9.「粘膜奏法」という言葉のひとり歩き

(旧サイトの「オンラインレッスン」の記事のアーカイブです。2017-03-22の記事です。)

日本のトランペットの世界には、特にアマチュアの間に、「粘膜奏法」という言葉が知られています。

私はこの言葉の発祥については詳しくありませんが、この言葉の定義は、私の理解では「唇の内側の粘膜部分をめくり出してマウスピースに当て、めくり出された粘膜部分を振動させる事により音を出す吹き方」です。(このページ内ではこの定義のもとで話を進めます。)

■簡単な比較動画

まずここで、
1) 通常の当て方(ごく自然に閉じた唇に当て、音を出す)
2) 粘膜部分(この場合は上唇)をめくり出して当てた場合
の両方の実演(リムでのバズィング)をご覧ください。

「粘膜奏法」という言葉が存在する意義は、この吹き方による演奏上の技術的制限や困難を避ける事、警鐘を鳴らす事、であろうと思います。

この吹き方は、唇の内側の柔らかい粘膜部分をめくり出しているために(一見すると振動させやすいのですが…それが落とし穴)、いくつもの弊害を生みます。
具体的には、まず何より粘膜部分は非常に弱いため傷つくこと、持久力の欠如、音域の限界、音質の貧弱さ、などの技術的制限を迎えざるを得ないこと、などです。
そしてそれは、マウスピースへの唇の当て方から来ている問題のため、吹き方のスタートから問題を持つことになり、その後のあらゆる技術の限界を規定してしまいます。
さらに言えば、一度その癖をつけて吹くのに慣れてしまうと、それを治すのには適切な指導と観察のもとで一定期間のリハビリが必要となります(本人にも指導者にも、忍耐と時間と適切な知識に基づいた練習が求められます)。私自身がそうでした。

従って、このような不利益を避けるために、粘膜部分をめくり出してマウスピースに当てて吹く方法に名前をつけて顕在化し、「粘膜奏法」とした事には意味があります。

しかしながら、この言葉はひとり歩きし、むしろ誤解や新たな悩みを生んでしまっている現実も見られます。

よくある誤解

■リムより内側に唇の赤い部分を全て入れ込まなければならない(という誤解)

「粘膜奏法」に陥っている場合の多くは、リムより外側に唇の赤い部分がはみ出てしまっていることから、マウスピースを当てる位置の説明や指導の際に「リムより外側に唇の赤い部分が見えてはならない」という注意喚起がなされることがあります。しかしそれが曲解され、「リムの内側に唇の赤い部分は全て入っていなければならない」となってしまう事例があります。

「リムより外側に赤い部分がはみ出さない」のと「リムの内側に唇の赤い部分を全て入れ込む」のと、この2つは似ていて非なるものです。後者は問題を生じる事があります。

リムには幅があり、リムの外側のラインと内側のラインとがあります。

リムの外側のラインを越えて、それよりも外側まで唇の赤い部分が出ているマウスピースの当て方は、問題を生じるでしょうから、避けた方が良いと言えます。

しかしながら同時に、リムの内側のラインよりも内側に唇の赤い部分を全て収めるために唇を丸め込む事も、問題を生じる事があります。

唇を丸め込む事により、マウスピース内には、柔軟性の失われた窮屈な唇が、必要以上に多くの質量入れ込まれています。その状態で音を出すためには(唇の振動を生むためには)、必要以上のエネルギーを要し、息を無理に押し込む事にならざるを得ません。また、唇自体の疲労が早い事は想像に難くありません。

このような弊害を被らないためには、次のような理解が助けになると思います。

唇の赤い部分と皮膚との境目は、リムの幅の中に位置していても構わない。

唇は基本的に、巻き込みも突き出しもせずに、自然に閉じた状態でマウスピースに当たるのが良いと私は考えます。なぜなら、それが最も無理なく音を出す事に繋がるからです。不必要な唇の締め付けや不必要な息の押し込みの要らない状況設定であるからです。

このようにした時、唇の赤い部分と皮膚との境目は、必ずしもリムの内側のラインより内側には収まらずに、リムの幅の中に位置する事がありますが、それで良いのです。

■唇を巻き込むようにして、粘膜部分は振動しないようにする(という誤解)

よくあるもう1つの事例は、「粘膜部分をめくり出してはならない」という注意喚起が「粘膜部分は振動してはならない」と誤解され、粘膜部分は振動させまいと唇を巻き込んだり唇を不必要に締め付けたりしてしまうものです。

「粘膜部分をめくり出さない」のと「粘膜部分を振動させないようにする為に唇を締め付ける」のは異なる事です。

前述の通り、不必要に締め付けられた唇や不必要に巻き込まれた唇は、効率の悪い状態でしか振動させられません。振動させられにくい状況設定になっているために、息を無理に押し込んだり、マウスピースの過度の圧力に頼ったり、唇の筋肉を必要以上に酷使したり操作したり、という不都合を伴います。

ですから、基本的には唇は巻き込みも突き出しもせずに自然に閉じた状態でマウスピースと接触させ、そして唇のどの部分が振動するかというのは、息の流れと楽器の抵抗などとの関係の中で生まれるバランスに任せるようにすれば良い、と私は考えます。

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