里山社版元日誌(2024年4月3週目)

4月14日(日)
朝からレンタカーで唐津のシアターエンヤへ。映画館がほしいという市民の声を受けて22年ぶりに唐津にできたという映画館。三宅唱監督『夜明けのすべて』を見る。生活は送れる程度の精神的疾患を抱えるふたりの男女の再生への日々。とても良かった。精神的な問題が過剰に重要なことだったり特別なことでなくなったことを、そのままに描いているし、しかしそれらがいまだ特別で重要なことと捉えがちな社会や世間の中に生きていることもそのまま描いている。映像と編集のバランスがすばらしい。唐津の街は抜けがよく、観光客も少なく(それは街にとって良いことかはわからないけど)、人の多さが私はちょうどよい。古い建物が残り再生しようとしていて、映画と重なって、ひさしぶりにとても良い遠足になった。

4月15日(月)
富山の木村セツ展の準備。テキストを用意する作業でだいたい1日が終わった。寝る前に、井戸川射子『それはとても速い川』読了。三宅唱の作品と近い印象をもつ。子どもの目線そのままの世界の、子どもの感覚。悲しいという感情に気づく遅さ、いっぽうで鋭く敏感な違和感。どうやったらこんなふうに書けるのか。

4月16日(火)
この日誌もあっさり半月止まっていた。手帳とメールを振り返りつつ。
このあたりからまた怒涛の日々になったということか。
「その猫の名前は長い」フォントが細い気がして変更をすることに。以前は問題なかったフォントが見えづらい…。私の世代でわかる限界というものは常にあるのだけど。

4月17日(水)
「猫」初校アップ。「里山通信」zoom対談粗おこし。6時間zoom。延々と終わらない。自分の喋りの酷さが腹立たしい。

4月18日(木)
朝日新聞朝刊「ひと」欄に上川多実さんのインタビューが掲載されている。まさかのジ・アイドゥルポーズの写真が採用されている…!ということからはじまり、この短い文章で心意気までしっかり伝えてくださる高重記者の手腕に唸る。山陽堂書店の木村セツさん展は今年もお客さん増えているとの知らせ。すごすぎる。藤井さんに「里山通信」のzoom対談粗おこしを送る。夕方、スケジュールやりくりして、九州学研都市のさいとぴあまで映画見に行ったら、明日だった…。

4月19日(金)
来年1月の木村セツ大規模原画展、瀬戸内市立美術館と、5月の春日井市民文化財団、双方に原画の受け渡し方法をご相談。150点もあるので導線をどうやってシンプルにするか…と悩むがそう簡単にはいかない。『その猫の名前は長い』の納品が6月17日に決まる。それに伴い今月末から6月あたまのフライトも予約。福岡→東京→富山→金沢の10日間。夕方、さいとぴあにリトライ。『医学生、ガザへ行く。』を見る。コロナ前までのガザ。いろいろ制約あるなかの撮影で特待生のようなイタリア学生の密着を通し、許可のおりたガザ地域の日々。映画としてどうか、というと課題多いのだけどどんな街並み、どんな雰囲気、どんな音、どんな人がいるか、ということはわかって、ほんの少しだけガザへ近づいた。映画はこういうことも役割だと思う。夜、明日の藤井さんとの再zoom対談に向けて改めてテーマ案だし。

4月20日(土)
「猫」帯文依頼。ご快諾くださり、お人柄の良さに触れ感激。今日でラストのエウレカ、完売したものがあり、追加納品へ。その後、帯コメントの方に天神郵便局へゲラ送付。久しぶりに本のあるところajiroへ。中東世界への熱が冷めやらず、トルコ人政治家の小説家、セラハッティン・デルミタシュ著、鈴木麻央訳『セヘルが見なかった夜明け』(早川書房)、藤本和子著『砂漠の教室 イスラエル通信』藤本さんの目に映ったイスラエルとは。16時半スタートで藤井さんとzoom。前回の私の反省から始まる。