KinKi Kids2人が好きだ

2021年3月、アマゾンプライムビデオでKinKi Kids沼へと浸かった私は、クリスマス/お正月の配信ライブを経て、満を持してFCへの入会を決める。
そこで待っていたのは「ファン区分 剛/光一」の無情な選択肢だった。

アマプラのKinKi Kidsツアーセレクションをみていて歌声の美しさのほかに強くキンキに惹かれた理由のひとつが、2人の関係性だった。
キンキの映像を見てて思ったのは、
この人たち、とってもお互いが好きだな!
ということ。
ずーっとお互いを見てる。お互いを全く否定しない。褒める。
よく言われるMCの長さ以上にびっくりした。
ファンになる前、KinKi不仲説/解散説をよく目にしていたけれど、
実際映像で見ると、「そんなわけなくない!?」というのが私の感想だった。
何より、2人とも、努力してKinKi Kidsという場所を守っているんだなとひしひしと感じられた。

2人のインタビューの中で「二人組はとにかく比べられるもの」と話しているのをみたことがある。
どれだけの人がKinKi Kidsという剛と光一の2人組を比べてきただろう。
そして、そのことばは、幼い二人を傷つけてきたのだろうと思うとわたしの胸まで痛くなる。

私が思うに、堂本剛という人は、入所まもない10代の頃から演技力・歌唱力・ダンスのセンス どれをとっても抜群に素晴らしくて、完成度が高かったんだと思う。
一方光一さんは、10代の頃はまだ発展途上で、歌声もどこか頼りなかったように思える。

そこで光一さんが本当に美しい人だなと思うのは、誰より負けん気が強くても、絶対相手のことを妬んだりひがんだりしないところ。
2021年のどんなもんヤでもお悩みに対して
「相手を妬む時間が無駄 その分自分を磨くべき」という答えを返していて、そこに堂本光一の美しさの全てが詰まっているように思った。
ふつう、自分がいつも比べられる相手のことは、苦手だなーと思ってしまってもおかしくないと思う。
でも光一さんは相手にとらわれるんじゃなくて、その分自分を磨いたんだと思うと、そのあり方の美しさに感動した。

実際、いまのキンキのパフォーマンスをみると、剛さんの、聴く人全ての心に思いがストレートに届くような神から与えられた美しい歌声に、光一さんの伸びやかでストレートな歌声が重なり合うハーモニーにうっとりする。
この境地に辿り着くまでにどれだけの努力を重ねたのだろう。
光一さんは自分の歌声について、個性がなくて好きじゃないと語っていたけれど、このストレートな美しさは真似しようと思っても真似できるものじゃないから、すごく素敵だと思う。
それに、時に胸をかきむしるような切ない情感の表現は、光一さんの歌声があるからこそ生まれるんだなとしみじみする。

そして、剛さんは本人の意思に関わらず
音楽の神様からも、世の中の一般の大衆からも、
誰からも愛されていろんな感情を集めてしまうカリスマだなあとパフォーマンスをみていて思う。
自分の魅力に自覚があって、どうしたらみんなの心が掴めるか完全にわかってる。
きっと不要な妬みやそねみを若い頃から一身に受けてきたんだろうなと想像するに容易い。
そんな人の隣に、ただ自分を磨いて、高みへと登ろうとする光一さんがいることは、どんな奇跡だろうか。

また、KinKi Kidsの特徴のひとつにそれぞれのソロワークがそれぞれの思う至高の表現を追求し他の誰もが到達できない極みに立っていることがある。

光一さんのソロ曲やパフォーマンスは、命をかけてでも私たちに自らの信じる最高のエンターテインメントのショーを届けるんだという信念を感じる。
特に光一さんのライフワークである「SHOCK」の取り組みについて、
わたしはまだSHOCKをみる機会にあずかったことはないのだけど、
ドキュメンタリーをみていると、光一さんのそこにかける想いの重さはとてつもないものがあるとわかる。
座長自らが演出も手がけ、命を削るようなアクロバットを日に2回も公演する。しかもそれを20年も続けている!
とてもついていけない重さと熱さ。
この人に並ぶことは、よっぽど自分も胸を張れるものがないと、恥ずかしくなると思う。

一方剛さんのソロは、音のひとつぶひとつぶに堂本剛という極上の魂を持つ人間の思いがかけられてるように思う。
言葉選び、音の構成、全てに剛さんの魂が宿っている。
光一さんのソロワークが見る人を楽しませるエンターテイメントに特化しているのに対して、剛さんはどんどん自分の内側に潜っていって、神様とのプライベートな対話を我々にも分けてくれている感じ。
剛さんがおかれる体の状況は苦難そのものだと思うけれど、それでも剛さんは音楽を離さないし、音楽も剛さんを離そうとしない。
光一さんと同じように、これだけのクオリティの高い表現を続ける剛さんの隣に立ち続けるのはものすごくプレッシャーの高いことだと思う。

本当はもっとそれぞれのソロワークに対してことばを丁寧に重ねるべきだと思うけど、まだそこまで言葉を持ち合わせていないので簡単にしておく。

グループを20年続けていたら、それぞれの志向でどんどん枝葉が伸びていくものだと思うけど、
その伸び方、熱量の入り方はメンバーによってまだらになるものじゃないだろうか。
でもKinKi Kidsの場合は2人とも、ジャニーズという枠を取り払ったとしても、いまを生きるアーティストとして先端をひた走っている。その景色はもしかしたら孤独なものかもしれない。
でも、どちらも何もサボらずに表現を追求し続けているからこそ、方向性は違えどお互いを1人にすることがないんだと思う。
「2人組は比べられるもの」ということばの通りだとしたら、どちらも20年以上にわたって全力で走り抜いていて、サボることなく、どちらかが見劣ることがないこと。
それこそがKinKi Kidsのすごみであることは間違いない。

これだけソロを極めていたら、別にもうグループがなくても十分自分のやりたいことはできていると思う。
だからこそ、2人はあえて自分で選んでKinKi Kidsという場所に立っているんだなと思い、ファンとしては嬉しい。

KinKi Kidsの歌には、いい意味で、それぞれの個人が思いをぶつけたい表現からは距離を置いたKinKi Kidsでしかない世界がある。
何を歌っても品があり、現実の猥雑さから少しだけ浮くようなフィクションの透明感。
そして、現実にはない歌の世界観が、2人の歌声でふっと立ち上がるのが素晴らしい。
等身大の共感を呼んだり、聴く人に語りかけてくれる歌はたくさんあるけれど、そこにない歌の世界を作り上げることのできる表現力のある歌手は多くないように思う。
ただお互いのソロを持ちこむのではなく、KinKi Kidsという場所にチューニングされたそれぞれをもちよっているのが尊い。
KinKi Kidsのとき、剛さんは音に自分をぶつけるというよりも言葉のひとつひとつを丁寧に置いているように思うし、光一さんはよりやわらかい表現で剛さんの歌声や音に寄り添っているように思う。
きっと、2人とも「自分だけのもの」ではなく「KinKi Kidsのもの」として世界を大事に織り上げているんだと感じる。
上下にからみあうハーモニーと、2人ではなく1人なんじゃないかと思うほど一体感のあるユニゾン。
そしてパフォーマンスは、片や即興性の高いギターやダンス、片や精緻で軸のしっかりとれたダンスでソロワークで築き上げたキャリアが存分に生かされているようにみえる。
その、お互いの歩んできた道を尊重し、全然違うことをやっているのに、これぞKinKi Kidsとしか言いようがない世界観ができあがることが素晴らしい。

新曲アン/ペアで、2人は敢えて同じ振り付けや同じことをパフォーマンスしてみせることをやめた。
それを成立させるには、2人の実力が拮抗していて、何しても見劣ることがないと信じていないと踏み切れないと思う。
そのグループとしての革新性!
デビューから20年経っても常にいまの自分たちにとって何がベストか考えて、進化を止めず、常に最高を更新し続けること。
圧倒的なレベルの高さにひれ伏している。

2人はアプローチや志向性は違うものの、魂の高潔さのレベルが一緒なんだと思う。
だからブンブブーンで「自分たちが正しいと思える方法で視聴者に番組を届けよう」という話になるのだろうし、その誠実な姿に私たちファンは魅了されるのだと思う。
お互いの志向するものが違っても、正しいと思うことや、規範とするもののレベルが一緒だから、全く違うことしていても信じられるんだと思うと本当に尊い。

剛さんは光一さんの「男らしさ」が好きだといい、
光一さんは剛さんの「才能そのもの 予測できないところ」が好きだという。
2人は、別にお互い似ているわけでもないし、趣味が合うわけでもないと公言している。
でも、それぞれ自分にないと思っているところを相手の好きなところだと伝える、その愛情にたまらない気持ちになる。
全く似ていない2人が10代から自分たちで考え作ってきた、KinKi Kidsというグループ。
それは単に2人組のペアであるということではなく、KinKi Kidsという概念だ。
2人がキンキキッズとして一緒にいることこそ私にとっては尊い。

ファンクラブ入会で、どちらのファン区分にしたか、正直本当におぼえてない。
どっちがどうということではなく、KinKi Kidsという2人組にわたしは魅了されている。

次にKinKi Kids2人のパフォーマンスをみるとき、絶対に2人はまたこのソロの時期を経てものすごい進化をしてると信じられる。
そのときが、本当に楽しみだ。

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