「練習しても高い音が出るようにならない」人によく見られる特徴と、そこからの転換策

(旧サイトの「オンラインレッスン」のコラム記事のアーカイブです。2017-06-12の記事です。)

トランペットという楽器は、必ずしも練習したその分だけ上達するというものではない事は、トランペットをある程度吹いてきた方ならほとんどの方が経験的に理解することでしょう。

とりわけ、高い音が出るようになるかどうか、という点においては、練習とそれによる成果とが結びつきにくい場合が少なくないと私は思います。もちろん、全ての人には向き不向きがあり、高い音が難なく出る、練習したらすんなり出るようになった、というタイプの人もいることでしょう。しかし同時に、その逆であり悩む人もまた少なくないことでしょう。

かつて私自身もそうでしたし、また、レッスンに助けを求めて来る生徒たちとのこれまでの経験から、練習してもなかなか高い音が出るようにならない、という人たちにはある程度共通する特徴が見られるように思います。

ここでは、私の思う、それらの特徴と、そこからの転換策について書いてみたいと思います。

・ターゲットにしている高音ばかりに意識があり、既に出せる音域の見直しをしない

高音に難を抱える場合、ほとんどの場合は、今(とりあえず)出せる音域の出し方の中に、既に、高音が難しくなってしまう原因は存在しています。しかし、それをまず見直して改善する努力をしない、という特徴。

例えば、高いラがうまく出せない、という場合、真ん中のソの出し方の中に、既に原因は存在しています。

まだ出せない高い音に何か特別な原因があるのではなく、普通の音域の出し方に原因は既にあって、それをまずは見直してみる必要があるでしょう。

具体的には、以下に繋がります。

・息と唇とのバランスがおかしい

金管楽器は唇が振動源となり楽器を共鳴させる事で音が出ますが、当然ながら、唇は自分自身では振動できません。唇は常に、息の流れ(空気が移動し続ける事)によって振動「させられる」受身的な存在です。

言い換えれば、息の状態と唇の状態とは、常にバランスをとっています。

息の流れが乏しければ、唇はそれを補うようにして、必要以上に締まったり逆に横に引っ張ったりしなければなりません。この、唇の必要以上に何かをしている度合いが大きければ大きいほど、それは高音域では顕著な影響となり、高音域の困難さとなります。

息の流れが良ければ、唇は息の流れの不足を補う必要なく、柔軟でフリーなままの状態でいる事ができます。

まずは、息の状態を様々に変えてみながら、唇がそれに応じてどうなるかを試してみる事が役立つかもしれません。

近くで停滞する息、遠くまで動きのある息、シューっとストレスのある息、サーっとストレスのない息、ギュッと圧のある息、フリーな息、という感じで試してみながら、どのような息の状態の時、唇がより柔軟でフリーな状態でいられるか(より高い音まで行く余地のある状態でいられるか)を見つけてみましょう。

・「音のセンター(ツボ)」を知らない

自分の身体だけで完結しているのではなく楽器が共鳴して音が鳴る以上、楽器との関係性を知る事は役に立ちます。

例えば0番の運指で出る音はドソドミソ…と限られています。その間のレやファは(ベンドしない限り)鳴りません。これは、ある決まった長さの管が物理的に共鳴するピッチは限られている(どんな高さにも共鳴するのではなく、共鳴する高さは何箇所かに決まっている)事を示しています。

では、より少し小さな視点で同様の事を見てみましょう。例えば真ん中のソを吹く時、上ずらせた位置でも、ぶら下げた位置でも、ソを出す事はでき、ソには幾分かの幅があることは経験的に理解されている事かと思います。このように、ある音にはある程度の鳴りの幅があります。しかし、その幅の中のどこかには、楽器が最も共鳴しやすい位置があるはずです。最も共鳴しやすい、というのは、最もストレスなく音が鳴り、最も楽器本来の音が引き出される、または息がスムーズに流れやすい、という事です。この、最も共鳴しやすい位置の事を、「音のセンター」とか「音のツボ」などと言ったりします。

センター(ツボ)からズレた位置でも、音を出す事は可能です。しかし、その位置では、楽器が素直に共鳴するところではないところで音を出そうとしているため、何らかの必要以上の操作を加えながら持ちこたえる必要があります。例えば、唇を締めたり引っ張ったり、喉を締めたり、息は流れずらいので息を押し込んだり、お腹を固くして支えたり…。本来必要のない力を加えなければならない、または、良いバランスで音が出る状態にはならない、ということになります。

ソならソの、ドならドの、それぞれの音の、最もストレスなく素直に音が共鳴するポイント、つまり音のセンター(ツボ)の感覚を見つける作業をし、そこで吹くことに慣れましょう。

・固まっている。柔軟性がない。

ここまでの事に関連しますが、音の出し方が固まっている、という特徴です。

そもそも音の出し方が、ウッとギュッと固まった感じになっていて、音の高さを変えるのにものすごく大きな労力が要るようになってしまっている状態。

例えば真ん中のソからスラーで上のドに移る時に、音の出し方が固まっている人は10の労力が必要だとしましょう。一方で、音の出し方が効率的で柔軟な人は同じ事を2の労力でできたりします。この2人が同じ15の労力を使った時にどちらが高い音まで行けるかは、想像に易いところです。

そもそもの音の出し方が、より柔軟で自由で楽なもの、つまり効率性の高いものであり、音の高さを変えるのに大きな労力を必要としない状態を見つけていくようにしましょう。そのためのいくつかのヒントは、ここまでに書いた通りです。

・練習が雑

練習はしていても、問題はその中身です。私自身もそうでしたし、まだまだ改善の余地がありますが、練習が雑、という特徴もあげられます。

「何を練習するか」という内容選択、「練習中にどれだけ感覚を研ぎ澄ませているか」というやり方や集中、「練習中にどれだけの事に気づいているか」という自己観察、の点での雑さ。

これらがかなりテキトーであるにも関わらず、一生懸命練習した、と思ってしまう…。

練習を効果的に進めていく人、それに伴い練習を楽しんでいける人は、練習が丁寧で、練習を感覚を研ぎ澄ませて繊細に行っているのではないでしょうか。

同じ練習をしても、そこから感じ取ること、そこから気づくこと、そこから次に何を考えて何を修正したりどう試してみるか、という事に、練習の効果の種はあるのではないでしょうか。この点の感度が低い場合、練習をいくらしたとしても、あまり効果は期待できないでしょう。

・小さな変化に気づいていない/すぐに大きな変化が起きるのを期待している

大きな結果は、小さな変化から生まれるものですが、練習中に小さな良い変化が起きてもそれに気づく事なく自らそれを捨ててしまう、言い換えれば、練習をすればすぐに大きな変化が起きるのを期待している、という特徴。せっかく、高音を出せる感覚が見つかっていくきっかけとなる小さな変化があっても、まだ高音は出てはいないので、その変化をなかったことにしてしまい、きっかけを自ら捨てている、ということがよくあります。

繰り返しにはなりますが、大きな結果は、小さな変化から生まれるものです。いかに、小さくても良い変化を見逃すことなく、丁寧にそれを育てていくか、ということは、地道な練習には不可欠の視点です。大きなわかりやすい結果だけを期待していては、小さな変化に気づくことすらないかもしれません。そしてずっと結果をもたらすことがないまま…。

・実験や工夫をしない

練習を、教わった通り・書いてある通り、にだけやる、という特徴。もちろん、教わった通り・書いてある通りにやってみることは、大切なことです。しかし同時に、教わったことや書かれたことを基にして、自分なりに実験や工夫をしてみる、ということを、うまくなっていく人たちは自然に行っていると思います。

人は皆異なります。誰一人として同じ人間はいません。同じ練習を、全く同じ説明と同じ方法で行うことが皆に同じ効果をもたらすわけではありませんし、同じ説明を聞いても、理解の仕方や受け取り方は人によって変わります。ですから、試してみる事、実験してみる事、工夫してみる事を恐れずに、練習というものはいつも創造的なものであるようにしましょう。なぜなら、大事なことは、教わった通りにやることそれ自体でも書いてある通りにやることそれ自体でもなく、自分が自分の感覚を見つけていくことなのですから。

・練習方法を知らない

「高音が出なくて悩んでいます」という人に、「では高音のためにはどんな練習をしていますか?」と質問すると、特に答えがない場合があります。高音が課題であることを認識していながらも、実際、その解決のための練習をしていない、という特徴。

一般には、何か問題があればその解決のための方法を考えるというのがまっとうな道だと思いますが、なぜか、高音が出ないと言いながらもそれを解決するために特に何もしていないという珍百景がそこには広がっていることがあるのです…。

まずは、高音のための練習としてどんなことができるのかを知ることです。音域を広げるためには様々な練習方法がありますから、まずそれを調べ、その練習の目的や効果を知り、取り組み、改善にとりかかりましょう。問題があれば、それに対する解決策を考えるようにしましょう。

・練習をしすぎる

練習をしすぎてしまうがために、感覚を壊していく、というパターン。高音の練習というのは、丁寧に行っても、少なからず過度の負担のかかるものです。ですから、練習をしすぎて過度の負担をかけすぎることによって、せっかく練習中に良い感覚を見つけてきても、それを壊してその日の練習が終わる、ということがあります。それではなかなか練習の効果は期待できません。

私が好きな言葉に、ドクシツェルの教本の中にある「高音の練習は将来のための準備だ。」というものがあります。今日中に結果が出るかが重要なのではなくて、今日の練習が、明日以降(将来)に意味のあるものであるか、が重要なのだ、と私は解釈しています。

無理にでもすぐに結果を出して安心するために今日中に結果を作り出そうとして練習しすぎてしまい感覚を壊して練習を終えるのではなく、仮に今日中に結果は出なくても、明日につながる練習内容であることを優先し、良い感覚を見つけていく状態のまま練習を終えるようにしましょう。

・中途半端に色々な情報に飛びつく

実に様々な情報が手に入るようになった現在、その恩恵を受けることができると同時に、翻弄されてしまうことがあります。トランペットの練習法・奏法、についても、様々な質の情報が溢れていることはその例外ではありません。多様な情報が存在し得ることはとても良い事であり推奨されるべき事だと私は思います。しかし同時に、私たちには、その中からゴミ情報と有益な情報とを選別す能力が求められることにもなりました。

「練習しても高い音が出るようにならない」人の中には、中途半端に色々な情報に飛びつき、惑わされて終わる、というパターンがあります。「練習は薬」という言葉を思い出すならば、トランペットの練習法・奏法に関する薬は良質なものも悪質なものも実に様々に私たちの目の前に存在しています。その中からどれを選ぶかは、私たちの能力次第です。中途半端に色々な情報に飛びつくことは、なんだかよくわからない薬を色々と飲んで副作用を被る、というようなことになってしまいます。

多様な情報が存在している以上、まずは複数を比較検討することから始め、少しずつ試しながら、より良いと思えるもの・より信頼できると思えるものを選別し、そして練習に取り組んでいくようにしましょう。

終わりに

練習しても高音が出るようにならない、というのは、実のところとてもつらいことです。私自身は高音がすぐに出たタイプでは全くなく、色々な練習方法や吹き方を調べては試し、どうにか出せるようにしてきたタイプです。練習しても効果がなかなか出ない、ということはたくさん経験してきました。しかし、良い方法で良い練習をすれば、言い換えれば、高音を出す感覚を見つけていくことを丁寧に行っていけば、高音は出せるようになっていく、というのもまた事実であることも経験してきました。この文字情報だけの記事がどれだけの方へ貢献するものであるかは定かではありませんが、転換のきっかけとなりましたら幸いに思います。

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