さとや

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https://calm-satoya.hatenablog.com/ 穏やかな日々 〜両親が認知症になった元在宅介護者のブログ〜

最近の記事

レシピは母の背中

私が小さい頃、風邪を引いた時、 母がおかゆを作ってくれたことを 今でもよく思い出します。 熱が出ている私は、 自力で食べることができず、 母が熱々のおかゆをフーフーして 食べさせてくれました。 あのとろーりとしたおかゆは、 母の優しさが詰まっている。 シンプルな料理だけど 私は、最高のおふくろの味だと 思っています。 あれから40年が経ち、 私は、認知症・失語症・脳梗塞で 右半身麻痺になった母の介護を することになりました。 脳梗塞の影響で、飲み込む力が弱く 柔らかい

    • 母のぬくもり

      寒い冬の朝、起きる時に 「あぁ〜布団から出たくな〜い」と いい歳した大人が 子供のように駄々をこねてしまう。 困ったものです。 私は小さい頃、冬休みの朝。 隣で寝ている母が起きた後の布団に 潜り込んで眠るのが好きでした。 布団に入ると フワァ〜っと母のぬくもりに包まれ 遠くのほうで トントンとまな板の音を聞きながら いつの間にか、夢を見ている。 至福のひとときです。 あれから40年が経ち、 そんなことをすっかり忘れていた私が 母を介護することになりました。 母は脳梗塞

      • 朝ドラに出たでぇ!

        安定した収入が得られる仕事に 就いてほしいと思うのが 親心というものなんでしょう。 以前、私は俳優をしていました。 最初は劇団に入り、舞台を中心に活動。 劇団からは給料が出ないので 派遣の仕事をしながら 活動をしていました。 ただ、収入が不安定で 将来の見通しが立たない私を 母はよく思っていませんでした。 だから、母からはよく 「そんなことより就職は?」 と聞かれるので、いつも私は、 「うん・・・」と 口ごもっているばかり。 こういう話は、 よくあることなのかもしれま

        • 親孝行は日々の生活にあり!

          「帰りに発泡酒買ってきて〜」 まだガラケーが主流だった頃、 私の仕事が終わる時間を見計らい 母が私の携帯に電話をしてきます。 私は寄り道をせずに母から頼まれた 発泡酒・350mlを2本を買って帰宅。 私が玄関のドアを開けると 母が満面の笑みで出迎えくれます。 父と姉は、仕事で帰りが遅く 母と二人きりでの食事。 私は、家ではお酒を飲まないので 母一人晩酌です。 母は、さっそく「プッシュ!」と 発泡酒をコップに注ぎ、ひと口。 「あ〜幸せ〜」と言わなくても 母の表情で心の中が

        レシピは母の背中

          思いやりに満ちた母

          私が高校3年の冬。 早朝、目が覚めると 家が激しく揺れています。 私は「ワァッ!ワァッ!」と叫びながら ベッドにしがみつき、耐えました。 やがて、揺れが収まり 停電で真っ暗な中、台所へ。 家族が集まり、 懐中電灯と石油ストーブを付け、 ラジオから流れるニュースに 耳を傾けました。 アナウンサーが 「近畿地方で大きな地震がありました。 未確認情報ですが神戸が震度7」 と聴いて、家族全員びっくり。 1995年に起きた阪神淡路大震災です。 私が住んでいる地域は、 被害が少な

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          おいしいお弁当のお返し

          お腹がグゥ〜グゥ〜と鳴る。 私は学生時代、 母が作ってくれたお弁当を 食べるのが楽しみでした。 母はパートで働いていて 朝早起きをして 私と姉のお弁当と家族の朝ごはんを作り ごはんを食べ終わると父を送り出して 家事を済ませてから仕事に行きます。 そんな忙しい母でしたが 毎日、私たちのために おいしいお弁当を作ってくれました。 キーンコーンカーンコーンと チャイムが鳴り、待望のお昼休み。 机の上にお弁当を置くと香ばしい匂い。 「今日のおかずは何かなぁ」 とワクワクしなが

          おいしいお弁当のお返し

          生きてたらええ

          私が小学5年生の時、 我が家にピンチが訪れます。 父がリストラに遭ってしまいました。 不幸は続くもので 今度は、再就職先で 大ケガを負ってしまいます。 父が長期休養を余儀なくされ、 その間、母は家事、パートの仕事 小学生の私、中学生の姉の子育て 父の看病と一家を支えなければなりません。 労災の補償などがあったと思いますが この時期は、子供ながらに何となく 家計が厳しいと感じ、 お小遣いも少なかった気がします。 でも、そんなことよりも母が忙しく 大変なことが気がかりでし

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          立派な家を建ててくれてありがとう

          「お父さん。 家から追い出してしまってごめん」 まさか、立て続けに父と母が認知症と 診断を受けるとは思いませんでした。 姉とW介護を頑張りましたが やっぱり大変で、仕方なく父には、 施設に入ってもらいました。 本当に申し訳なく思っています。 流行り病が収まったら 母と一緒に父に会いに行こうと思った矢先、 施設から父の体調が悪いと 連絡がありました。 病院で検査を受けた結果、末期がんでした。 もういよいよという時。 姉と脳梗塞で右半身麻痺になった母を連れて 父のお見舞い

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