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国立奥多摩美術館館長の他の美術館に行ってきた!(Vol.10) 玉堂美術館


他の美術館に行ってきた!(Vol.10)


玉堂美術館


2022年8月24・25・26・27・29日の5日間、JR御嶽駅から徒歩5分程の所にある玉堂美術館に、川合玉堂さんの写生帳を見させていただくために通っていた。玉堂さんは1873年愛知県生まれの日本画家。1896年に上京。第二次世界大戦中の1944年に青梅市御岳に疎開。1957年に亡くなるまでの晩年を御岳で過ごした。そして、没後4年の1961年に多くの方々の支援によって玉堂美術館が開館した。美術にちょっと詳しい方には説明不要なほど有名な作家だ。そんな玉堂さんの晩年は、地域の方々と親しく付き合い、住まいのある御岳周辺を日頃から写生をしながら散策していたという。そんな話を玉堂美術館で聞いて、ふと軍畑に住む87歳のお爺さんに、玉堂さんを見た事があるかと、なにげなく聞いてみた。そうすると、お爺さんはおもむろに指をさして、「あの辺で絵を描いていたな~」とおっしゃった。ひっくり返るほど驚いた。そして、その絵を探してみたいと思い、玉堂美術館にお願いしてみた。すると、快く写生帳を見せていただける事になった。しかし、その100冊近くある写生帳は、ほとんど公開も資料化もされていないとの事。ならばせっかくなので、全部見させていただくついでに、写真撮影をし資料化したらどうかと提案させてもらった。そして、5日間通って全ページの撮影を行った。玉堂さんにとって写生とは、とても個人的な事であり、自分の中にこの世界を取り込んでいく方法だったように思う。そうやって自らにインストールした世界を、咀嚼し再構成して描くものが「作品」であり、写生帳に描かれた絵は作品ではなかった。写生における絵は、襟を正して人に見せる作品ではなく、日々の玉堂さんとこの世界との対話であった。だからだろう、写生帳の中の絵は、いわゆる作品以上に、その時その場所に生きていた人間としての玉堂さんが表れている様に感じた。この写生帳を見させていただいた5日間は、玉堂さんを身近に感じられたとても幸せな時間だった。結果として探していた絵は発見できた。きっとこの写生帳にはまだまだ多くの面白い物語が秘められている。この写生帳は玉堂研究の第一級の資料でもあり、何ものにも代え難い地域の財産だと思う。その価値を育てていく事を微力ながらお手伝いしたいと思っている。(佐塚真啓)

「西の風新聞」掲載

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