長女の役割と葛藤を手放したエルサが羨ましかったあのとき

家族の中での役割について考えたことありますか?


家族は絶対的味方で、絶対的信頼のもと、
見えない絆でかたく結ばれている。

という姿が理想ですが、実際はどうでしょう。


喧嘩はもちろん、許せないこと、傷つけること、裏切られたような気持ちになること…
そんなこともあると思うのです。
それでも一緒にいなければいけないときもあります。


そんな家族という存在こそ
実は一番努力の結晶なのではないかと
最近思うようになりました。


人間、努力というと結果を追い求めがちです。


テストの結果や、試験の合否、試合の結果などで
その人の努力を測ろうとしてしまいます。


だからこそ、家族の中での関係性というのは
評価されにくい点です。


ただ、関係性が近いからこそ努力していることも
多いのかもしれません。


そして家族の中での役割には
父親、母親の役割はもちろん、
長男長女、次男次女など、
子供にも役割があるように感じます。


家族というコミュニティの中での
バランスを考えて、調整していく。


良いバランスは家族によって違いますが、
その家族の全体をみて、実は無意識に全員が
バランスをとっているようにも思うのです。


学生の頃、『アナと雪の女王』を観たときも
同じようなことを感じました。


私はあの作品が大好きで当時、
映画館に何度も観に行ったほど。


そんなアナ雪では姉妹を中心に
話が進んで行きますが、人によっては
姉妹の間の家族愛を話しているだけで
つまらないと思うという意見も聞いたことがあります。


ただ、私にとってはそれだけではないと思うのです。


姉や兄は家族での自分の立場と役割を気にして、
必要以上に責任を感じるものです。


家族のいいバランスをとる為の重りのような
役割を演じがちで、作中でエルサも

「いい子にしていなければ、姉として。妹を守らなければ、自分の存在を消してでも。」

そんな葛藤が描かれています。


一方で妹や弟は勢いを持っています。
やりたいことはやればいい。
気にする必要はないし、それよりもっと自分と向き合ってほしい。アナも

「ただ、前みたいに遊んでほしい。門を開けて外の世界にも飛び出したいし、自分を守る為になってないぞ!ただ遊びたいだけなのに。」

そんな描写になっています。


エルサは雪山に登るとき、ついに今まで背負っていた自分の役目を手放し、
自分の中に眠っていた怪物的な興味と今までの我慢と葛藤を解放します。


このときのメタファー的表現については
わかりやすく説明しているYouTubeを
見つけたので興味のある方はぜひ。



さて、そんな『アナと雪の女王』を思い出したのも最近、自分の本当の気持ちに目を向けるようになったからです。


長女の私は、映画公開当初も
自分の気持ちを押し殺していて、
解放したいけどできない自分の中の葛藤がありました。


だからこそ、気持ちを解放しているエルサに
羨ましいような、代わりに解放してくれる
爽快感のような感情があったから
好きだったのかもしれません。


兄弟での役割はもちろん、
どちらがいいというものではありません。


ただ、お互いに自分の中に役割を
無意識に抱えているのかもしれないと思うと
自分も兄弟も愛おしく感じられるような気がするのです。


最近、自分に向き合う中でそんな風に考えるようになりました。


自分の中の役割と葛藤を手放しつつある、今の私でもう一度『アナと雪の女王』を観たいなと思います。

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