「シラブル」に頼りすぎる弊害

(旧サイトの「オンラインレッスン」のコラム記事のアーカイブです。 2017-09-01の記事です。)

特にリップスラーや高音域の出し方として強調される事の多い、「シラブルの利用」。
ここでは、「シラブル」に頼りすぎるによる弊害について、私の見解を述べてみたいと思います。

特に、「舌を上げているのに高音が出るようにならない」「これ以上舌は上がらないが、もっと高い音を出したい…」という悩みを持つ方のご参考になればと思います。


よくある「シラブル」論

一般に説明されるのは、
・「高い音ほど舌の位置を(意識的に)高くする」
・「高音域に行くにつれて、ア、エ、イ、のように舌を上げていく」
・「リップスラーは、アイアイアイ…のようにシラブルを使う」
・「音の高さにより、舌の高さは決まっている」
のようなものであろうと思います。

舌の高さや位置を意識的に動かす事によって、音の高さを変化させる方法です。
これには一定の効果があると思いますが、同時に、これに頼るがあまりに生じる弊害もあろうかと私は思います。

典型的な弊害例

よくある弊害の例は、高い音に行くにつれて舌を上げて行き、例えば高いソやハイBくらいで舌はかなり上がり切っている。でも、もっと高い音を出したい…。舌をもっと上げるのはもうすでにできないが……どうしよう…。
という状況。

次の動画のような状態です。(右手は、舌の高さを示しています。)

これは典型的な例かもしれません。こういった場合、よくあるのは、音が上がるにつれてもっと息を強く押し込む事によって対処していくこと(またはそれが方法として推奨される)かもしれません。しかしながら、それもどこかでやがて限界が来ることになります。

舌の高さ(位置)はバランスの1つに過ぎない

このような状況に陥った時に立ち返るべき点は、
・舌自体は音を出さない
・舌の高さは音の高さに関わる要素の1つに過ぎない

という点ではないかと思います。

舌自体は、音の原動力ではありません。つまり音に関わる現象の主導をとるものではありません。
そして、舌の高さは、音の高さを決定づける唯一の要因かと言えば、そうではありません。

例えば、真ん中のソからドに上がる、という同じ結果を作るためには、2つの異なるバランス状態があり得ます。

1つは、舌を結構上げる状態。
もう1つは、舌は少しだけ上がる状態。

次の動画のようになります。

前者は、シラブルを意識的に操作するあまり、舌の高さの大きな変化を主導として、それとバランスをとるようにして息や唇の状態があります。

後者は、逆に、息の流れを主導としており、その結果、舌の高さや唇の変化はあまり起きないで済むバランスがとれています

当然ながら、後者の方が、舌の高さの変化が少なく済んでいるので、広い音域をまかなう余裕があります。

次の動画は、
・あくまで息を主導とすることにより、舌の高さはそれほど大げさに使わずにハイBまで上がっている状態
・舌の高さを大げさに使うあまりに、むしろ音が出なくなる状態
を続けて比較したものです。

次は
・ハイBですでに舌が上がりきっているためにそれ以上は無理な状態
・ハイBではそこまで上がらずに済んでいるのでその先がある状態
とを実演したものです。

さらに次の動画では、音の高さが上下するリップスラーでの、
・舌の大げさな変化に頼っている状態
・息の機能によって、舌の動きは最小限で済んでいる状態
との比較です。


私の理解

私の理解は、

・舌の高さは、音の高さを変える主要因にはしない方が良い(なぜなら、最小限の動きで済む最適なバランスから外れることになるから)

・息の機能を理解することにより、舌の高さは最小限で済むようになる

・舌の高さの最小限の動きは、すなわち、広い音域をまかなうための余裕となる

というものです。

もちろん音が高くなれば、相対的には舌の位置は高くなっていきます。しかし、できるだけ息を機能させ、舌の動きが最小限で済むバランスを見つけていくことが、むしろ広い音域をまかなう助けとなる、と私は考えます。

そのための一つの手がかりとして、個人的にはトンプソン(James Thompson)の『バズィング・ブック』(The Buzzing Book)にあるような、グリッサンドで倍音間を上がりながら(つまり息の流れが充分であり続けながら)、教本中の言葉で言えば、上の音が”pop out”する(作り変えて音を上げる感覚ではなく勝手に変わる感覚)状態を知ることから始めるのを勧めています。もうひとつ教本中の言葉を使えば、「lead with the air / 息で導く」というようなことです。
それによって、シラブルの変化はむしろ少なくて済み、より広い音域をまかなう事へつながります。

また、舌の高さと息の強さを手掛かりとして音域を得ていくのではなく、スムーズで楽な息のまま楽器のツボで楽器を共鳴させる、ということをしていけば、その時、結果的に舌の位置は決まってくるものだと思います。そしてさらに、ツボで楽器を共鳴させるということが効率よく(無駄なく)できるようになってくればくるほど、舌の大げさな動きは減ってくるものではないでしょうか。

シラブルの大きすぎる動きに頼る事は、実際には、息を主導としてコーディネーションを生むことによる効率性(舌や唇はそれほど動かずに済む)から、自ら外れる状態を作り出す、と私は考えます。

バランス関係の中にある一部分を強制的に操作する事となり、それにより、全体としての最適なバランスは生まれず、限定的な範囲内での結果は得られるものの、ある一定の範囲より外のレベルの事には対応が困難になる、と私は考えています。

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