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病院と上司と

言いたいことをよくノートにまとめている。noteではない、紙のノートに。
通院のたび、先生に言うことをノートにまとめて持参している。そのメモをもとに報告をし、言われたことをまたメモする。言い漏らしがないから良いな、と思っている。ちょっと客観的にもなるし。

一時期すっかり落ち込んでいたが、ここ最近は調子が良く、抗鬱薬も無しになった。睡眠導入剤だけもらっているが、それも飲んだり辞めたりだ。このままふつうのくらしができるようになりたい。けどまああまり高望みはせず、出来る範囲でバランスを取っていきたい。

さて、鬱に初めてなったのはもう何年も前で、当時のきっかけが今に影響しているかは正直わからない。しかしわからないなりに仮説を立てて、回復するために、そして今後繰り返さないために対策を講じたいと思っている。
adhdの検査してみたり、何に抵抗感があるか自己診断ツールを使ってみたり、周囲の理解を求めてみたり。
病院の先生は賢くて(失礼な表現だ)、話したことがちゃんと伝わっている実感があってありがたい。家族はしっかりとはわからないなりに、わからない分野の情報として治療に感じて茶々は入れないし一応聞いてくれる。
しかし職場の上司たちにしてみれば、やはり鬱は甘えで、発達障害グレーは努力不足にしか見えないのかもしれない。
私は発達障害の診断は出てないけど、注意欠陥の傾向があり、今先生に検査してもらったりしている。発達障害なのかなんなのかわからないが、iqテストでは一部の能力だけ他に比べてかなり低い数値を出した。そういう傾向が自分の日常の小さな引っ掛かりを生み出しているのかもしれないと仮定し、じゃあどういう対策がとれるか検討したいと思っている。
だけどそういう話をすると、上司たちは興味なさげで、無駄なことやってないで普通に暮らせば?という顔をする。
こころの病気とか、目に見えない障害とか、傾向とかに対する認識に大きな差があって、話しても伝わらない。違う捉え方をされていると感じる。話しても伝わらなくて、無力感と、不当な評価を受けているような怒りが湧いてくる。

案外上司の方が冷静な見方かもしれない。私はど素人で、また被害妄想が強く、プライドも高い。頭は悪くないと思いたいが、人と比べてかなり悪いのかも。そうも思う。
今後どういう診断や対策を講じても、上司や周囲に理解を求めるのは慎重にした方がいいのかもしれないと思った。それは私が勢いに任せて言っちゃってることについてだ。考えてみりゃそりゃあそう。
手放しに相手を信頼するのは、相手に縋り付くことだ。ほとんど卑怯だ。相手は私の家族でも友人でもない。そこに思いやりは期待せず、機械的な反応だけを想像した方がいいと思った。

いらないことを言わないように気をつけたい。

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