4.2 身体の外側の空気

(旧サイトの「オンラインレッスン」記事のアーカイブです。2017-08-31の記事です。)

トランペットの(管楽器の)呼吸について語られる時、そのほとんどの場合は、身体の内部のこと、についてでしょう。
身体のどの部分をどう動かす、空気をどこどこに入れる、どこどこが膨らむ、どこどこに力を入れる、など。

しかしながら、私はアーノルド・ジェイコブス(Arnold Jacobs)の教えに出会ってから、全く新たな視点を学び、実のところそちらの方が人間の知覚と身体運動の観点からしてウソがないと考えています。

身体の外側の空気の動きを学ぶ

ジェイコブスの教えによれば、私たちが取り組むべきは、身体の内部のこと(喉や胴体の筋肉をどうこうする)ではなく、身体の外側の空気のこと、です。
唇から先の/唇から外側の空気の動き、について学ぶのです。

なぜ、身体の内部のことではなく、身体外部の空気について学ぶのか、そこには大きく2つの理由があります。

一つは、人間の神経のつくりと感覚フィードバックに関すること。
もう一つは、「偽拡張」と呼ばれること。

神経のつくりと感覚フィードバックに関すること

「呼吸法」においてよく取り上げられることは、空気をどこに入れるか、空気がどこを通るか、空気を出し入れする時にどの筋肉をどのように使うか、さらには、空気をどの方向に動かすか、というようなことでしょう。

しかし、「呼吸時に、身体内部の空気の動きや量や方向、呼吸に関わる筋肉の動きや状態、を自分で感知し判断することが、実際は可能なのだろうか?」という問いを持ってみましょう。

「そもそも、呼吸に関係する身体の動きや状態を、自分で感知できるの?」という問いです。

もしかすると、自分で感知し判断できる、ということが大前提となって様々な呼吸論は始まっているかもしれませんが、本当に、自分で感知し判断ができるのでしょうか?

先に結論を述べれば、それは否です。

まずご紹介したいのは、「ペンフィールドの脳地図」と呼ばれているものです。

画像1

この図が示している事は、身体の各部分につながる神経が、脳内のどの部分にどれくらいの領域で割り当てられているか、ということです。

図の中で、大きく描かれている身体の部位は、それだけ多くの領域が脳内で割り当てられており、従って、感覚フィードバックも大きい(感覚は鋭い)、ということを示しています。
逆に、小さく描かれている部位については、感覚フィードバックは小さい(感覚は鈍い)、ということになります。

身体の部位によって、その感覚フィードバックの程度には差があるのです。
言い換えれば、部位によって、自分で感知できる感覚レベルは異なるのです。

基本的に、感覚フィードバックが大きいほど、自分でその部位がどのような状態であるかを判断することが細かく可能であり、一方で感覚フィードバックが小さいほど、そもそも自分でその部位がどのような状態であるかを感知することが困難である、ということです。

図を見ると、唇や指先などは、感覚フィードバックが大きいことがわかります。
一方で、呼吸に関わる胴体などは、感覚フィードバックは、実際のところ小さいのです。

例えば、呼吸に大きな仕事をする横隔膜が実際どのような状態であるか、呼吸に関係する〇〇筋がどのような状態であるか、それらを自分で感知し、精確に判断することは、人間の身体のつくりからすれば、ほとんど期待されないことになります。

このような事実を踏まえ、ジェイコブスは、呼吸に関して、身体の内部のことをコントロールしようとすることをすすめなかったのです。

自分で感知し判断する事ができない(人間のつくりとしてそもそも、どうなっているのかを自分で感じることができない)にもかかわらずそれを意識的にコントロールしようとする事は、理にかなっていないわけですから。

呼吸法に関する様々な考えや矛盾(とそれによる学習者の混乱)が生まれてくるのは、この感覚フィードバックの小ささの事実によるのではないかと、私は感じています。

「偽拡張」

さらに、「偽拡張」とジェイコブスが呼んだ現象があります。

次の動画をご覧いただきたいと思いますが、注目していただきたい点は、
・息を吸っているのか、吸っていないのか
・息を吐いているのか、吐いていないのか
という点です。

この動画の中で行われていたことは、
・最初は、ブリージングバッグを使って、空気が出入りしていることを示しています。
・次に、ブリージングバッグを取って、同じように息を吸ったり吐いたりしています。
・最後は、息を吸っても吐いてもいませんが、外見上同じような身体の動きだけを作り出しています。

最後の状態が、注目していただきたい現象です。
息を吸っても吐いてもいないのですが、息を吸ったり吐いたりしている時と同じような身体の動きは作れてしまうのです。
(この動画では胸部の動きが強調される状態で実演をしていますが、腹部の動きについても同様のことはできます。)

空気の動きとは無関係に、身体の形状はどうにでも変える事ができてしまう、という事実。
空気の動きとは無関係に、同じような身体の形状の変化だけは作り出せてしまう、という事実。

このような偽りの身体の動きを、ジェイコブスは「偽拡張」と呼んだのです。

このことから言えるのは、実際に唇から先で空気がどのように動いているかとは無関係に、身体の形はいくらでも変えることができてしまう(筋肉は動かすことができてしまう)ため、身体の形状の変化(筋肉の動き)自体を呼吸の良し悪しの判断基準にすることはできない、ということです。

「身体が(筋肉が)どう動いたから、息がどう使えている」という順序では判断ができないのです。

このような経験はないでしょうか?
「〇〇筋を使うと良い」と教わったので、そこの筋肉を意識して息を吐くようにしたら、うまくいった。
翌日もその筋肉を使ってみたが、なぜかうまくいかない。

これはまさに、空気と無関係に身体の動きだけを作り出している状態です。身体の動きを判断基準としている限り、この迷路から抜け出すことはないのではないでしょうか。

空気の動きとは無関係に身体はいくらでも動かせてしまう(空気の動きとは無関係にいくらでも筋肉は動かせてしまう)以上、身体の動き(筋肉の使い方)を判断基準として管楽器の呼吸法を考えることには無理があるのです。

何をコントロールするのか:身体外部の空気

ここまでで、

・呼吸に関する身体の部位のフィードバックが乏しいこと(ほとんど感知できないので判断が困難なこと)

・身体の形状の変化は、空気の動きと無関係にも作り出せてしまうこと(身体の形状の変化それ自体は判断基準にできないこと)

を理解してきました。

それでは、我々がコントロールできる事は一体何なのでしょうか。

ジェイコブスは、我々がすべきは、身体の外側の空気(唇から先の空気)の状態をコントロールする事だとしました。

それに伴い、身体外部の空気の状態を、視覚をはじめとする感覚で判断しながらコントロールする事を練習として勧め、ブリージングバッグやブレスビルダー、スピロメーターのような器具をそれに役立てました。

これらの器具を使う事により、意識は身体の外側の空気へ行き、実際に空気がどのような状態であるかを目で確かめながら、空気の状態を改善していく・コントロールしていく事を学んでいきます。

そして、空気の状態を改善するに伴い、身体の使われ方(喉、腹部をはじめとする筋肉群など)は結果的に変化していきます。
例えば、近くで停滞する空気を出している時と、遠くまで流れのある空気を出している時とでは、喉や腹部をはじめとする身体の動きは異なります。ストレスのある空気を出している時と、ストレスのない空気を出している時とでは、喉や身体の動きは異なります。

身体外部の空気の状態のコントロールを学ぶことによって、身体の使われ方は変化していき、空気の状態に合わせた身体の使われ方となっていくのです。言い換えれば、空気の状態に見合った過不足ない身体の動きになっていきます(「偽拡張」とは逆)。

ここで重要なことは、身体の内部のことについては意識を置いていないにもかかわらず、身体の状態は変化する、という点です。使っている空気(身体の外側の空気)の流れの状態の違いを理解し、良い状態にコントロールすることによって、身体の使われ方は自ずと良い状態になっていく、という点です。

このことは、多くの「呼吸法」の前提となっている、「身体の内部のことをコントロールする(喉をどうこうする、〇〇筋をどうこうする)から息の状態が良くなる」という順序の、逆です。

空気をコントロールすることはすなわち音をコントロールすることであり、そして空気の適切なコントロールの結果身体は適切な状態になる、というこのアプローチは、人間の身体のつくりと動きにむしろ従っており、なおかつ、実際の「演奏」という行為に重なっており、私は、理にかないながらも実際的であると考えています。

ジェイコブスの言葉を借りれば、「(演奏者としてありたい限り、)筋肉について学ぶのではなく、空気について学ぶのだ。」です。


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