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自分の感受性を恨んでいたこともある #ペアnote

感受性が豊かな人、というとポジティブな印象。
でも、感受性が強い人、というと、何だか腫れ物に触るような、取り扱い注意みたいな印象を受ける。

感受性ー諸刃の刃。芸術的な才能と生きにくさの両方を育む。

優れた芸術家の中に、感受性の鈍い人っているのだろうか。
少なくとも、私は聞いたことがない。
いないだろう。いるわけがない。
それにひきかえ、感受性が強すぎるぐらい強くても、芸術家になれない人は星の数ほどいる。

私は、自分の感受性をうらんだことがある。
心の病気になったこともある。

「神さま、芸術家になれないなら、どうして私に感じすぎる心を与えたんですか?」

行き場のない、やり場のない感受性。

40歳半ばを過ぎた今でも、私はもがき続けている。
どうして?と問い続けている。
でも、もう病気にはならないだろう。

心が強くなったのか、感受性が鈍ったのか、わからない。

きっと、おとなになったのだろう。
もがいているばかりではなくなった。
感じられる心を、楽しんでもいる。
でも、あきらめたのではない。
芸術家にはなれなくても、自分の感受性が生み出したもので、いつかたくさんの人を喜ばせられるようになることを、あきらめはしない。

この記事は、「同じテーマを一緒に書きませんか」という、ひらやまさんのご提案に心を動かされて、書きました。

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