眠れない日記

眠れないのでiPhoneのジャーナルに文章を書いていた。
相談したいことについて。

私は他人に対して私は冷たすぎるときも、ウェットすぎるときもある。他人への優しさ(と周囲が捉えるもの)は総じて自分本位な感覚から生まれている気がする。

例えば、今ひとつみんなに馴染めず、また本人の反感を買う態度により周囲の助言を得られない人に対し、可哀想に思って忠告をする。そのままじゃ見捨てられるぞと。
私の主観ばかりの大きなお世話だし、当然受け入れられない。だけど「チャンスは与えないと」という無意識に尊大な気持ちになって、何か言わなければ、と思う。

自分がどんなルートを辿ってこんな感情や衝動を抱くのかわからない。しかしぼんやり考えてみて、自己保身や自慰や自分の地位を誇示したい等の推測を立てては落ち込む。
私は考えに一貫性がなく、根拠も曖昧だ。推測が当たっているか当たっていないかはともかく、自分の頭から生まれる考えや行動を信じられないから落ち込むことになるのだと思う。

私は本当は、「理解できないが受け入れる」という平和主義者でありたい。この「理解できないが受け入れる」というのは、梨木香歩氏の「春になったら苺を摘みに」の中に出てくるフレーズである。
わからない文化に対して、そうありたい。ドライだけど敬意も優しさもある。と思う。

そのスタンスでいるにはどうしたらいいか。どんな習慣を身につけたら良いか。
自分のすることに自信を持つにはどうしたらいいか。宗教など外部の倫理観を取り入れた方がいいのか。

誰に相談したらいいのだろう。仏陀?

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