演技者にとって「開いている」「閉じている」とは何か

「何を食べるかじゃなくて誰と食べるか」が大事だという言葉があります。ようするに「おいしい」と感じるのは「食べたもの、そのもの」よりも、その時の自分のコンディションや環境に大きく左右されるものだということです。 
 私たち演技者は「(心とか身体が)開いてる状態」って呼んでるんですけど、一見するとすごく観念的で非科学的な概念みたいですが、結構単純です。
 緊張して、変な所に力が入っていたり、相手役や対象物に集中しなければならないところを、自意識とか自分の感情に集中してしまっていることを、一般的に「閉じている」といいます。
反対に「開いている」とは、簡単に言えば、まあ、ちゃんと「リラックス」できてるかどうかです。といっても、演技者にとっての「リラックス」とは世間一般のダラっと全身脱力したイメージとは違って、自分を守るバリアーを張らずに相手役を受け入れて芝居をする準備オーライの状態を言います。
「開いている状態」だと、より多くの情報を処理できるようになります。一言で言えば、五感が敏感になります。視野も広くなるし、音もよく聞こえるようになるし、味覚も敏感になります。
 クタクタになるまで泳いだ後、海の家で食べるキャベツだらけの焼きそばがやけにうまいとか、山頂で食べるおにぎりは違うとか、仕事の後の生ビールは最高とか、あれはつまり緊張から解き放たれてリラックス出来てる状態なんですね。
 だって、おいしく感じる時もそうでもない時も食べてるものは基本的に同じもののはずだから。
 反対に、ロブションとかゴードンラムゼイとかカチコチしたレストランで高級なおフランス料理を食べて、おまけに一緒に食べてる人は取引先の部長とか、付き合ったばかりの恋人とかだった場合、おいしさ半減…なんていうこともよくあります。つまり「閉じている」状態です。
 結婚披露宴の料理を「いやあ、あの時の料理はうまかったなあ」と回想する新郎はなかなかお目にかかれませんし、取り調べで出されたカツ丼を(実際に出されるかどうかは知りませんけど)「うわ、うんめー」とガツガツ食べてる容疑者もあまり実例がない気がします。
 すなわち「何を食べるかじゃなくて誰と食べるか」っていうのは、一緒ににいてちゃんと「開いてる」状態でいられる相手と食べなければダメということなのだと思うのです。
「どんなセックスをするかじゃなくて誰とセックスをするか」って言う言葉があるかどうかはわかりませんが、そんなようなことだと思います。
 私たち演技者は絶対に「開いて」いる状態でなければ仕事はできません。演技者は(実は)ものすごくたくさんの情報を同時多発的に処理しているので、緊張していて変な所に力が入っていては、いろいろなものを取りこぼしてしまうのです。
 もちろんいつも「開いて」いることがいいことかというと、全然そうでもなくて、現代社会はとくに、「開いて」いると自分にとって過度なストレスになるようなものも含めてあまりに多くの情報が五感を通じてダイレクトに自分の中に入ってきてしまうので、てきめん精神が摩耗してしまいます。
だから現代人はみんな自分の精神を守るために、無意識のうちに「閉じた」状態にして自分にとって有害なインプットをフィルタリングしています。
 それは私たち演技者も同じで、稽古場や劇場に着いて、仕事の前に「開いて」やらなければなりません。そのためにはいろいろな訓練があって、人によっては時には30分くらい深いリラクゼーションをしながら、準備OKの状態にもっていきます。
「開いて」いる状態は、裏を返せばとてももろく無防備な状態なので、ちょっとしたことですごく傷ついたり傷つけたりしてしまう危険性があるため、演技者も仕事が終わればちゃんと「閉じて」やる必要があります。
 これは芸術鑑賞にも当てはまることで、「閉じてる状態」だと、何にも届いてこないことがあります。みんないいって言うけど「何がいいのかさっぱりわからん」ということはよくあります。もちろん好みもありますけどそれだけでなく自分が「閉じて」たという可能性もあると思います。
 もう十年以上前ですがワシントンポストがある実験を行いました。グラミー賞授賞の世界的なヴァイオリニストのジョシュア・ベルがある平日の朝、ストリートミュージシャンに扮して、3億円のヴァイオリンを使って路上で演奏しています。
 彼がこの前日に開いたコンサートでは100ドル以上するチケットが全て完売していたにもかかわらず、なんとほとんどの人が素通りしていきました。これは実に多くの示唆に富んだ実験だと思います。朝、仕事に向かう現代人がどれほど「閉じて」いるかということがよくわかります。
 やはり芸術もそれ相応の環境を提供しなければ、「せっかくのおいしい料理も…」ということになりかねません。その意味で芝居が始まる前にお客さんを準備オーケーの状態に持っていく役割がある劇場(および劇場スタッフ)は本当に責任重大だと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?