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お金なんて無くなればいいのに、と彼は言った

この間ちらり話したドリトル先生ですが

ドリトル先生シリーズ第1巻の『ドリトル先生アフリカ行き』では、もともと人間の医者だったドリトル先生が、次々と動物を受け入れてしまうために(中には獰猛な動物もいたから)、患者さんが寄り付かなくなり、次第に貧乏になって本人も動物たちも食べるものに困るようになるシーンが出てきます。

その時ドリトル先生は、特にその問題に向き合うでもなく、「お金なんてものがあるからいけないんだ」「お金がなければみんな幸せなのに」と言い捨てます。(その結果、動物たちが知恵を絞って先生にお金が入るように画策するのですが、それはまた別の話)

で、ここからが本題なのですが、

動物たちのために貧しくなっていくドリトル先生にいたく同情した息子氏(7歳)が、
該当の部分の読み聞かせをした次の日の朝、起きてくるなり突然「お金なんて無くなっちゃえばいいのに!」と言ってきました。

♂「お金なんか、なくなっちゃえばいいのに!」
♀「え、でも、お金がなくなったら、ママはどうやってパンや牛乳を買えばいいかなあ」
♂「それは、パンや牛乳をつくっている人に、ママも何かあげてお礼すればいいんだよ」
♀「でも、ママ、畑も作ってないし、動物も飼ってないから、あげれるものないよ」
♂「じゃあ、ママがその人のおてつだいとかしてあげればいいんじゃない?」
♀「お手伝い?」
♂「うん、原稿とか書いてあげればいいんじ「ないの?」
♀「原稿?」
♂「うん、ママ、とくいでしょ!」

世紀の大発見をした彼は、興奮ぎみにそう言いました。
そんな彼を見て、私もまた大発見をした気持ちでした。

なにかを自分で見つけることって、素敵ですね。

例えば、貨幣が生まれた理由とか、資本主義の原理とか。

彼がこの日感じたこのエクスタシーを味わいたくて、かーさんも、毎日、いろんなことを考えているんだなあと思ったんですよね。
ていうか、そのために生きてるようなもんだよね。


んでは、また。


あ、写真は全然関係ないけれど、この間六本木ヒルズのカフェに忘れてきたお財布。24時間後に気づいて連絡したのに無傷だったという日本のミラクル。

[本日のさとゆみ]
金沢にて講演 2.5時間
読書 4時間
執筆 1.5時間

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