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【わたしと藻嶺#8 奈良亘さん】

氏名:奈良亘(ならわたる)
職業:株式会社GOODVIBES代表取締役(ゲストハウスとダイニングバーの運営)、株式会社しゃこまる代表取締役(アウトドア事業)、日本山岳ガイド協会公認山岳ガイド、北海道山岳ガイド協会監事、総合旅行業務管理者(国内・海外)、第53次日本南極地域観測隊員(南極越冬隊フィールドアシスタント)
卒業年:1997年
学部・学科:経営学部・経営学科


プロフィール

▲株式会社GOODVIBES 代表取締役 奈良亘さん

札幌市出身。大学在学中に南米最高峰アコンカグア6,969m単独登頂を達成。株式会社ノマドへ入社後は、アフリカ最高峰キリマンジャロをはじめ世界中の山々に登り、また秘境への遠征を行う。2011年、第53次南極越冬隊にガイドとして参加。帰国後、2014年に札幌でゲストハウスとダイニングバーを兼ね備えたSappoLodge(サッポロッジ)をオープン。

札幌大学在学中の思い出

Q:どんな学生でしたか?とくに心に残っていることなどがあれば教えてください。

▲木の温もりを感じるSappoLodgeでお話を伺いました

遅刻したおかげで山と出会うことができた

ゼミを決める大事な日に遅刻してしまい、大学に着いた時には人気ゼミがほぼ埋まっていたのです。しかし進藤賢一先生の登山ゼミは人気がなく、まだ空きがあったので、同じように遅刻したサツダイ生に「登山やるべ」と声をかけ、進藤ゼミに入りました。実はそれが登山との出会いです。

小学校の頃から旅が好きで、青春18切符で北海道中を旅していました。自然の中でたくさん遊ばせてくれた親の影響もありますが、とにかく行動力のある子供でした。よく時刻表を眺め、想像の世界であらゆる場所へ行きました。そして実際に自分で鉄道を乗り継いで行ってみる。当時は、北海道内のJR全路線・全駅を周り、記念写真を撮ったり途中下車印を押してもらったりすることが趣味でした。大学浪人時代は、バイクでも北海道一周を成し遂げました。

▲「最高に楽しい大学だったよ」と笑う奈良さん

進藤先生のゼミにたまたま入ったことで、それまでの水平の旅から垂直の旅へと旅のスタイルが変わりました。標高を稼ぐ旅です。大学が始まってまず登ったのが残雪の大雪山。知識も経験もないけれど、元気だけはあったので、ガンガン登りました。新緑の緑と沢に残る残雪とが、ストライプ状に交互になって目の前に広がっていました。それ以来、休みの日は仲間と山に登りまくって、社会人山岳部にも入り、ロッククライミングにも目覚めて。山に出会ったことがターニングポイントとなり、それから山を登り続けて今も山岳ガイドという仕事をしています。

進藤先生とは卒業後も交流が続き、逆にお金をいただいてガイドさせていただいたこともあります。

体操部のこと

大学では、高校時代に熱中した器械体操も続けていました。(昔は強豪だった)札幌大学の体操部は、私が入学した頃にはすでに廃部になっていたのですが、入学早々、同じ新入生にビラを配り体操部を新たに立ち上げました。少人数だったため練習は北海道大学。実は浪人時代から北大の体操部に通っていたので、通算6年間通ったことになります。

朝から晩まで動き続けていました。サツダイで(単位を落とさない程度に)授業を受け、夕方からは北大で部活、その後すすきのでアルバイトという多忙なスケジュールを繰り返していました。体操はとにかく好きで上手くなりたくて、どんなに疲れていても欠かさず練習していました。大学4年で出場した北海道のインカレで優勝するまで続けましたが、チャンピオンになった翌日に辞めました。その数日後には旅に出ていました。

大学4年間の集大成は南米最高峰のアコンカグア

ずっと旅行に行きたいと思いつつ行けなかったのは、体操の練習を1日も欠かさずに続けていたからです。そこで、11月に卒論を書いて提出し、就職活動も早々に終わらせました。インカレも終え、満を持して12月から卒業式の前日まで約4か月間、南米の旅へ出発しました。

最初に降り立ったペルーで治安の悪い場所へ行ってしまい、いきなり暴行と盗難の被害に遭いました。20人くらいから殴られ、財布もパスポートもチケットも全部奪われて。それでも「パスポートとチケットだけは返してくれ」としつこく追いかけたので、向こうも要らないものをどんどん道に捨てていくわけです。そうして砂埃にまみれたチケットとパスポートを拾い、痛い体を引きずりながら宿に帰りました。しかし、同じ宿に宿泊していたドイツ人の旅行者からは「そんな時間にそんな危ない場所を歩くお前が悪い」と言われ、初めて海外にいることの本当の意味に気づきました。精神的に落ち込みましたが、幸いチケットは戻ってきたので旅は続けようと自分を奮い立たせました。

貧困が原因だと思いました。当初の計画ではペルーを通過してすぐ山へ向かう予定でしたが、もう少しこの国をじっくり見た方が良いと感じ、1か月くらい滞在しました。電車とバスを乗り継いでアンデス山脈の方へ向かい、インディへナの山岳民族たちの優しさに癒されました。山も本当に綺麗で「この国はすごい。好きになってきたぞ」と思えるようになりました。貧乏旅行だったので、一番安いコメやパスタにケチャップをかけて食べていましたが、「俺は世界中を見るんだ!」という興奮と楽しさが勝っていました。力の許す限り山々に登り、最後は南米最高峰のアコンカグアに2週間くらいかけて登頂しました。ギリギリ高山病にならずに、なんとか一人で山頂まで行くことができました。

同じ時期に、進藤先生はゼミ生を連れてアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ登頂に挑戦していました。お互い下山した後、進藤先生がそれらの体験をまとめて論文として発表されました。私も執筆者の一人です。

アコンカグア・キリマンジャロ登頂の記録

キャリアについて

Q:大学を卒業されてから現在までのご経歴や、現在のお仕事の具体的な内容を教えてください。

▲北海道山岳ガイド協会のクライミング&ガイド合宿の様子(奈良さんFacebookより)
▲北海道山岳ガイド協会のクライミング&ガイド合宿の様子(奈良さんFacebookより)

秘境と山岳専門の旅行会社へ就職

小さい頃から旅が好きだったこともあり、就職は旅行会社と決めていました。大学在学中も旅行業務取扱管理者の勉強ばかりしていて。卒業時には国内と海外両方の資格に合格していました。

自分に合っているのは大手の旅行会社ではないと考えていた時に、たまたま大学の廊下に卒業生のインタビュー記事が掲示されていて、それが秘境や山岳専門の旅行会社、株式会社ノマドの職員の方でした。株式会社ノマドは、道内の複数の大学の山岳部出身者が集まって作った会社で、社内に北海道山岳ガイド協会の事務所もあります。「ここだ!」と思い電話するも「募集していない」とすぐ断られました。しかし諦めきれず先輩宛に再度電話をかけ、いわゆるOB訪問という名目でなんとか面接にこぎつけ、社長や専務の話をワクワクしながら聞いて。採用が決まった直後のタイミングで南米の旅へ出かける予定だったので、チケットを格安で手配してもらったり登山用の装備品を譲ってもらったりと、たくさん応援してもらいました。

仕事をしながら世界の山に登る

▲マッキンリー登頂時の写真を見せていただきました

3年くらい働いた頃、大きな挑戦をしたい気持ちが強くなり、辞表を出して北アメリカ最高峰のマッキンリーへ向かいました。40日間の旅で、スピリットボード(スキーにもスノーボードにもなるボード)を使って仲間と山頂から滑走しました。日本人初の滑走だったので、さまざまなメディアで取り上げられました。

帰国後、念のため会社に顔を出してみると、まだ席がありました(笑)。この経験で味を占め、その後は毎年長期休みを取得してグリーンランドやカムチャッカ、千島などへ行きました。その代わり、仕事のノルマを達成するのはもちろん、人気ガイドだったので売上にもしっかり貢献しました。社長は「お前ムカつくな」と嫌味を言っていましたが、山岳部出身者なので気持ちは理解してくれていたのだと思います。株式会社ノマドには14年間勤務しましたが、最終的に南極越冬隊にガイドとして参加できることになり、ついに本当に退職しました。南極には2年間滞在し、帰国後ここ札幌にゲストハウス「SappoLodge」をオープンし、今に至ります。
※南極のお話はまたの機会にぜひじっくりお話を伺いたいです。(編集より)

「やりたいことをやる」のが今のスタイル

▲都会の山小屋「SappoLodge」では木彫りの熊が旅人を迎えてくれます

今の私には、経営者やバーテンダー、山岳ガイドなど、さまざまな「顔」がありますが、とにかく自分がやりたいと思うことをやっています。1か月休みを取って放浪の旅に出たりすることも。

「山岳ガイド」は、お客様の安全を管理しつつ、技術的に足りない部分をサポートしながら山頂まで導き、下山させる仕事です。一般的には登山口で集合・解散しますが、私の場合は添乗員の仕事もできるので、飛行機や宿の手配から現地での案内、そして山岳ガイドなど、頼まれればなんでもやります。自分で宿もやっているので、ここの宿泊客から相談を受けることもあります。また山だけでなく、カヤックやサップ、マウンテンバイクなどのガイドも引き受けます。いわゆる「アドベンチャートラベル」ですね。

▲シーズン初めには雪氷災害調査チーム(研究者とガイドによる合同チーム)の
調査と訓練を行うそうです(奈良さんFacebookより)
▲シーズン初めには雪氷災害調査チーム(研究者とガイドによる合同チーム)の
調査と訓練を行うそうです(奈良さんFacebookより)

これまで約40カ国を旅してきましたが、自分が住んでいる北海道の凄さに改めて気づかされます。今は海外を案内するよりも地元北海道の自然を日本や海外の方に案内する割合を増やそうと考えています。

大変なことをクリアするからこそ人生は面白い

▲SappoLodgeの内装はカウンターも床も階段も全て手作り!
約200人の仲間が応援に駆けつけてくれたそうです

コロナ禍では、店を閉めて売上がゼロになったこともありました。しかし、スタッフに給料を支払い、店を続けるために、なんとか抜け道を探しました。「そうだ!ちょうど春だし山菜を採ろう」とか「スパイスカレーを冷凍して販売しよう」とか。SNSで呼びかけると「奈良さん大変そうだな、じゃあ買うよ」と、たくさんの方が買ってくれました。その時期は、山で山菜を採り、洗って請求書を入れて発送して、ということを毎日ひたすらやっていました。

▲山菜採り(奈良さんFacebookより)
▲スパイスカレー(奈良さんFacebookより)

大変なことをクリアするために生きているようなものです。とくに私の場合は、他の人に比べると活動範囲が広いから、当然より多くの災難が降りかかってきます。そのたびに「もうダメだ」となっていたら気持ちが潰れてしまう。その気持ちを奮い立たせるのです。

そういった意味で言えば、小学生の時にJRで旅したこともアコンカグアに登ったことも、またコロナで山菜を販売したことも全て同じ。自分がやったことのないことに対する挑戦です。大学1年生の時に登った大雪山で見た景色も、世界中の高い山から見る景色も、どちらも同じように最高でした。その景色を見るためならどんな苦労だって苦労にはならないですよ。

札幌大学の後輩に向けたメッセージ

Q:札幌大学の後輩や同窓生に向けてメッセージをお願いします。

やりたいことは全部やる、行きたいところは全部行く。それに尽きます。

ガイドという仕事をしているので、「あの山に登りたいんだけど、ちょっと心配で」と後押しされたい人にたくさん出会います。みんな「これで合っているのかな?」と確認したいのです。でも本当に良いかどうかなんて行ってみないとわからないですよ。学生時代は一番時間がある時だから、悩んでいないで、やりたい気持ちを実現することに努力すると良いと思います。もし何がやりたいのかわからない時は、SappoLodgeへどうぞ。変な先輩が色々相談に乗ってくれるかも(笑)。

ただ、山を登り始めたら実際に歩くのはあなたですよ、ということは言っておきます。私はお客様をおんぶして山頂まで連れていくわけではありません。道案内や技術的なアドバイスはできますが、やり遂げるのはお客様自身です。それは山だけでなく、人生についても一緒ですよね。失敗してもいいからやってみて。たくさん失敗しているうちに自分のやりたいことに近づくだろうし、周りも応援してくれますよ。

TOPICS

▲積丹半島をe-bike(電動アシストMTB)で走る!(奈良さんFacebookより)
▲積丹半島をe-bike(電動アシストMTB)で走る!(奈良さんFacebookより)

これまでSappoLodgeを拠点に活動されてきた奈良さんですが、現在札幌市南区と積丹半島にも拠点を作り、大自然をとことん楽しむための新しいプロジェクトを立ち上げているそうです。

それぞれ準備が整い次第、SappoLodge公式サイトやSNSなどで情報が公開されますので、ぜひご期待ください!

SappoLodge公式サイト
奈良亘さんのInstagram
奈良亘さんのFacebook

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