演技についての講義ノート

とある場所で、映像制作を学ぶ人たちに「演技について」レクチャーさせていただきました。以下は講義の内容を書き起こしたものを再編集したものです。

 みなさんおはようございます。本日講師を担当させていただきます、日下と申します。普段は俳優をやっています。よろしくお願いします。
では、さっそく始めていきましょう。今日の講義の目的は、ずばり「どうやって俳優とコミュニケーションを取ればいいのか」ということです。
監督と俳優では職能が違いますから、考えていることも違って、なかなかうまくコミュニケーションが取れないことがあるんですね。だから、俳優が指示通りに演技してくれない!とか、リハではうまくいったのに、カメラ回ったら全然ダメになった!みたいなことがよく起こります。そこでですね、本日はみなさんに「演技とは何ぞや」というお話をしたり、ちょこっと体験してもらったりしながら、演技している時の俳優の心と身体でどんなことが起こっているか、ということを知ってもらおうと思います。

1.「演技」と「act」の違いについて

 まず、最初は、演技とは何か、ということについてお話したいと思います。 
日本語で演技というと「技を繰り広げる」という意味です。一生懸命磨いた技をお客さんの前で披露するイメージです。歌舞伎で見得を切るみたいなイメージだと思って下さい。だから最初から少しtoo muchな印象があります。 
 一方で、ヨーロッパでは演技は「act」と言います。アクティブとかアクションのアクトです。行動とか作用という意味です。ちなみに演劇自体を表す「drama」という言葉もギリシャ語で「行動」を表す「dran」という言葉が原義ですから、ヨーロッパの言葉で演技というと「行動」なんです。 
だから日本人の「演技観」と西洋人の「演技観」には少し違いがあります。日本で、日常語で「演技」とっていう言葉を使う時、必ず「嘘」とか「大袈裟」のニュアンスがあります。「さっき泣いてたのは演技だったの?」みたいな感じです。
 これ、英語では「pretand」、つまり「ふりをする」という意味なんですけど、日本語で「演技」というと「pretend」という意味がつきます。
 英語の「act」には「pretend」の意味はないです。むしろ、「fact」とか「actual」とか、「真実」とか「事実」の意味が付きやすいんです。 
というわけで西洋と日本の「演技観」が違うということだけ覚えておいて下さい。

2.演技術の歴史的変遷

 では、続きまして演技法、演技術の歴史的変遷について大急ぎで説明したいと思います。だいたい世界中、どこの地域でも、演技はお祭りとか宗教的な行事で行われるようになりました。お祭りですから、村人が毎年変わりばんこに演じていたんですけど、だんだん演技が得意な人とそうでないとの差が出てきて、おまけにシナリオを書くプロなんてのも現れ出して、少しずつ職業俳優というものが出てくるようになりました。これが紀元前8世紀頃と言われておりまして、そこからずーっと「生身の人間が生身の人間の前で何かをする」という演劇はほとんど変わらない形式で今日まで続いてます。2000年以上です。 
 その間の変遷については今日は割愛です。時代は一気に20世紀まで飛びます(笑)
 20世紀になる頃、芸術の世界で、大きな変化が起こります。それが写実主義とか自然主義とかいう運動なんですね。ようするに絵画でも小説でも、現実世界にあるものを、わりとリアルに近い形で表現しようじゃないかという芸術運動なんですけど、これに演技も当てはめようとした人達が現れ始めたわけです。 
 その中で、一人、革命的な人物が現れました。ロシア人のスタニスラフスキーという人です。この人は、もともと俳優だったんですけど、それまで2000年以上続いた演技の常識をひっくり返してしまった革命児です。 
 それまでの演技は、形は変遷していきましたけど、往々にして「リアル」ではなかったんですね。動きが踊りっぽかったり、台詞が歌っぽかったり、これは世界中だいたいどこでもそうです。20世紀になる頃でも、紋切型の演技が主流でした。つまり怒ってる時はこういうポーズとこういう声、悲しい時はこういうポーズとこういう声、とか、型が決まっていて、それを俳優は習得してお客さんに披露する。それを見てお客さんは「あ、この人怒ってるんだな」とか思ってたわけです。 
 でも実際、日常生活でそんなポーズとる人いないですよね。いや、たまにいますけど、ちょっと「この人どうしちゃったの?」って思われますよね。 
 そこで舞台の上でも、日常生活と同じように、リアルに演じてみるべきだ、と、スタニスラフスキーは思ったわけですけど、これがなかなか難しいんですよ。どうしてかというと、普段私たち無意識に行動してるわけですけど、無意識でやっていたことを意識的にやろうとすると本当に難しい。そこでスタニスラフスキーさんという天才が一生涯かけて、どうすればリアルな演技ができるかということを研究して、合理的に、科学的にトレーニングできるシステムを作り上げました。それくらい「普段通りに」というのが難しいんです。よく監督さんなんかわりとあっさり「普段やってるみたいにやれよ」っておっしゃるんですけど、それができたら苦労せんわという感じです。むしろそれこそが最大のゴールと言ってもいいくらいです。走り高跳びの選手に「お前、もっと高く跳べよ」と言うようなもんです。 
 というわけで、スタニスラフスキーさんが考案した演技のシステムによって革命的に演技が「リアル」に近づきました。そしてその方法論が少しずつ形を変えながら、今現在、世界中の演技学校で教える演技術のグローバルスタンダードになってます。ところが例外もあります。 
 その例外の一つがなんと日本なんですね。日本だけはスタニスラフスキーシステムが正しく伝播しなかったんです。日本は明治時代に、やっぱり演劇改良運動っていうのが起こって、歌舞伎役者とか演出家とかがロシアに渡って、現地の演劇を見たり、数週間だけ演劇学校の授業を受けさせてもらったりしたんですけど、たったそれだけでいきなり歌舞伎役者にリアルな演技ができるようになるわけないですよね。でも、そういう人たちが日本に帰ってきて、「スタニスラフスキーシステムとはこうである」、って言いながら指導的な立場につきました。それが「新劇」と呼ばれる演劇です。聞いたことありますか?よく日本人が鬘かぶって、着け鼻して外国人を演じるって、今では結構パロディにされたりしてますけど、あれが初期の「新劇」のイメージです。初期の新劇の演技スタイルを踏襲しているのは宝塚歌劇だと思います。独特で魅力的な世界観ですけど、リアルからは少し遠いですよね。
 アメリカとかはソビエト時代にスタニスラフスキーの弟子なんかが亡命して、そこで演技を教えたりしたんで、まあまあ正しく伝わったんですけど、日本は特殊でした。海外の翻訳ものの舞台を演出する時に、絵ハガキを参考にして、身体の形を真似したりしてたんですよね。 
 で、日本で本当に世界基準の現代的な演技とかが伝わり始めたのが80年代とかになってからで、とにかく遅かったんです。しかも、古い「新劇」の先生の中には、自分たちが学んできた演技法こそが正統なスタニスラフスキーシステムだって思い込んでる人もいるにはいますから、簡単に言うと、今、日本の演技って、ごっちゃまぜなんです。だいぶリアルな演技も浸透してきてますけど、未だに「旧新劇式」の演技術の影響が相当強いですから。
 はい、こんなことを話してたらあっという間に時間が終わってしまうので、次に進めましょう。ポイントは日本だけ演技のグローバルスタンダードに関して、かなりの遅れを取ったということです。

3.嘘っぽい演技と、信じられる演技の違いは何か

 次はですね、どういう演技がリアルじゃなくて、どういう演技がリアルなのかというお話をしたいと思います。一言でいえば、嘘っぽい演技と、信じられる演技の違いのお話です。 
 結論から言うと、「自分の気持ちを表現してしまう演技」が嘘っぽくて、「行動する演技」がリアルということになります。これでは何のことかわかりませんから実際にやってみましょう。ちょっとお手伝いしてもらえますか? 
 台詞は適当に。「それ返して!お願い、返してよ!」 とでもしておきましょう。じゃあ、あなた。あなたは返してほしい人です。ただのタオルですけど、まあ、すごく大事なタオルなんでしょうね。 
 で、もう一人、あなた、お願いします。あなたはタオルを返したくない人をやって下さい。 
 はい。ではまず台詞を言ってもらいましょう。お願いします。本番!よーい、はい。 

 はい、ありがとうございます。返してもらえませんでしたね。ではちょっと、演出をつけてみましょうか。じゃあ、「気持ちを込めて」もう一度台詞を言って下さい。 
 もっと台詞に気持ちを込めて。「返してほしい」という気持ちとか、死んだお母さんにもらったタオルだとか、そういう気持ちを込めて!もっと気持ち込めて台詞を言って! 
 はい、ありがとうございます。やっぱり返してもらえないですね。ちなみに今のが「嘘っぽい演技の例」になります。録画されてるみたいですけど、ここだけ切り取られて見たら、多分僕、生きた化石みたいな講師と思われてしまいます(笑)。 
 今、すごく気持ちを込めて台詞を言ってもらいました。でも台詞に気持ちを込めれば込めるほど相手には伝わらなくなってしまうんですよ。今の例で言うとタオルを返す気がどんどん失せていっちゃうんです。 
 どうやら人間って、自分の気持ちをおおっぴらに表現する人のことはかえって信用できないみたいなんです。「彼氏にフラれた、もーまじ最悪死にたい」とかずっと言ってる人たまにいますけど、あんまり信用できないでしょ。ちっちゃい子どもだったらやりますけどね。悲しかったら泣くし、イライラしたら怒る。でも人間は社会的な存在ですから、基本的には感情はストレートに表現せずに隠します。それは相手に気を遣ってるんです。例えばですけど、「私のお父様が死んだの!」って、いきなりこんな情感たっぷりに言われたらみんな引きますよね。普通は人に伝える時は自然と「お父様が亡くなって、、、でも全然平気」という風になります。絶対に気持ちを込めたりしない。ところが「鬘着け鼻の新劇」では、気持ちを込めることが大事だって教えてたわけです。 
 あんまりいい喩じゃないかも知れませんが、何年か前、ある号泣議員が話題になりましたけど、あれは不自然なんですよ。普通人は「泣くまい、泣くまい」と思ってて、でも感情があふれて泣いてしまうんですけど、あの議員さんは「泣こう泣こう」として泣いてました。あれは現代演劇としては典型的な「ダメな演技」です。気持ちを込めたら嘘っぽくなる。これ、すごくすごく大事です。気を付けないと役者はつい気持ちを込めたくなっちゃいます。 
 では、どうしたら気持ちを込めないで演技ができるかということを説明します。では先ほどのお二人にもう一度お手伝いしてもらいます。 
 台詞は同じです。「それ返して!お願い、返してよ!」。いいですか。次は自分の気持ちは全然込めなくていいです。お母さんとの思い出も今は忘れてもらって大丈夫。とにかく、何が何でもこのタオルを取り返して下さい。お願いします。よーい、はい。 

 はい。いいですね。ついでに、タオルの端を持ってひっぱりましょうか。持ってる方の人、離さないでね。はい、引っ張る!そして台詞!まだ離さない。引っ張る!もう一回台詞!はい!どうもありがとうございます。 
 今見てる人、違いわかりましたよね?明らかに返してほしそうでしたよね。さっきの気持ち込めたバージョンよりも断然気持ちは伝わってましたよね。 
 これが「行動する演技」です。つまり、相手を動かしてるわけです。返したくなったでしょ?これだと見ている人も信じられるんですよ。 
 ここで大事なのは「意識」です。気持ちを込めてる時は、意識は自分に向いてます。これがすごくダメ。なぜなら相手のことを見てないから。相手よりも自分の気持ちが大事になっちゃってるわけ。で、二回目にやった時は、意識は自分の外にあるんですよ。「タオルを取り返す」っていう行動に集中してるから、自分の心と向き合ってる余裕なんかないんです。こっちの方がリアルに近いわけです。 
 もう一つ大事なのが「カラダ」です。今、二回目やってもらった時、引っ張ってもらってたってのもありますが、「カラダ」と「セリフ」ががっちり繋がってたんですよ。そういう時に「嘘じゃない声」が出るんです。身体は嘘をつけないんです。「声」も身体の一部なので。これ余談ですけど、一人芝居フェスみたいなのやってて観に行ったんですけど、その時優勝した人、舞台にエアロバイクって、スポーツジムに置いてあるあの動かない自転車持って来て、それを延々漕ぎながら芝居してたんですよ。すごく良かったですね。身体動かし続けてるから声に嘘がないんですよ。誰かそういう映画撮ってみたらいかがですか。 
 ではまとめますけど、最初の演技「気持ちを込める芝居」、これは自分の感情を説明してるだけです。幼いし、かまってちゃんだし、信用されない。二回目にやった演技が「取り返す」という「行動の演技」。信じられるし、見てて引き込まれるし、相手を動かすし、何より、リアルです。ここまでOK? ありがとうございます。ではちょっと休憩しましょう。

4.俳優の天敵

 はい、おかえりなさい。では再開しましょう。さっきは、どういう演技が嘘っぽくて、どういう演技が信じられるかということを実際にやってみました。次はですね、俳優の天敵についてお話したいと思います。これは別に悪徳プロデューサーとか先輩の不良俳優とか、そういう意味ではなくて、どんな時に演技がダメになってしまうかということですね。 
 さっきもちょっとお話しましたけれども、俳優の天敵はずばり、自意識です。自意識っていうのは、まあ、簡単に言うと「俺、今うまくできてるかな」とか「監督に言われた通りにやらなきゃ」とかそういう意識のことです。これが演技の邪魔をします。だって普段通りにやりたいのに、普段は考えないようなことを意識してしまってるわけですから。この自意識が演技をダメにしてしまうんですよ。 
 論より証拠でちょっとやってみましょう。今度は全員やりますから覚悟して下さい。今から皆さんに普段やっている通りのことをやってもらいます。簡単です。 
 朝です。布団で寝ていた皆さんは目を覚まして、何かをします。いつも朝起きて一番最初にやることをしてもらいます。僕はだいたい最初にトイレに行きます。同じだという人は、目覚めてから、トイレに行くまでを再現してもらいます。あ、用は足さなくて大丈夫です。では順番にやってもらいましょう。  

 はい、どうでしたか。難しいでしょう?俳優って地獄のような仕事してると思いませんか?ちょっとは俳優に対して優しくなれそうですか?もし何の自意識にも邪魔されずに全く普段通りにできたって人がいたら、今すぐ俳優になった方がいいと思います。すごく才能があるから。 
 はい。今おわかりの通り、普段は全く意識せずにやってることが、こうやって人に見られてる状態だと居心地が悪くて不自然になってしまう。これが自意識の仕業です。 
 じゃあどうやったら、自意識を消せるでしょうか。まあ、自意識を完全に消し去ることはできないので、どうやったら軽減させることができるかということですね。 
 これは一口で言うのはすごく難しいです。世の中の演技トレーニングの8割は、この自意識と闘うためにあると言ってもいい。全く根拠のない数字なんですが、それくらい俳優にとって恐ろしい敵だということです。 
 というわけで自意識につける特効薬はないんですが、わりと効果的な方法をお教えします。一つは自分の外側に意識を集中するということです。 
 自意識っていうのは、気持ちを込めるとかもそうですけど、意識が自分の内側に集中している状態のことなんですね。「閉じてる」とかいう言い方したりすることあるんですけど、「閉じてる」状態だとさっき体験してもらった通り、動きも不自然になるし、何より、相手のことを全然受け取れない状態になっちゃうんですよ。その意識を外側に持っていく。言葉では説明しにくいですから、また実践してみましょう。 
 誰かお手伝いして下さい。はい、あなた。ありがとうございます。ではそこに立って、私に、最近あった、すごく楽しかったことを話して下さい。なんでもいいです。  
 
 はい、ありがとうございます。それはすごく楽しそうですね。でも話しててちょっと居心地悪かったですよね。はい。見てて、こう、ちょっと肩のへんとかに力が入ってる感じがわかりました。 
 では次は同じ内容のことを、今度は私とキャッチボールをしながらやってみましょう。お願いします。

 はい。どうでしょう。さっき立ってお話してもらったよりも居心地が悪くなかったの感じますか?見てた人も、さっきよりずいぶん自然な話し方になったのわかりますよね?
 はい。これ、キャッチボールすることで、嫌でも意識が外側に向いたんですよ。当たり前ですけど、意識をボールに向けないとキャッチボールはできないわけですから。意識が外側に向くってことは、その間「自意識」に邪魔されないですみますから、自然な感じに演技ができます。 
 人と会話している時もそうです。普段私たちって、自分が思ってる以上に話している相手のことを感じ取ってるんですよ。「この人にちゃんと届いてるかな?」とか「いい反応してるかな」とか。無意識にですよ。でも演技したら、どうしても自分の喋ることばっかりに意識が集中しちゃう。だから、会話する時も、意識の集中は相手。「ね?わかる?私の言ってること?」ベクトルは自分じゃなくて相手。そうすると相手も「うん。わかるわかる。」っていうことになるわけですね。 
 さっきはキャッチボールしましたけど、何でもいいんです。よく小道具は相手役、なんて言い方もしますけど、小道具でもいいんですよ。小道具に意識が集中してたら、その間自意識から解放されますから。もし役者が自分の台詞にばっかり集中して小道具をぞんざいに扱っていたら、「台詞じゃなくて今やってることに集中して」って言ってあげて下さい。そしたら台詞も良くなりますから。ホントです。 
 はい。というわけで、役者が自意識にさいなまれて演技がダメになっている時は、意識を何か外に集中させるようにして下さい。何でもいいです。今自分がやっていることに集中するとか。相手に集中するとか。小道具に集中するとか。
はい。ではちょっと休憩しましょう。

5.演技をしてみよう

 はい、では次はお待ちかね。実際に演技をしてみようのコーナーです。 
 ではですね、今から一人ずつ、最近あった気持ちが動いた体験をお話して下さい。何でもいいです。楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、怒ったこと。あまりにも生々しいのはやめてくださいね。ちょっと考える時間あげます。 
 はいでは順番にやっていきましょう。 

 はいありがとうございました。では次にやってもらいたいことですけど、二人組になって、お互いに今と同じ内容をお話して下さい。そして、その後、自分のパートナーの体験を自分のこととして話してみてください。例えばですけど、今、最後の彼が言ってくれた体験を私のこととしてお話するとこんな感じになります。 

「僕、石亀っていう亀を飼ってるんですけど、これ日本にしかいない亀なんです。で、僕が買ってるのは20センチくらいのメスの亀なんですけど、増やそうと思って雄の亀を3匹取り寄せたんですよ。一匹は新潟から、もう一匹は大阪の藤井寺って所から、もう一匹は愛知です。それで一緒の水槽に入れておいたら、大阪と愛知の亀が積極的にメスにアタックしてて、新潟の亀は疎外されてる感じだったんですよ。大阪と愛知は甲羅がオレンジ色で、新潟だけが茶色い甲羅だったんですけど、なんだか新潟が可哀そうになってきまして。新潟頑張れ、新潟頑張れ、って思ってても、やっぱり大阪と愛知に邪魔をされて隅っこの方でじっとしてるんですよ。で、そうこうしてるうちにメスが卵を産卵したんですけど、生まれてきた子亀を見たら、全員甲羅が茶色だったんですよ。なんだ、大人しそうにしてるけど、やることはやってんじゃねーか。と、そんなことを思いました。以上です。」 

 はい。こんな感じです。僕、亀なんて買ったことないですけど、今最後の彼の話してくれた体験を自分なりに咀嚼して、自分の言葉で話してみました。これを皆さん、やってみてください。 
 一言一句正確じゃなくてもいいです。モノマネとかもする必要全然ないです。今回に限ってはディテールが間違ってても全然かまいません。元ネタ話してくれた方も横から訂正とか入れなくていいですからね(笑)ただ自分のこととして話す。やってみましょう。 

 はい。ありがとうございます。これが「役を演じる」ということなんですね。もちろんこれは本人のままやってもらったわけで、実際に役を演じるとなるとこれにいろんな役作りが必要になってくるわけですけど、ベースはこれです。赤の他人様の人生をあたかも自分のこととして受け入れて、代わりに生きる。例えば、あなたの場合、実際役を演じる段になったら役作りとして、も少しヨガインストラクターのことを勉強したりします。 

 本当はテキストまでいきたかったんですけど、時間がなくなってしまったので今日はここまでにして、残りの時間は何でも質問タイムにしたいと思います。 
 今日やったことの質問でもいいですし、演技のことだったらどんな質問でも大丈夫です。僕がお答えできることであればお答えします。  

 今日はありがとうございました。お疲れ様でした。 

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