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熟年離婚の妻ワタシの気持ちが固まるまで1

二週間ほど前の夏のある日、別居一年半以上の夫との離婚届けが受理されたと郵送を受け取りました。4月から夫の代理人の弁護士さんと協議離婚の手続きを始めていたので、驚きはありませんが、22年間、そうか、この紙切れ届いて終わるのか、とあっけない気持ちになりました。書類は(元)夫の代理人さんかと思いきや(元)夫が出したようで、恐らく、同封した婚姻時の氏を名乗る届けも出してくれていると思うので、新しい私の戸籍をまつことになると思われます。子供らも私のに移動する予定です。

そうか、戸籍に離婚という二文字が加わるとは夢にも思っていなかったなぁ。。一方、避けられないことだったな。と想いが錯綜します。

別居に至るまでの夫の家族放棄的なイライラ、私の心境を考えると、結婚生活が続けられたとはやはり思えません。子供らのダブル受験にも悪影響を与えた可能性もあり、致し方なかったと思います。ただ、今までの子供らに負担を与えたことは間違いなく、何事も努力次第でどうにかできたのかもしれないという申し訳ない気持ちと、こうするしかなかったんだよという、言い訳の気持ちが混ざっています。

今思うのは、仲良さそうな家族をみると、ああ、こういう風な家族はつくれなかったなぁと、引け目みたいなものを感じています。
と同時に、自分もよく頑張って22年も耐えてきたなぁという自負もどこかあります。

過去と他人は変えられない、というのが、私の好きな(コロナワクチンを開発した)カタリン・カリコさんが語っていた言葉です。その通りだと思います。また私の好きな、故RGB(ルース・ベイダー・ギンズバーグさんも、今大統領選にまい進している、ハマスさんも、献身的な夫の愛情に支えられて、お互い感謝の念、慈しみの念があるようです。正直うらやましいなぁと思います。けばけばしていた私らの関係をそこに近づけることができたかといえば、できる気がしなかったというのが正直なところですが、今後の未来はわかりません。私のこうあるべきという思い込みを少しずつ脱ぎ去ることで、人が優しくしてくれたことへの、慈しみや感謝は増えている気がします。どう変化していくのか。自分自身を観察して、一つの軌跡としてここに書かせてもらえればと思います。

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