。BS・CSならば全選手放送され、オンデマンド放送もある。いい時代です。

前半グループになった、と言うだけであの羽生結弦選手や宮原知子選手が放送されなかった時代。だからこそ、アイスダンスが、哉中選手の演技が地上波で流れる事が心から嬉しく思います。