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デコトラと少女

デコトラなんて平凡サラリーマン家庭で育ったしがない一女にとっては大抵別世界の乗り物。そのはずが大昔まだ小学生だった私には、ゴリゴリのデコトラとデコトラ雑誌の1ページを飾った夢のような白歴史があることを、知る者は少ない。
「地引網」「スイカ割り」このキーワードを耳にするたびに浮かぶ茅ヶ崎に越してきた年の夏。この頃は叔父叔母が平塚に住んでいて週末によく遊びに行っていた。2学期が始まってすぐの日曜日、「おじちゃんたちと一緒に海に行くよ」と言われ、海に行くには遅すぎるし天気もさほど晴れていなかったし、「ジビキアミ」と耳で聞く分には妙に恐ろしい名前の行事だったので、実はそんなに乗り気ではなかった。
地引網とスイカ割りは叔父の入っていた関東五神会の集まりのイベントだった。当時はそれがなんなのか、そこに集まる人たちの風貌がなんでいつも周りにいる大人と違うのか少しも理解していなかった。地引網自体はすごく手が痛かったし、頑張った割には何ひとつ引っかかっていなくて全く楽しくなかったこと、スイカ割りもこの時が初めてで自分の動きで周りが大騒ぎするのが面白くて地引網よりは楽しめたなということだけがただただ記憶されている。
そんな一通りの行事を終えてから、叔父から「さとこちゃん、写真撮るべさ」(叔父は青森むつ横浜出身)と呼ばれて、おじちゃんの愛車の前で撮影した。なんとも不思議だった。なんでこんなギラギラの車とおじちゃんと私は写真を撮るのか。写真はとりあえず笑えているので空気は読めるタイプだったのだろう。まさにこの写真が会報誌?だか雑誌だかわからない何かに掲載されたらしい。母が笑いながら教えてくれたのが、日頃は私の6つ下の妹を異常に可愛がっていた叔父なのに「見栄えがいいから」という理由でこの時ばかりは私を連れて行ったという。これもよくわからない。とにかく色々わからないことの多い出来事ではあるが、デコトラを高速道路で見かけるたびに必ず思い出す私の夏の景色の一つである。


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