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年々と

日記を書くか〜

何か考えてる時は日記を書くと頭が晴れることがあるし

というかこれって日記じゃない
日ごとつけてないのに

もうだめかも
文が書けないかも

言語化能力って使わないとかなり衰えると思う

いったん最近の出来事とかね

バイトの大学生たちが卒業シーズンで、最近出勤ごとに「寂しくなるな〜!また飲みいこな〜!」ってやっててかわいい

バレンタインの催事で貴腐ワインのレーズンチョコを3箱買った
全顔ニキビで埋め尽くす気か?

前髪の幅を広くしようとしたら真ん中に寄って来て厚くなった

起こった出来事を羅列するのは簡単だけど、
自分の感じてることとかを文章にするのは気力がいる気がする

まず自分の感じてることと目を合わせないといけない
そのピントを合わせるのに苦労する、
あとはそれを言語に直すのにも苦労するし、
文章を生成するのもたいへん

昔、それこそ20歳くらいのころにはすんなりできてた気がするんだけど
というか、何か書こうと思った時にそういうことを意識せずにだらだらと出力できた気がするんだけど
年々できなくなってはいる

ここ最近で考えてることもそれに近いかも
年を追うごとにできなくなることが増えてる気がする
これから新たにできるようになることなんてなくて、そういう意味ではもう老いが始まってるのかもしれない
と思うとふーんと思う

「そう思うと怖い」と書こうと思ったけど別に怖くはなかった
今現状できなくなったことに対して惜しむ気持ちはない

たぶんできなくなった上での感覚しかもう残ってないから
できてた頃の感覚が残っていてできないのならつらいだろうけど、できないことに納得してしまえるから怖くない

今後もそうなんだと思う

他人に没頭する、みたいなことって多分もうできないんだろうな
こればっかりは惜しい

昔の自分が今のことを聞いたら羨むかもしれない
今の私は昔の自分がちょっと羨ましい

それとも私はもう何かにのめり込むってこと自体できなくなっちゃったんだろうか
これは年齢の経過におけるものではなくて、私の性質としてのものなんだろうか

考えても意味はないし、そんなに悲観してるわけでもないんだけどそうなれたらいいな〜くらいは思ってしまう
宝くじが当たった人を見てるのと同じ気持ち

頭をバグらせるって結構大事だと思うんだ
盲目っていうフィルターありきで受け入れられることも

ずっとシラフじゃけっこうしんどいでしょう

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