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庭とはなんぞや

庭「にわ」と聞くと、一般には住宅の庭が思い浮かぶ。庭園「ていえん」となるともう少し規模が大きく、寺社の庭や公園的な場所がイメージされるが、日本において庭園と呼ばれている場所は必ずと言って良いほど何らかの建物と一体になっている。建物と庭(庭園)はどちらかが主でどちらかが従という関係ではなく、両者が一体になることで一つの造形、景観として成り立っている。

庭とは何なのか?日本庭園とは何なのか?ウィキペディアには、日本庭園の外見的な特徴が示された後に、日本庭園の研究家として知られる建築家堀口捨己の考えが紹介されており、「庭園を庭園と建築とに分割してしまうのではなく、建築や自然さらには敷地が持つ雰囲気をも含めた総合的で都市計画的な空間構成を持って庭園とみなしている」とある。

庭・日本庭園の撮影を始めて7年、数々の庭園を撮影してみてこの言葉がより実感されるようになってきた。
露地と呼ばれる茶室と一体となった比較的小さな庭もあれば池や築山を設えた広い敷地の大名庭園もあり、さらに遠くに見える山並みを借景として庭園の一部のように取り込んだり、広い敷地の中に歴史的な建築物を移築して庭園の点景として空間を構成した日本庭園もある。
庭・日本庭園とは、日本人が持つ自然観・美意識によって生み出された、庭、建築、その敷地やその周辺の自然も取り込んだ空間構成(芸術)である、ほぼ堀口捨己の受け売りではあるが、現時点の私は庭とはそのようなものと感じている。

庭・日本庭園、というと池や流れがあって、剪定された松が植わっていて石灯篭があって、、と古典的なものを想像しがちだが、私が7年前に最初に日本庭園の雑誌に依頼されて撮影した庭は、剪定された松も石灯籠も無く、芝生の庭の片隅にすらっとした自然な樹形の広葉樹が植えてあるシンプルでモダンな住宅のお庭だった。

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明治期以前の建築はほぼ木造で、我々がイメージする古典的な日本庭園のスタイルと調和が取れていたが、ガラスやコンクリートを多用する現代の建築には古典的なスタイルは馴染み難く、仕立てた松や灯篭などの古典的な要素を排して日本の里山に自生する広葉樹を植えて自然の森の姿のように構成された「雑木の庭」と呼ばれるスタイルが現代の日本庭園の主流になっている。

コンクリート打放しのモダンな建築に芝生とアオダモやヤマボウシ、イロハモミジなどが配されたいわゆる雑木の庭も、日本人の美意識によってその配置や構成がされると日本庭園に見えてくるから不思議だ。

庭・日本庭園とは何であるか、それを言葉にすることに意味はないかもしれない。しかし、庭の撮影を始めたそのときから、庭って何なんだろう?とずっと思っている。

庭とはなんぞや。先に書いたような言葉で外見の説明は出来ても、そこに身を置いて感じる「何かイイ!」という感覚は決して言葉で語り切れるものではない。庭を撮れば撮るほど、知れば知るほど、庭って何なんだろう、という思いは強く、大きくなってくる。

庭とはなんぞや。それは私が庭を撮る動機なんだよな・・。


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